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思い出したことをつらつらと…

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亡くなった両親や昔懐かしい風景をふと思い出す時…
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おかちゃんが私を産んだ日

おかちゃんが私を産んだ日

今日は私の誕生日らしい。
らしい、そうだ、私は自分の産まれた日を知らない。
後から聞いて覚えているのだ。

産まれた時、おとちゃん(父)は
「また女か…」
そう呟いたそうだ。

私には兄しかいない。
でも姉のいた時期があった。
姉は未熟児で産まれ、名前まで付いていたが10日くらいで亡くなってしまったと聞いた。
名前も付いていて、もちろんお墓もあったから私は姉の存在をずっと感じていた。
時にはそれに

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チキンラーメンは3分待とう

チキンラーメンは3分待とう

あれは中学生の頃だった。

お腹を空かせた私は学校から帰ると無性にチキンラーメンが食べたくなった。

丼に麺を入れ、お皿なんかで蓋をして
ハイ!3分!🍜
なのだか1分間煮るだけでも美味しくできる。
その日は珍しくチキンラーメンを煮ようと思ったのだ。

家には古い小さな両手鍋があった。
それがラーメン1個には程よき大きさでいつも愛用していた。
熱々のラーメンが煮上がり、台所から居間へと運ぶ。

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祖母とわたしとおたまじゃくし

祖母とわたしとおたまじゃくし

◉祖母の部屋

幼い頃 よく祖母の部屋に遊びに行った。
電球ひとつの薄暗い小さな部屋、祖母は明治生まれだったから珍しいものがたくさんあった。
勝手にタンスや引き出しを開けて
「あれ何? これ何?」
昭和天皇、皇后他皇族の方々のお写真がいっぱいあった。
新聞の切り抜きだ。
他にも昔の見たことのない写真に私は見入っていた。

私は母に叱られるとよく祖母の部屋に逃げ込んでメソメソ泣いていた。
祖母は特に

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フリースベスト

フリースベスト

たまに実家に行くとおかちゃん(母)はとても喜んでくれた。
そして買い物に連れてってほしいと言う。
いつも自由に買い物も行けず、着るものや食べるものを選ぶことは おかちゃんにとって楽しみであった。

田舎には安いファッションセンターがあり、よくそこへ行った。
おかちゃんはすごく迷う人だ。
「あ〜  案が切れんわ、オマエが選ってくれ」
と言う。
案が切れないというのはたぶん方言なのかな、迷って決められ

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お正月が苦手だった

お正月が苦手だった

母と遊びたかった

「あぁ…  また正月が来るのぅ…」
母はうんざりしたようによく言っていた。
父は長男だった為、お盆、お正月、お祭り、法要等々何かの行事の時は親戚が大勢訪れてきた。
母は大勢の人が寄ってくるのが好きではなかったようだ。
私も叔父や叔母、従兄弟たちでも誰かが家に来るとすごく緊張したものだ。

年末になると母はおせち料理を作り出す。
棒鱈、里芋、黒豆、昆布巻き…
棒鱈はカチカチのもの

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おかちゃんの誕生日

おかちゃんの誕生日

母のことをおかちゃんと呼んでいた。
友達は「おかあさん」「おかあちゃん」たまに「ママ」と呼んでるのに、うちは何故か「おかちゃん」、だから人に言うのが恥ずかしくて人前で呼べなかったし、
「あんこちゃんはお母さんの事 なんて呼んでるん?」と聞かれてもなかなか答えられなかった。

おかちゃんと私は同じ誕生月なので、いつも自分の誕生日が来ると幼い頃を思い出す。
今回は思い出と今の思いを書いてみたい。

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彼岸花の咲く頃   昔と今

彼岸花の咲く頃 昔と今

「彼岸花は家に持って入ったらアカン!」
亡き母の言葉はいつまで経っても忘れられない。
真っ赤な花は家の中に入れると火事になると言う。
知らなくて彼岸花の束を喜んで抱えて帰ったら、ものすごく叱られた。
後で火事になったらどうしょう…💧としばらく子供ながらに怯えていた。
幸いにして火事にはならなかったのであるが。

私の子供時代は田んぼは何処の誰の田んぼであっても気にせずに入り格好の遊び場となってい

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