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死刑制度について守護霊と話してたら、日本人は世界が非情なのを受け入れているらしい

この記事は守護霊と喋れる人が、
守護霊との会話をひたすら書き起こした
トーク記録です。
一人数役の落語ではありません。一応ね。ふふ。


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アニヤハロム【💎】 レスリー【🌊】


💎:こんなニュースが出てさ。

💎:死刑制度については、いつか話したいなって思ってたところに、興味深いニュースが出てきたから、今日はこれについて詳しく聞いていくよ。
2年連続で死刑執行が出ていないのは異例らしい。でも、そもそも死刑制度がない国の方が一般的で、日本人は自分たちのこと先進国だと思ってると思うけど、先進国にしては死刑執行の頻度が高めの国でもある。1年に一人くらいは死刑が執行されている国のほとんどは、日本人の感覚からすれば後進国か、治安の悪い野蛮な国が多いって感じるんじゃないかな。
日本はつくづく不思議な国だよね。わりと治安が良くて法治国家で富のある国なのに、死刑が廃止される方向に向かう気配が戦後から一度もないなんてさ。ここだけは西欧ナイズされてない、世界に誇る文化…と言ってはいけないけど、ハロムが学生の頃に、社会の先生が死刑制度について授業で取り上げたことがあった。その先生はバリバリの日教組だったから、死刑制度に異を唱えたわけよ。なのにクラスで反対したのは1人だけで、あとはハロムも含めて全員が死刑制度に賛成だった。根強いよね。
なんだけど、ニュースのコメントを見ても、驚いちゃった。 「法に従って自信を持って執行しろ」とか「執行できない法務大臣は職務怠慢」「臆することなく死刑を望む国民に応えてほしい」「精神的に負担ならロボットにやらせろ」
いや、シラフで読んだらとんでもないコメントだよね笑。みんな、合法だったら人殺しでもこんなに積極的なんだって。 制度に賛成なのはいいけど、関係のない人が死刑が執行されないことについて文句つけられるのは、税金云々のことだけだと思うし、遺族の方がどういう気持ちでいるのかを確かめる方法がないのに、勝手に想像しても的外れなだけだと思うな。
そして死刑に処された人にも家族が、加害者遺族がいるってことは誰も考えてないのかなと思った。被害者遺族と加害者遺族はどれほど違う人種なのか、そして彼らと、関係ない外野の自分達がどれほど違う人種なのか。そんなことは誰にもジャッジできないのに、勝手にジャッジするのは違くない?って。

🌊:随分感情的だね。

💎:ごめん。

🌊:なぜこのトピックに、そんなに感情的になるの?

💎:最初は、死刑はいいことだと思ってた。先進国っぽい国には既にないのに、「先進国」の日本はまだ持ってるところに優位性を感じるし、差別意識をビンビンにして言えば、アラブ諸国とか、法治国家って言えない国がやる死刑と違うじゃん。
気に入らなかったらいつでも好きに処刑できるような国じゃない、日本という法のしっかりした国が死刑を続けることには意味があるって。それに、犯罪に巻き込まれた人はみんな、自分を傷つけた奴に死んで欲しいって、一度は思うものなんだと思う。だからこの死刑は、誰かにとっては必ず価値があるんだよ。
でも死刑に賛成、絶対やめるな!って言ってる人を見ると、なぜか気分が悪くなる。うちらは執行されないことに怒っていい立場じゃないと思う。でもなぜか分からない。叩かれそうだけど、殺される側にも殺す側にも人生の目的があって、その人生を選んだ理由があるのも分かってる。クソを舐め尽くせるような出来事が起こるように、この世界が設定されてるのも分かってる。日本に生まれれば、人を法的に殺せる稀な体験ができるとも言えるわけじゃん、そういう体験がしたくて日本に生まれる人だってきっといるよ。
だから死刑はあるべきだし、もっといっぱい執行するべきって言うのも良いと思うんだよ。頭ではね。 そう思っても、あんまり腑に落ちない。どの理由も、死刑があることに喜べるほどの根拠に足りてない感じがする。

🌊:それはそうだよ。人が死んだことに本心から喜ぶ人はいない。だって自分と同じ生き物が死んでいるんだから、本能から危機を感じているはずなんだ。
どんな状況で罪を犯したか、どんな環境で生きてきたのか、どんな性格なのか、どんな家族関係だったのか、そんなことは死の前では一切考慮されない
死が平等に扱わない人はいない。死は、人をどれだけでも平等にする。平等というのは実は、とても恐ろしいものでもある。命は平等じゃないから、少なくとも見かけでは平等じゃないから、平和に生きられているとも言えるんだよ。
どんな人であっても、死んだ後の世界では、君と何も変わらない。コメントをあげている人とも何も変わらない恐ろしいほど、違いがないんだよ。君にはもうそれが分かってしまったんだね。 だからすごいよ、君は相手が死ぬことにリスペクトを感じているから、早く死刑にしろって言葉が、野蛮で敬意のないように聞こえるんだろう。だって死刑になった瞬間、彼らは自分と平等になって、それを死んで当然と非難することは、自分を死んで当然と非難することと同じだから。
じゃあ来年は30人を一気に死刑執行しよう、と発表されたらどうだろう?きっと、さすがにやりすぎじゃない?って罪悪感を持ったコメントが来ると思うよ。こんなに大量に処刑して、日本が人権のない国だと思われたらどうするんだ?なんてコメントも来るかもしれない。
でも、きちんと法で決められた通りにしているんだから悪いことではないはずなのに、やはり、人は人が死ぬことにはとても敏感なんだ。そして死刑に人権はあるか?という問題についても考えざるを得ない。今考えないでいられるのは、ここ最近誰も執行されていないからだ。

💎:良いか悪いかなんて価値観は無いのを分かってて聞くけど、死刑は良いことだと思う?

🌊:それは時と場合が決める要素が圧倒的だろうね。僕は、必要ならあるだろうし、必要がなくなればなくなる制度だろうと思うよ。それなら、日本にはまだ必要な理由があるということになる。求める人がいるということだし、それを魂の視点で考えるなら、死刑にされる人にとって死刑が必要なのかもしれない。 君は死刑が好き?それとも嫌い?

💎:好きではない。けど、死刑に対して好きか嫌いかなんて考えたことがないから分からないのが正直な考えかな。好きだって言っちゃったら、人間が廃れる気がするというか…。

🌊:分からないということは、君にとって死刑は必要な制度ではないということだよ。

💎:今でもどういう時に必要なのか分からないよ。独裁国家なら理由がはっきりしてるんだよ、独裁者や独裁政権に不利益なことをやったり言ったりする人は、自分たちにとって有害だから消すしかない。
でも日本じゃ、その人が死刑になることによって、具体的に誰の利益、または権利が守られるのかは不透明じゃん。 条件も曖昧だよ。殺人の人数で死刑判決が下されるわけじゃないし、終身刑とどれほど罪の違いがあるの?とか、はっきりしないこともある。終身刑はだめなの?または、これで死刑じゃないの?と思ったりすることもある。一生独房暮らしと、途中で必ず死ぬのが決定してる独房暮らしじゃ、償い方にどんな違いがあるの?とか。分からないことだらけだよ。どうせ人が人に下してる裁きだから、答えなんてないだろうし。
これから日本が貧乏になって、囚人を養う費用がなくなったとして、どんどん執行していった方が、他の懲役よりコスパが良くて助かるから死刑判決を増やす、っていう合理的な考えも必要になるかもしれない。
すべてを倫理観だけで決めることはできないだろうし。

🌊:僕らから見るなら、死刑も他の刑罰も何の違いもない
どんな人でもいつかは人生を終える。それは誰でも知っているはずだけれど、それでは納得できないから、色々な処罰を作ってきた。
もっと世界が成熟していなかった時代には、目には目を、の言葉通り、抑止力として必要だった法律や刑罰も、世界が成長して君たちの意識のレベルが高くなってきたら、形骸化するものもあれば、意味合いが変化するものも出てくる
日本の死刑は、今や多くの人の戒めのためにあるんだよ。だからニュースになって、君たちがそれを見ることに一番の意味があることになる。
その戒めは、死刑が怖いから犯罪をしてはならないというものではなくて、もっと深いところにある
死んでしまえば、それ以上この世界で何かをすることはできない。足掻くことも恨むことも償うこともできなくなる。だから殺されることは、そのような様々な選択肢を、強制的に奪われるということだ。強制的に奪われることがどういうことなのか、死んだ方も体験するし、見ている方も、実際の体験とは違うけれど、知ることにはなる。
強制的に何かを止められる人生を体験する人は、ほとんどの場合、それが初めての人生ではない。何度も輪廻で人生を繰り返しているはずだ。
通常、地球で生きる場合は自分の意思、それか自我は何よりも強い力を持つ。地球は自由意思と自由選択の学校だからね。学ぶ気持ちがある生徒には、自由に学ばせる校風のはずなんだけど、中には校則やカリキュラムに逆らってばかりの生徒も出てくる。だから何度も落第や留年を重ねて、そのうち学校が何をする場所なのかも忘れていく。だからそうなった生徒は、スパルタな先生と一対一、たった一人の教室で、朝から晩まで授業を受けなければならないクラスに編入させられる。授業以外できないクラスだ、友達との交流や食事も取れない。これが、選択肢を奪われた状態になる。
死んだ後の世界、宇宙にはチャラになる借金はない自分で返すまで何度でも転生してもらうのが宇宙のシステムだ。誰かに肩代わりもしてもらえないし、どこかからまた金を借りることもできない。学校も同じ、誰かから単位をもらうこともできない、留年を取り消したり、知恵袋でテストの答えを質問したりもできない。 強制的死を迎えることで、取りこぼした物を取り戻していく。
死ぬ選択肢すら自由にできないような人生を選ばざるを得なくなる今までの生き方こそ、本当に悔いなければいけないものなんだよ。それを、死刑は見せてくれている。これは善悪で測れるような単純なものではないし、良し悪しもない。ただ、そのような借金の精算、そのような単位の取り直しをしているだけだ。

💎:業だね。死刑という業のあり様を見て、驚いたり、意識を叩き直すのかもしれない。ある意味、死刑は日本的な考え方で成り立ってるのかな。

🌊:日本人があまり死刑に嫌悪感を抱かないのは、そういうこともあるだろうね。自分の不始末を、自分で始末する時が来るってことを、みんな心の奥底では覚えているんだろう。

💎:日本で死刑が廃止される日は来るかな?今は、まだそんな兆しは全然ないよ。コメントだけじゃ測れないけど、賛成している人の方が多いように感じるし、その人たちが反対するような大きな理由も、今の所見つからないし。

🌊:どうかな。必要ではなくなった時、この制度はなくなる。死刑制度にヒビを入れるような死刑囚が、これから出てこないとも限らないよ?国民が死刑のあり方について考えなければいけないような犯罪も起こるかもしれない。

💎:現代では、死刑を執行する警察官とか、それ以外にも死刑囚の看守だったり、死刑に関わる色々な人のメンタル面について言われるようになった。
やっぱり人が死ぬところに直面するから、警察官の心理的負担はものすごい、だから死刑について軽々しく考えて欲しくない、みたいな意見も出てきてる。死刑囚だからと言って、警察官はその人たちが血の通った人間だと思って接してるから、愛着が湧く時はあるだろうし。死刑囚に愛着なんか湧かすな、って言ってもそれは関係ない立場だから言える台詞だと思う。
でも同時に、自分も関係ない立場として言うだけなんだけど、公務員ってそういう仕事だと思う。それが嫌なら公務員はできない。
忘れがちだけど、公務員になるってことは、国に仕える人になるってことだから、相当な理由がない限り解雇されなくて給料も安定してる代わりに、時には国家というデカすぎる村社会が持ってる負の面にぶち当たって対処しなきゃいけないのが、国に雇われるってことなのかと思う。

🌊:なかなか良い理論だね。万人が共感する考えではないだろうけど、ちゃんと一理はあるよ。スイッチを押すのが嫌でもいい、死後、遺体を片付けるのが辛くてもいい。
でも、世の中にはそのような仕事が必要だから存在していて、自分がその仕事に就かされているという事実を、どう受け止めるかがその人の課題なんだ。嫌だと言い続けて解決するのかい?考えなくちゃいけない。
機械にやらせても、結局どこかでは人の手が必要になる。人の手で終わらせることも敬意の表現だと思うよ。
霊界で、処刑された人と話してみれば分かることだけれど、死刑になりたい人はやはり、いないんだ。だが必要があるから死刑にされるし、そのことを本人も受け入れている。殺される方にも、そうして学ぶことがある。でなければ殺人は成立しない。そして殺される方が背負ってきた課題の中に、家族がその人の死後どう感じるかということは、案外含まれていない。家族の心よりも、自分が背負った課題が大きくて大変なものだからだ。
愛する人を失った辛さよりも、殺された人のほうがやはり辛い。こういうものは比べられるものではないけれど、残された人よりもずっと悲しい体験を送った人がいるということは、冷静な頭脳で考えなければいけない。
しかし残された悲しみに、どう向き合えばいいのか。自分がそれを考える人生を選んだという事実も考えなくちゃいけない。



💎:死刑制度といえば、死刑囚表現展ってのを毎回思い出す。死刑囚が獄中で、限られた画材などで描いたアートとか、詩を展示してる。死刑廃止を訴える団体が開催してるものなんだけど、正直に言うと、展示された作品を見ていると、もっと死刑に賛成したくなってくる。絵なんて描かせてもらってるんだから、もういいじゃん、みたいな気持ちというか。
この団体が、この表現展のどこに制度反対の意思を煽る効果があると思っているのかが、自分にはちっとも分からない。作品を見て、やっぱ死刑は間違ってる、と思える人が何人いるのかな。いても少数派だと思っちゃう。

💎:この記事の中に、こんな部分がある。

 表現展で提出された来場者のアンケートの中で、「死刑はなくてはいけない」といった内容を書く人たちはやはり一定数いらっしゃいます。(SNSなどで)そういった議論があることも理解できます。ただ、これだけが生きがいであるという死刑囚が何人もいます。
 一生懸命文字や絵の創作に向き合うことによって、自分の人生や事件をいま一度とらえ返す機会にもなっている。だからといって簡単に反省するということではないのですが、彼ら、彼女らの作品に外側の人たちが触れることによって、同じ人間であるということを認識することができる。それだけでも意味があると思っています。

弁護士JPニュース「『死刑囚表現展2023』が開催 植松聖死刑囚ら283点の作品が展示」より抜粋

💎:これを読んでもいっそう思うよ。これだけが生きがいの死刑囚がいて、創作と向き合って罪とも向き合ってて、それを知った娑婆にいる自分たちも、死刑囚も同じ人間同士だと認識した結果、それがどうかした?だからこそ死刑に賛成できる。自分はそういう意見になる。

🌊:誰がどういう意見を持っても自由だってことは、この団体も分かっているとは思うよ。この団体の人たちだって、本当は多くの人に死刑に反対してほしいなんて、望んではいないんだよ。
死刑囚にとって創作が生きがいなんじゃない。自分たちが彼らに創作をさせて、それを展示することこそが生きがいなんだ。そういう偽善的態度が、君をいっそう、死刑に賛成したい気持ちにさせるんじゃないのかな。
だから君のような人は、死刑囚表現展を見ないほうがいい。何も見なければ、君は本来、死刑に賛成でも反対でもないんだから。死刑囚の創作を展示することに生きがいを覚えてはいけないわけではない。それも自由な意思であり、偽善かどうかを測れる定義はない偽善なんてものさえ、あるかどうか誰も確かめられない

💎:でも、同じく人間であるということは理解してるよ。けど、似たような人間ではないとは思う。誰でも些細なきっかけで、思いも寄らない犯罪に巻き込まれてたり、時には人を殺してしまうこともあるかもしれない。誰でも死刑になる可能性は、限りなく低くてもゼロではない。
そういう意味で、スタートは全員同じ場所に立っていたんだろうとは思う。とは思ってるものの、何をしたらそんな人生になるんだよ、とも思う。死刑執行の日が怖いと思う程度の覚悟で人なんか殺すなとも思うし。そんな覚悟があったらもっと違う人生になるだろうから、過去世すべてで人生を変えられなかった人が足掻いて行き着いた先が死刑なのかな、とも思うし。この問題は終わりがなさすぎる、うかつに手を出しちゃいけなかったね…😅。

🌊:死の在り方を考えることは、生き方を考えるということだ。決して無駄じゃないよ。いつかは死ぬ存在が人間だから、どのようにして死ぬか考えることを避けて通ることはできない。それは自分の死も、他人の死も。
なぜこの人はこのように死んだのだろうか?そう考えることは大切だ。
人の人生を覗き込んだ時、そこには自分がどうやって生きてきたかも見える。死に方も偶然ではないし、その人の決意に満ちているかもしれない。それをあなたはどう解釈する?こういうところをもっと考えていければ、さっさと死刑を執行しろなんて言葉はすぐに出てこなくなるだろうね。
他人の死刑執行はあなたの憂さ晴らしのためにあるわけじゃないからだ。


💎:これは本題とはあんまり関係ないかもだけど、「ある男」っていう映画で、妻夫木聡さんと清野菜名さんが死刑囚表現展を鑑賞するシーンが出てくるの思い出した。この映画はその他にも、死刑囚や在日朝鮮人のこととか、色々な社会の要素が詰め込まれてて、日本アカデミー賞の授賞式の時に妻夫木さんが、細かくは忘れちゃったけど、この映画は日本にしか作れない映画だ、って言ってたのが記憶に残ってて。映画を見てみたら、確かにそうだなと思った。
死刑が続いているのも、表現展が開催できるのも、すごく日本的な考えの上に成り立ってることなのかもしれない。

🌊:そうだね。救わない、ということは、信じて任せている、と見ることもできる。干渉をしないからといって、どうでもいいわけではない。
日本人には、自分が信じるもの以外を排除したり、信じられるように作り変えようとはしない意識が流れている。一見排除しているように、または自分たちの色に染めているように見えたとしても、それができているということは、排除されたり染められている方にも、それをどこかで許す隙や余裕があったということ。
誰もがしたいことをする、誰かがしていることはその誰かを信じて任せる。それが人生のツケを精算しているとしても、徳を積む行いをしていたとしても、すべてを相手に任せる。これはとても難しい行動だ
その点で、僕たち霊は、日本人を見ていつも興味深いと思っているよ。
このような意識を持つ人達の集まりは、そうそうないからね。

💎:今の日本人を見てどう思う?

🌊:日本人の世界観、というより宇宙観は、もちろん長い目で見ればゆったりと変わってはいるのだけど、そこまで激変はしていない。それこそ縄文以前にあった、僕たち霊や人を支配する宇宙の仕組みを熟知して形成した考え方を用いている。
素晴らしい民族だと思うよ?
宇宙には慈悲はない。慈しみも悲しみも要らないからね。
それを君たちは分かっているし、世界が非情であることを受け入れている。だから強いんだ。



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