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わからないから、わかること。

先日初めて海外に行ってきました。

訪れた場所はモルディブとドバイ。

当然日本語は通じない。

その時に感じたことを少し。

コトバとココロ。

カタコトの英語しか話せないことが歯がゆいと何度思った事だろう。でも英語のわからない今だからこそ、わかったことがある。


それは言語がほんのカタコトでも、本心は伝わるということ。



表情・声色・目線・仕草・雰囲気。

言葉が自由に通じないがゆえに、いつも以上にひしひしと伝わってくる。そこに想いがあるのか、否か。


言葉が通じなくても、心はきっと伝わるんだと思う。人のねっこは言葉を介さずに現れる。そしてそれはおそらく世界共通なんだと思う。


地球の裏側に会いたい人ができた。

現にわたしは今回の旅行で、母国語がスペイン語のコロンビア人の女性と、カタコトのコミュニケーションで仲良くなり連絡先を交換しました。

全然文として成立していないような身振り手振りが満載のわたしの話を、うんうんと丁寧に聞き、同じように身振り手振りで会話をし、微笑み合う。別れる時「あなたはとても美しいのね。」と声をかけてくれて恥ずかしながらとても嬉しかった。


言葉じゃなく通じる何かがそこにはあって。それがとても嬉しくて貴重な体験だった。地球の本当の裏側にまた会いたい人ができました。(とはいえその時までにもう少し英語を話せるようにしたいね。コトバの可能性も無限大だと思うから。)

言葉を介さずに伝わる想いがあるコミュニケーションの上で、言葉は生きてくる。きっとそうなんじゃないかな。


わからないから、わかること。

もし英語がすらすら話せていたら、コトバを介さずにココロが伝わるような体験をこんなにも印象強くできなかったと思います。

このような「わからないから、わかること。」はあらゆる物にあると感じています。


〇〇ができないからダメ。

わたしなんてまだまだだから。


そんな風に考えてしまう時もあるけれど、視点をちょっとずらせばきっと「わからないから、わかること。」が隠れていると思う。

それはかけがえのない財産。過去でもなく、未来でもなく今の自分にしか分からないこと。


できる・できない、0か100かで考えがちな時には、ふぅと深呼吸をして今の自分だからわかることを見つけていきたいね。

-できるとできないの間。


では、また。

読んでくださりありがとうございました。


シンプルに、心地いい。そんなモノと暮らしがすきです。

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