味覚

味の感じ方の不思議。

数年前の話。

同い年のいとこの家にお呼ばれして遊びにいくと、娘のカエちゃん(当時3歳)がリビングでうずくまっていた。ロタウィルスにかかって絶不調らしい。

病院の先生からも看護師の母(わたしから見た叔母)からも、ピークを過ぎてあとは脱水症状にだけ気を付けて普通に(安静に?)過ごして大丈夫と言われたし、大人に移す心配もないから気にしないでゆっくりしていってね。といとこは言ってくれた。

カエちゃんも、うずくまったままにこにこ顔でお気に入りのぬいぐるみを見せてくれ、歓迎してくれている様子。

しばらくおしゃべりを楽しみ、晩ご飯をご馳走になった。

カエちゃんも励まされながら少しのお粥を口にし、お薬を服む。発熱に倦怠感、下痢や嘔吐の症状に苦しめられるロタウィルスに、静かに耐えるカエちゃんの健気さがかえって辛そうに見えた。何にも役立たないだろうけれど、背中をさすってあげる。

辛そうなカエちゃんを見て胸がいっぱいになったんだろうか、あんなにぺこぺこだった食欲が失われていた。大好物の春巻きと海老フライに箸が伸びない。わたしの大好物を用意してくれたんだからと、無理やり口へ押し込む。

無理やり食べていることに罪悪感でいっぱいになりながらどうにか完食し、用意してくれていたおかわり分をタッパーに詰めてもらい、少しのおしゃべりをした後、帰宅した。

徒歩、電車、徒歩なのだけれど、帰宅までの記憶がない。気が付くと23時、布団の上。

とにかく具合が悪い。こんなに具合が悪いのは記憶にある中で初めてかもしれない。記憶を辿ってみると、姉と一緒に罹った水ぼうそうの記憶が蘇ってきた。

ソファで姉と一緒に寝ているわたし。いつもは怒りんぼの母が優しい。いつもなら絶対にさせてくれない『横になりながらアイスを食べる』という行為にわくわくしている子どもの頃の記憶。

わくわくしてるんじゃないよっ…!

当時の自分の呑気さに軽く苛立ちながら、どうにかこうにか体温計を探し出し熱を測ると38.6度。この数字に益々具合が悪くなった。子どもの頃の自分に対する怒りから熱が上がったという事では決してないだろう。と思いたい。

同じ市内に住む父に電話だ。

非常識であろう時間帯の電話に一瞬迷ったが、緊急事態だ。父よ、愛する我が子からのSOSですよ、お願いしますよ。と自己中思考全開で電話をかける。

きっと注意されるだろうと覚悟していたが、父も何かを察したのか、柔らかい声で電話に出てくれた。

とにかく具合が悪いこと、明日の朝念のため家に来て欲しい。その時の体調によっては病院に連れて行ってもらいたい旨を簡潔に伝えて素早く電話を切る。父の睡眠を邪魔してはならないという今更な気遣い心により、要件をうまくまとめられた自分に誇らしくなった。

翌朝、具合の悪さできちんと眠れず、朝日にさえ悪態をつきたい程やさぐれていたところに父、登場。

わたしの顔を見るなり笑う。

「具合悪そうだな、ほら、病院行くぞ。」

どうやら具合の悪さが全面に出ていたらしい。

父が車通勤の人で良かったなぁ…としみじみ思いながら車内で会社に電話をし事情を説明しつつ、病院で降ろしてもらった。

受付を済ませて待合室にいたが、地獄だった。

具合が悪すぎてきちんと座っていられない。

吐き気が止まらない。

すぐにトイレに駆けこめるように、他の方達に出来る限り迷惑をかけないようにトイレの近くの誰も座っていない4人掛けソファに、1.5人分程に収まるようにとにかく小さく、ダンゴムシのように丸まりうずくまって待っていた。いい年齢の大人がソファの上でうずくまっている様は、異様だったと思う。

残っていたかはわからないが、0.5人分を残そうとしたのは、「どうにも仕方なく横になっているんですよ」というパフォーマンスだ。

我ながら、イヤラシイ。

自分の番になり診てもらう。「はーい、ちょっと痛くて苦しいかもしれないけど我慢してねー」というポップな口調の初老の男性医師に、鼻の穴奥深くに棒を差し込まれた。ぐぇっ!という男前なカエルのようにひと声を発した後、涙目になりながら激しいくしゃみをしつつ「処女喪失な気分…」と考えていたわたしは相当モウロクしていたんだろう。

インフルエンザの検査だったらしいが、インフルエンザではないらしい。ポップ医師が頭を傾げながら言う。

「何だろうねー?わかんないけど、ウィルス性のちょっとしたやつだろうから大丈夫だよー。念のため、お仕事は一週間ほどお休みしてね!」

どこまでもポップで清々しい。

撃沈しているわたしの表情から何かを感じ取ったのだろうか、帰り際の受付の女性の「お大事に」の言葉にとても心が込もっていたような気がする。ありがとう。

普段であれば歩いて30分程度の距離に、このお金があれば色々と買えるのに…と貧乏根性丸出しで考えながらタクシーを使った。せっかくなのでセレブな自分を想像しておいた。

家に帰ってまずすることは、食事作りだ。薬も処方されたので服まなければいけないし、このまま横になったらもう動けない。

こんなにも具合が悪くて食欲がないのに、自分で食事の用意をしなければいけないなんて…目の前が滲んで支度がはかどらない。

数種類の野菜を刻み、少量のお米と煮込む。塩・醤油・鶏ガラ風味の3種の薄味の離乳食のようなものをやっとの思いで作った。1日ひと味、3日分だ。自分の真面目さにまた泣けてくる。

今日はシンプルに塩味で過ごそうと思って食べる。

味が濃い。

濃い、というよりも、味が強い。調味料は塩のみ。その塩も普段の3分の1くらいしか入れていないのに、味がしっかりしている。普段とは全く違った味わいに驚き、意外な美味しさに感動し、ちょっとだけテンションが上がった。


2日間はトイレから出られない程とにかく下痢が続いてきつかったが、3日目には下痢も落ち着き、4日目にはだいぶ体が楽になっていた。起き上がるのがツラく、床を這うように生活していたのでお風呂に入っていなかった。久しぶりにシャワーを浴びたら心底すっきりし、すごい元気になった。元気になったら食欲も湧いてきた。

病院に連れていってもらった日、仕事帰りの父が大量のスポーツドリンクとゼリーを差し入れてくれたのでほとんどそれで生活していたため、離乳食が余っていた。

結構美味しかったから、楽しみだな。と思いながら口に入れる。

味がない…?

いや、味はあるのだが、割烹着を着て優しく微笑む知らない女性が脳裏をよぎった程、この上なく優しーい味わいだった。

あの日のあの濃さはどこへ?物足りないにも程がある。醤油と胡椒を足して食べた。これこれ、この味。同時に、いつも通りの元気な体になったんだなぁと実感した。


後日、いとこから電話がきた。「ロタウィルス移しちゃったみたいでごめんね!まさか移るなんて思ってなくて…」申し訳なさ全開のその電話に、原因がわかって安心したのと同時に、未就学児にしかかからないと聞いたウィルスであんなに苦しんだ自分が猛烈に恥ずかしくなった。叔母も大爆笑していたらしい。おいっ。

とりあえず「人生の小ネタがひとつできたよ、ありがとう。」と言って電話を切ったが、大人のわたしがロタウィルスにかかって苦しんだという話をしても、今のところ誰にも信じてもらえていない。

これは、誰がなんと言おうと味覚のお話である。



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