タローとジロー
小学校低学年くらいの頃、近所のお家に黒色の柴犬兄弟がやってきた。
当時は犬種の知識などなく、いとこの家で飼われていた犬の"ハスキー犬"くらいしか知らず、その2匹の種類を知ったのは大人になってから。
ある晴れた夏の学校帰り、近所の立派なお家の玄関でおばちゃんと2匹の子犬が戯れているところに出くわした。胸元によだれかけをしているような、黒くて小さな元気いっぱいの子犬。挨拶もそこそこに興奮したわたしがその2匹に近づくと、おばちゃんは「興奮して噛んで怪我をさせるかも知れないから触っちゃダメだよ」と慌てて止めた。わたしに近付こうとする2匹のリードもピンッと突っ張り、その場で転がる。
可愛い!
タローとジローと名付けられたころんころんの可愛い子犬。あんまり会った事のない面識のないおばちゃんだったが、「見るだけなら大丈夫だよ、いつでもどうぞ。」と言ってくれた。優しい。
それから、学校帰りにその2匹の前で遊ぶことがわたしの日課になった。
遊ぶといっても、「ただいま。」とか「こんにちは。」と2匹に声をかけ、少し様子を見て帰るだけ。
そのお家の玄関先は車1台分ほどのスペースがあって、車庫と石で囲まれた花壇に挟まれていた。玄関先に並んで置かれたタローとジローの犬小屋までは距離がある。歩道にしゃがんでちょっとだけ声をかけて帰る日々。2匹も静かに尻尾を振って歓迎してくれる。
ある時、家を出てすぐに散歩中のタロージローに会った。リードを持つのはおじちゃんだ。タローとジローが駆け寄ってくる。リードがわたしのところへ届く長さだった。足元ではしゃぐタローとジロー。おじちゃんは少しだけ迷っているようだったけれど、そんなの知らない。すかさずしゃがんで2匹の頭をさわる。初めて触るタローとジロー!思っていたより硬い。
タローとジローも応えるように頭突きをしてくる。手を噛んでくるが、きちんと手加減をした優しい甘噛みだ。
小さい口で何度も優しく噛んでは、その後に舐めてくるタローとジロー。ごろんと寝転がったと思えば、すぐに立ち上がって顔を舐めてくる。それを見て安心したのか、おじちゃんもしばらくそのまま遊ばせてくれた。
時間の許す限り遊んだあと、別れ際におじちゃんが、「いつでも遊んであげてね」と言ってくれた。おじちゃんも優しい人だ。
お散歩中に出くわした記憶はそれきりだけど、帰りに寄る日課は続いた。
冬。わたしはひとりで家にいた。両親は仕事でいなかった。姉がいなかったのは、高学年でまだ学校にいたからかも知れないし、誰かお友達の家に遊びに行っていたからかも知れない。
する事もなく、家でのんべんだらりと過ごしていると、玄関先で何か音がする気がする。
家の中で耳をそばだてる。何も聞こえない。
気のせいかなと思ったが、ふらふらと玄関のドアスコープを覗いてみる。
タローとジローだ!!
家の前でお座りしたり、立ち上がったりとそわそわしている2匹がドアスコープ越しに見えた。玄関フード(サンルームと言えば想像しやすいだろうか?)のある雪国仕様の我が家。外玄関は閉まっているはずだけど、雪が詰まって少し開いていたのか、そのドア(引き戸)を自分達で開けて入っていたのだ。
すぐに玄関を開けて2匹に声をかける。遊びに誘いに来てくれたんだね!着替えてくるからちょっと待っててね!2匹は家に入りたいような様子でもなく、その場できちんと待っていてくれた。
急いで雪の中でも遊べる服装に着替えて外に出る。ひとりでは遠くまで遊びに行けないので、家の目の前の雪山で遊ぶ事にする。
わたしが雪玉を作って投げてはタローとジローが追いかけたり、ちょっとした追いかけっこや隠れんぼをしたり。
時間を忘れて遊んでいると母が帰ってきた。飼い主も不在で首輪も付いていないタローとジローに驚いたんだろう、どうしたの?!と慌てて聞いてくる。「遊びに来たんだもんねー」と2匹に声をかけるわたし。事情を話して母に納得してもらったが、「もう帰る時間だよ」と母に促されたので、母と一緒にタローとジローをお家まで届けた。チャイムを鳴らしておばちゃんに説明をすると、おばちゃんは犬小屋の前の主のいない首輪を見て驚き、気付かなかったと謝り、遊んでくれてありがとうと言ってくれた。
わたしは、「またね。」と言った。
それ以来タローとジローと遊ぶ日は来なかった。
春になり、玄関先に大きなゲージが作られ、タローとジローはその中にいた。わたしにはそれが牢屋のように見えてとてつもなく悲しい気持ちになった。出来る限り近付いて尻尾を振ってくれる2匹を真っ直ぐに見れなかった。
勝手に抜け出したの、おばちゃんが怒ったのかな、とか、
いつか父が「あれは気性が荒いから…」と言っていたのを思い出し、もしかしたら誰かの事を噛んじゃったのかな、と一瞬いやな映像が頭をよぎったが、あんなに懐っこい2匹がそんなこと…と頭を振った。
その後、中学年になりいくつか習い事を始めたり、友達と遊ぶ事で忙しくなったわたしは2匹の前で足を止める回数は減ったが、たまに立ち寄りタローとジローに気付いてもらえた時には、2匹は相変わらず元気に尻尾を振って迎えてくれた。
そんな風に、タローとジローとの距離が少しずつ少しずつ広がっていき、中学生になったある日、
2匹の姿はなくなっていた。
タローとジローはどこに行ったんだろう。おじいちゃんになって、お家の中で余生を過ごしているんだろうか。おばちゃんとおじちゃんの手に負えなくなってどこかに連れて行かれたんだろうか。
色々な考えが浮かんでは消えたが、本当のことは分からずじまいだ。
あの時、母がとっさに撮ってくれた1人と2匹が写った写真を見ては、楽しかった記憶と同時に、なんだか申し訳ないような、後ろめたいような気持ちで少しだけ胸が詰まってしまう。
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