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映画「マルホランド・ドライブ」の解釈 解説

 ご覧いただき、ありがとうございます🤗
 デビッド・リンチ 監督の映画「マルホランド・ドライブ」の解説です。
 この先、ネタバレの塊ですので、その点、どうかご了承くださいませ。

 この作品は、愛についてシンプルに語られている映画です。
 一般的な本作品の解釈は、前半はダイアンが自殺して死ぬ直前に見た夢の世界、後半はダイアンが自殺する現実世界というものです。
 しかし、私の解釈は、全く異なります。 
 勿論、映画には様々な解釈があって然るべきですし、そこが面白いところだと思います。他の方の解釈を否定するものではありませんし、どの解釈が正解というものではありません。


1 全般

一般的解釈の矛盾

 本作品の一般的解釈は、先程、触れたとおりです。
 しかし、もしも後半が現実であるならば、本作品の終わり方、すなわち、煙に包まれ、クラブ・シレンシオの髪の青い女性が「お静かに」と囁く神秘的なシーン解釈と整合していないように思われます。

一般的な映画レビュー

 この作品のレビューにおいて、「時系列がバラバラであり、よく分からない、分かりにくい」というものが多く見られます。
 なぜ、そのように感じるのかといえば、俳優は同じでも、キャラクター設定やストーリーが前半と後半とでは全く異なるからでしょう。
 難解な理由
 この映画にナレーションはなく、ストーリーテラーとなるキャラクターも存在しません。説明は全くないまま、ストーリーが進んでいきます。
 ですから、観客は常に置いてきぼりとなります。今、何が生起しているのかを理解するのが手一杯、若しくはそのことに固執してしまいます。
 加えて、登場人物の心理説明もないので気持ちを理解しにくく、感情移入をすることが困難です。

私の解釈

 この作品は、全体を通してしっかりと整合され、各シーンのシークエンス(時間軸)もちゃんと時系列に沿っています。
 理解するためのポイントは、本作品を【死ぬほどの辛さ、死んでしまいたいほど苦しんでいる人間の「頭の中の映像」を純粋に表現している】と解釈することです。そうすると違和感なく、素直に理解できるのではないでしょうか。
 更に本作品は、前半のみならず、全てが「まやかしの世界」であり、終始、虚構の世界を描いているのです。
 前半は、ダイアンが現実世界から逃避した世界であり、自分の名前(ダイアン→ベティ)も含め、全てが現実と全く乖離しています。ダイアンにとっての理想の世界なので、一見「ベティ(自分)のサクセス・ストーリー」のようですが、真の目的は、[カミーラに自分の辛い気持ちを伝え、理解させる]ことです。冒頭の赤いベッドが映っているシーンから、この世界はダイアンが眠っているときに見ている夢の中であることが分かります。きっと、彼女が辛い現実から逃避できる唯一の世界なのでしょう。
 後半は、そんな夢から目覚め、納得できない現実に戻り、辛い記憶と憎悪、そして後悔の渦中で苦しむダイアンの脳内世界です。
 ラストのシーンは、懺悔と後悔、死にたくなるほどの自己嫌悪に包まれた脳内世界を表現なのでしょう。
 そして、それぞれのイメージが終わると、煙とともにその世界は消え去るのです。
 子供は、欲しいものが手に入らないと駄々を捏ねる。自分と違う人を否定する。物事の分別は、良いものと悪いものとの2つで判断する。
 しかし、人は成長すると、すべてのものを手に入れることはできないということに気づき、吻合を図って諦め、妥協と身の程を知る。そして、自分は理想の自分にはなれないことを受け入れるとともに、そのことの重要性を理解する。自分の欲しいものと理想にこだわること、そして自分の殻に閉じこもることを止め、自分と世界に向き合い、自分の弱さと現実を受け入れたとき、人は成長する。
この作品は、絶望しているダイアン自身の願いや夢で構成されています。この夢をずっと見続けていたい、この夢の世界を壊したくないと願う気持ちとそうでない気持ち。外部を遠ざけ、自分を放置しておいてほしいという気持ちと誰かに助けてほしいと願う気持ち。
 心地良い夢にするためのご都合キャラも、夢を壊して目を覚まさせるキャラたちも、すべて悩んでいる自分が生み出したもの。
 絶望している現実世界のダイアンは、まだ若い。だから、気持ちを整理して自分を受け入れ、現実の厳しさを知り、成長するためには、この夢を最後まで、そして、時には何度も見る必要がある。そして、何度目かの夢から目覚めたとき、ダイアンは必ず成長していると信じたい。
この作品は、若者が苦悩し、成長するストーリーなのだって思う。

「頭の中の映像」とは

 人は、目で見たものを脳で処理します。ですから、人が観ているものとは、脳で想像したものや意識としての映像であり、人は物事を脳で観ているのです。
 目は、単なる視覚センサーという感じでしょうか。 

虚構と現実との同一性

 人は物事を脳で観ているという点においては、現在と虚構に違いはありません。
 これは、真実(事実に対する自己認識)、思考、感情、記憶においても同様であり、且つこれらは全て主観的なものです。特に記憶というものは、意図的に書換える、若しくは、勘違いなどで書き換えられていることが多々あります。
 過去とは、記憶のことですから、いくらでも書き換えられるのです。
 ですから、現実と虚構は同じ世界であるとともに、同じ価値を持ちます。本作においても、どのシーンが「まやかし」(虚構)で、どこが「現実」(事実)なのかを問うことは、あまり意味のないことだと思います。
 これらの解釈を用いると、本作は最初から最後まで、愛情への強い反動(嫉妬、憎悪、後悔)や辛く受け入れがたい現実からの逃避、それらによって創り出されたダイアンの脳内世界を描いたものといえます。
 そして、まやかしの世界から抜け出す時、すべては煙に巻かれてリセットされ、新たなまやかしの世界が始まるのです。

作品のテーマ

 「愛」の本質、「人」の本質、そして「人が生きる世界」の本質だと思います。
 人は、相手に愛を求め、愛が永遠に続くことを願います。
 しかし、それを失ったとき、人は醜く、恐ろしく、残虐になります。
 愛情とは、感情レベルのかなり高いものですから、その裏返しとして殺意と成り得るのです。出口のない、強い負の感情に支配されている時は、自分の行動が「いくら後悔しても、取り返しのつかない過ち」であることに気付きません。なぜなら、感情とは主観的なものだからです(勿論、「相手の立場で考える」という「自分の中の他人」を人は持っています。しかし、これは理性であり、感情ではありません。)。
 恋愛の真の姿とは、ズバリ、この感情そのものであり、「恋に恋する」レベルや「出会った2人が結ばれるラブストーリー」レベルのものではありません。 
 これらのことから、本作は、人間の愛しさと怖さ、そして、人の生きる世界とは自分の感情や記憶によって作り出された「まやかし」の世界であることを描いているのです。

誰の「頭の中」なのか

 本作は、一人2役、しかも、前半と後半とではキャラ設定が全く異なります。
 ですから、「夢を見ているのは、ダイアン?それともカミーラ?」とか、「前半のダイアンが、後半ではカミーラに入替わっているのでは?」等、そもそも誰の脳内現実なのかという疑問が生じます。
 では、本作は誰の「頭の中」なのでしょうか。
 作品において、それは明確に示されません。夢を見ているのは、ダイアンなのか、カミーラなのか、若しくはそれ以外の誰かなのかは、不明です。 
 ここで思慮すべき点は、この作品において、自分自身のことを明確に語っているのは、後半部分のダイアン(以下「後半ダイアン」と呼びます。)のみであるということです。
 自分の名前は、[ダイアン・セルウィン]で、カナダの出身。その田舎町のジルバ大会で優勝し、夢を見てL・Aに来たものの、今は売れない女優であること。そして、叔母は死んでいることを話します。
 この考察を踏まえると、夢を見ている人、即ち、この物語の主は、ナオミ・ワッツ演じる後半ダイアンなのだと思われます。 

2 前半・後半・ラストシーンの概説

前半

 前半は、ダイアン本人が寝ている時に見ている夢、即ち「願望世界」でしょう。
 ただし、2つのシーンだけは、現実世界のものだと思われます。
 一つ目は、冒頭の赤いベッドのシーンです。微かな寝息が聞こえるだけで、人物は画面に映し出されることはありません。寝息は、きっと現実のダイアンでしょう。
 もう一つは、カウボーイに「起きろ」と言われるシーンです(死体の方ではなく、もう一方の綺麗な体の方です。)。こちらは、夢から目覚める直前のダイアン本人でしょう。
 さて、前半部分のストーリーは、カミーラとの関係を初めからリセットする内容です。その目的は、カミーラに自分の気持ちを理解させ、思い知らせることです。
 勿論、カミーラとやり直したいという願望も含まれているのでしょう。しかし、前半の展開から読み解くと、この願望の優先順位は少なくとも次順位以下であり、且つ、それは目的というより手段(過程)として使われていると思われます。
 現実世界において、女優として開花しないダイアンにとって、カミーラは唯一の支えだったのでしょう。
 しかし、ダイアン本人は、カミーラに捨てられ(たと思っている)、どんどん幸せになっていくカミーラを見せつけられ(アダムのカミーラにたいする演技指導、婚約パーティー)、侮辱感を募らせます。
 そのショックと屈辱は、当然に強い負の感情(絶望、悔しさ、憎悪等々)となり、必然として殺意へと繋がったのでしょう。
 反面、強く殺意を抱いたことに、深い後悔を抱きます。
※実際の殺害依頼及び殺害の有無は不明です。
 そしてダイアン本人は、カミーラに対し、その感情、未練、愛情、辛さ、苦しさを伝え、理解させ、自分と同じ辛さを味合わせたいと強く願ったのでしょう。
 現実世界において、殺された又は大女優として成功したことで、手の届かない存在になってしまったために叶わなかったこの願いを夢の世界で叶えるのです。 
 ただし、関係が悪化した自分自身とカミーラをそのまま夢で登場させても、カミーラに気持ちを理解させるのは無理でしょう。現実世界の繰り返しとなり、揉めるだけす。そこで、カミーラが素直に理解するよう、夢で設定を次のように再構築します。
① 自分とカミーラを現実世界とは全く違うキャラにする。
 自分は、才能あふれる前途有望な新人女優であり、素直で優しく、前向きな"ベティ"として登場。
 一方、カミーラには記憶を無くさせ、自分を一途に愛してくれる"リタ"として登場させる。しかも、演技は超ヘタです。
② カミーラが現実世界を思い出さないよう、登場人物の全てを別キャラにして、現実世界と全く違う世界を構築する。
③ 2人は、出会うところからやり直し、(現実では成し得なかった)素直で良好な関係になる。
④ ストーリーが進むにつれ、ダイアン本人の気持ちをカミーラが徐々に気付けるよう、随所でイベントを設定する。
 例えば、ウエイトレスの名札「ダイアン・セルウィン」をリタに見せることにより、17号室へ連れていくトリガーにするのです。
 そして、前半のクライマックスは、自分の気持ちをクラブ・シレンシオでカミーラに伝えるイベントです。
 自分の気持ちを泣き女が表現し、カミーラが泣きながら自分を捨てたことを悔やむ。この結末が前半である、ダイアンの夢の終焉なのです。
 勿論、この夢は、夢の主であるダイアン本人が「こうなってほししかった」と渇望しているものですから、当然、思いとおりになる身勝手な自己都合ストーリーです。(ですから、実際には死んでいる(と思われる)ルース叔母さんすら、生きて登場するのです。) 

後半

 まるで現実世界(事実)のように見えますが、引き続き、ダイアン本人の「頭の中」の映像です。
 ただし、夢(前半)から目覚めた後の脳内世界です。
 各シーンは、①カミーラとの関係が終焉している辛い現実であり、②その中で思い出している屈辱的な記憶(カミーラから関係の終焉を告げられた日)、③屈辱感を味わった時間、殺意を抱いた瞬間であり、④殺意を抱いたことに対する懺悔を表しています。
 そして、この展開のシークェンスは、まさにダイアンの脳内世界で起こっている順番なのです。
 注意すべきは、ダイアン本人の記憶に基づいた「真実」であり、決して現実世界で起こった「事実」ではないということです。即ち、後半の世界も「まやかしの世界」なのです。

ラスト・シーン

 そのことを最も表現しているのが、最後の自殺シーンです。
 ここは、ダイアンの様々な感情が溢れ出し、最終的に「ワーッ!!」と混乱し、「あなたも自分も大嫌い。(あなたを殺して、)私も死ぬわ」と自分を追い詰め、死んでしまいたいという心理描写です。
 決して、実際に自殺したわけでも、死んだわけでまありません。苦しくて死にそうなのであり、死ぬほど辛いのです。それは、銃を撃った後、全てが煙で包まれることから読み取るとこが可能です。現実逃避といえばそれまでですが、死ぬほど悩んでいる人間の頭の中は、みんな同じではないでしょうか。
 そして、最後にクラブ・シレンシオが登場するということは、後半部分の「まやかしの世界」も閉幕したということでしょう。
 髪の青い女性が「お静かに」と最後に話すことでこの映画は終わりますが、この後には、どんなストーリーが似合うのでしょうか。
辛い現実から逃避するため、夢を何度も繰り返し、煉獄のような世界に閉じこもるダイアンの話でしょうか。
それとも、自分と現実に向き合い、それらを受け入れ、成長していくダイアンの話でしょうか。

3 難解なポイント

「the girl」は、特定のキャラを示す

 「the girl」は、全て「カミーラ・ローズ」を指しています。
 ただし、「カミーラ・ローズ」は、ローラ・ハリング版とメリッサ・ジョージ版が存在しています。そのどちらもカミーラですから、両方とも「the girl」です。なお、どちらのカミーラかを示す必要があるときは、写真で指定されます。 
 「the girl」というセリフを喋る登場人物は、以下のとおりです。
・ミスター・ローク「女はまだ見つからない。(The girl is missing)」
・カスティアリーニ兄弟、カウボーイ 「主演はこの女だ」(This is the girl)
・アダム(映画のオーディション) 「主演はこの女だ」(This is the girl)
・ダイアン(ジョーへの殺害依頼)「この女よ」(This is the girl)
青いアイテムの意味
 青い鍵と箱についてですが、現実世界のものは漢字表記、脳内世界のものはカタカナ表記します。

青い鍵

 現実世界における青い鍵は、「カミーラ殺害の成功」を意味するものであり、鍵本来の役割である「何かを開ける」ためのものではありません。
 一方、前半の夢の世界における青いカギの使用用途は、ハコを開けるというものです。デザインは、オモチャのようなファンタジーなものです。この様に形状や使用用途を完全にすり替えている理由とは、「この夢の世界では、カミーラは、誰かに殺されそうになったという話はあるものの、犯人は不明。少なくともベティは、カミーラ殺しとは無関係であり、ダイアンによるカミーラ殺しもなかった」ことになっているためです。ファンタジーで可愛いデザインは、殺人(憎悪、殺意)を連想させないためであり、色が同じなのは、青い鍵と殺害依頼との無関係性を殊更に強調するためです。

青いハコ

 このハコのデザインもファンタジーで非機能的なものであり、何かを入れるという現実的なものではありません。
 なぜなら、このハコは、(浦島太郎の玉手箱のような)夢から覚めるためのアイテムだからです。
 このハコは、クラブシレンシオでカミーラが泣いた直後、いきなり鞄から登場します。それは、泣き女の歌によって自分の気持ちをカミーラに思い知らせるという目的を達成したタイミングだからです。即ち、夢から覚める時が来たのです。
 逆に、この目的が達成するまでは、何があっても目覚めるわけにはいきません。ですから、ハコの施錠機能は厳重で、最初から鍵が掛かっているのです。

色々なシーンで出てくる共通物

 前半でデローサが忘れ物として持っていくピアノの灰皿は、後半でカミーラと最後のHの時に部屋に置いてあります。このことから、このHの時期は、デローザが訪ねてくるより以前であることが分かります。
 茶色のコップが、ウィンキーズでダン、ベティが使用しつつ、17号室でも使用されています。
 冒頭に出てくる赤い毛布は、17号室の死体にも被さっています。

電話の役割

 この作品において電話は、前半の願望世界とその外側(ダイアン本人の意識、ミスター・ロークのような夢を管理している世界)、後半ではダイアンの部屋とその外側の世界といった、別の世界を繋ぐアイテムとして解釈できます。
前半
・ミスター・ローク(管理側)「女は、まだ見つからない」
 →前半における各シーン担当者(表舞台側) →各シーン担当者間「同じだ」
・ルース叔母さん(ダイアン本人の良心)「早く警察へ」 →ベティ
・ベティ、リタ
 → D.セルウィン「私よ。メッセージをどうぞ」
  (留守電。ダイアン本人。後半ダイアンと同じ声)
・ミスター・ローク(管理側)と思われる。 →デローザの12号室で電話が鳴る。足止め?
後半
・カミーラ(婚約パーティーのお誘い)
 →後半ダイアン「私よ。メッセージをどうぞ」
  (留守電。赤いランプの部屋。12号室?) 

 また、電話とその前後の流れが、前半部分と後半部分とでは、対になっているようです。
 これは、現実のダイアンが婚約パーティーで受けた強いショックを(自分の)死体で見せることでカミーラ(リタ)に思い知らしてやりたい、という感情の表れでしょう。
 カミーラへの仕返しであり、気持ちを理解してほしいという願いなのだと思われます。
 ①前半では
 リタがD.セルウィンへ電話
   → 留守電   → 17号室へ →リタが死体を見る。→ リタがショックを受ける。
 ②後半では
 カミーラがダイアンへ電話 
  → 留守電  →婚約パーティーへ →後半ダイアンがショックを受ける。

まやかしからの解放アイテム

 前半は青いハコ、後半は銃がそれぞれのまやかしを終了させるアイテムです。 
 青いハコはメルヘンな夢、銃は生々しい殺意という、それぞれのストーリーを象徴しているようです。

4 各シーンの意味

 理解しやすくするため、前半のシーンを中心に概説します。 
 まずは、前半のストーリーについてです。 

夢の舞台のお膳立て

 理想のカミーラ
 カミーラは、エドの刺客により車内で殺されるはずでした。
 しかし、ジョーの手配した暴走車による事故によって、殺されずに済みます。
 その後、2人の刑事の発言により、カミーラは“この町のどこかで生きている”ことが明確化され、記憶を無くすことで前半における「理想のカミーラ」ができあがります。
 舞台準備
 まず、殺害依頼を目撃した可能性のある人間(ダン)を消します。
 そして、ミスター・ロークが各シーンの担当者に「カミーラが生きていること」を伝えます。
 カミーラは、ルース叔母さんの家へ入り込みます。ここで再出発ドラマの準備が完了します。
 いよいよ主役のベティが登場し、現実世界のダイアンの部屋の電話が鳴ります。ダイアンとベティが繋がったことで、ダイアン本人の夢である「ベティのサクセス・ストーリー」が開幕します。
古めかしいいダンスシーン
 この一連のシーンは、若い女性が飛行機で出会った老夫婦(イレーヌ)と話が盛り上がったことを示すものでしょう。
 その内容は、きっと「私たちも、昔、ダンス大会で優勝して、ハリウッドに来たのよ」という老夫婦の思い出であり、だからこそ、田舎の古めかしいジルバ大会の映像なのでしょう。ハリウッドで成功したイレーヌの話に、女優としての輝きに満ちた未来を重ね、胸を躍らせている若き女性ベティ。
 きっと、老夫婦との出会いは、ダイアンが初めてLAに到着した時の実話なのかもしれません。 
 この若き女性、現段階では名前が出てこないので、ダイアン又は前半の夢におけるベティなのかは不明です。というか、その両方なのでしょう。ダイアンの記憶(回想)であり、前半の夢物語のスタートでもあるわけです。
 その後、飛行機から降りると老夫婦は、この女性は「ベティ」と呼びます。)
 なお、踊っている女性が赤毛なので、ルース叔母さんの過去という可能性もあります。
 カナダの田舎町のジルバ大会で優勝したルース夫婦とダイアンが(ルースの生前に)語り合った昔話で、その話に期待を膨らますダイアンの姿かも知れません。
 ただし、ルースはこのシーン後にすぐ現れますし、老夫婦と全くの別キャラであることを考えると、ルースではないのでしょう。
老夫婦のセリフは意味深い
 この老夫婦は、“まやかし”の世界へ導き、最後には現実へ戻すという道先案内人なのでしょう。
 ひょっとして、“まやかしの世界”の顛末を知っているのかもしれません。
 「ベティ、今度はスクリーンで会えるのを楽しみにしているわ」という台詞の「スクリーン」とは、「この後に始まる物語」というニュアンスに聞こえますし、「今度」とは、“まやかしの世界”の最後(の自殺シーン)に再会することを意味しているのでしょう。
 そして、タクシーで笑っているのは、「さあ、物語が始まったわ」というような含み笑いに見えます。

赤い毛布と寝息

 赤い毛布の部屋が映し出され、(リンチは、赤色を女性の体内=愛情の意味として使うことが多いようです。)、寝息のような微かな音も聞こえます。
 これは、今までの映像も、これからの始まるストーリーも、寝息の人の夢であるということでしょう。

カミーラ殺人(未遂)事件がここで起きる理由

 標識のMULHOLLAND DR.という文字が照らし出されます。これが映画のクレジットとなります。
 そして、カミーラ殺人(未遂)事件が起こります。
 後半、ダイアンはパーティーで屈辱を受け、カミーラへの殺意を抱きます。
 そのパーティーへ向かう車から降りた場所がここであり、ショッキングな出来事はここから始まったのです
 だから、カミーラ襲撃は、ここで行われようとしていたのでしょう。

暴走車の事故がここで起きる理由

 暴走車の事故がここで行われる必要性は、3つあります。
 1つ目は、カミーラをリタとして登場させるためには、カミーラから今までの記憶を喪失させる必要があります。そのための強い衝撃をカミーラに与えるものです。
 2つ目は、カミーラは殺害されなかったという話を作為するためです。これは、「自分の依頼した殺害計画は失敗し、ダイアンは生きている。自分のせいで死んだわけでわけない。」という話へすり替えるため、交通事故が起こるのです。そして、この理由は、更に2つあります。①カミーラを前半のストーリーにおいて、リタとして登場させるためです。②ダイアンがカミーラの死を願ったことへの後悔です。
 3つ目は、カミーラが自分にした酷い仕打ちを強い衝突としてカミーラに味併せたかった、というものです。

暴走車は、ミスター・ロークの仕業 

 この暴走車による事故は、前半のベテストーリーにおいて必要不可欠ですから、意図的且つ計画的なものです。その意図とは、ダイアン本人によるものであり、指揮を執っているのはミスター・ロークでしょう。
カミーラが街を怯えて逃げる理由
 カミーラは、楽しげに歩く恋人たちから隠れるように行動します。なぜ隠れるのかといえば、誰かに命を狙われており、しかも、信頼していたドライバーが銃を向けてきたわけですから、「また、いつ、どこで誰が襲ってくるか予測不能。すべてを警戒しなくては」という心理なのでしょう。ですから、何気ない人たちにも最大限の警戒をしているのでしょう。

イヤリングの話が出てくる理由

 刑事がイヤリングについて会話するくだりがあります。
 このイヤリングは、実はカミーラがパーティーで装っているものです。このイヤリングが外れるということには、2つ意味があります。
 1つ目は、カミーラとアダムの仲を引き裂きたいというダイアンの思い。
 2つ目は、自分(ダイアン)にとって都合のいい存在である“リタ”にとって邪魔なイヤリングを外させるためです。

ルース叔母さんは何者か

 後半におけるダイアンの話では、ルースは既に死んでおり、女優としても有名な感じではありません。
 しかし、前半のストーリーでのルースは、有名な女優として活躍中です。それは、前半のストーリー上、ベティには「現役の大女優である自分の知人」が必要であり、そのご都合キャラとして「生きているルース叔母さん」が作り出されたのです。
 その理由は、2つあります。 
 1つ目は、「大女優の豪邸で生活したかった」という憧れを叶えるためです。ベティが豪邸で生活を始めるためには、それを可能にする要素が必要です。豪邸を持つ大女優が親族に存在すれば、自然な成り行きを作為できます。きっと、ダイアン本人が実際に住んでいたアパートとは掛け離れていたのでしょう。 
 2つ目ですが、ベティは「チャンスや人脈に恵まれている、前途有望な新人女優」という設定にするためです。そのためには「映画界で名の通っている有名な関係者」が、ベティの知人として必要です。

 ということで、ルース叔母さんの存在意義は、豪邸をベティに提供する大女優、その家の維持管理者、そしてベティにチャンスと人脈を与える親族です。 
 逆に、それら以外のことは、ルース叔母さんの任務対象外であり、関与することはありません。
 例えば、ルース叔母さんにとって、カミーラとは知る必要のない存在であり、存在していないのと同じなのです。ルース叔母さんが玄関へ入るダイアンに気付かないシーンは、その表現だと思います。ルース叔母さんには、リタは見えないのでしょうし、見えている必要もありません。
 このことは、映画全般を通して各登場人物にも言えます。
 各登場人物は、ただひたすら自分の役割をこなすために存在しています。勿論,自分たちに役割を与えられているということや、自分たちが存在している世界が虚構であることを知る由もありません。ですから、彼らには裏も表もなく、自分の役割以外のことを知ることもなく、関与もしません。
 ベティもその1人です。彼女は、カミーラにダイアンの気持ちを伝えるためのキャラですが、そのことを自覚しているわけではなく、ましてや、それがダイアンの意思によるものとは夢にも思っていないでしょう。ベティは、自分の意思で行動していると思っています。
 ココは純粋にアパートの管理人、デローザは部屋を変わっただけの隣人。
 ただし、ミスター・ロークとその組織(カスティリアーニ兄弟、レイ、ジョー)は別です。管理する側ですから、ストーリー全般をお見通しです。

ファミレスの男3人の意味

 憶測ですが、現実世界において、ダイアンが殺害依頼をしている時、ダンのような風貌の男(見知らぬ他人)がレジに立っていたと思われます。
 そして、ダイアンは、自身が怯えていたことも手伝い、「この男は目撃していた」と認識したのでしょう。ですから、この目撃者は、ダイアンにとって世の中から消えてほしい邪魔な存在なのです。(なお、この男が殺害依頼の話を実際に聞いたのかは不明ですが、本作はダイアンの脳内現実の世界ですから、聞いたかどうかは問題ではありません。)
 しかも、この男が前半のストーリーに登場してしまうと、ダイアンがカミーラ殺害を依頼したことを思い出すこととなり、悪影響を及ぼす邪魔な存在です。

 この理由から、この男を前半のストーリーの舞台裏で消す必要があります。
 この目撃者を「ダン」と名付け、ウィンキーズの裏で殺し、座っていたテーブルを綺麗に片づけ、この世にそもそも存在していなかったことにしたのです。
 こうした舞台裏で動くのは、後述するミスター・ロークの組織です。
 ハーブは、この組織の1員なのでしょう。ハーブの恰好は、紳士的で、ジョーの真逆です。
 これは、ダンを消すキャラをジョーと対照的なペルソナで登場させることにより、ジョーとカミーラ殺しと無関係性を高める作為です。
 なぜなら、この世界ではカミーラ殺害はなかったことになっていますから、目撃していたダンを消す役が、目撃されていた側の殺し屋ジョーではリアルすぎますから、この2人のキャラクターを乖離する必要があるのです。 
 そして、ダンを死に至らしめるホームレスの姿とは、ダイアンが最も成りたくない「ハリウッドで夢破れ、落ちぶれた女優の成りの果て」を投影した姿だと思います。

ミスター・ロークは何者か

 ミスター・ロークは、前半のストーリーがうまく成立するために裏舞台で管理している存在です。
 即ち、ダイアン本人の脳幹的存在であり、前半のストーリーを遅滞なく進めるために準備を整えて調整し、進行を妨げる存在を排除し、エンドステートを見据えて奮闘する、映画監督や舞台演出家のような存在です。

 例えば、ミスター・ロークが「女は、まだ見つからない(The girl is missing)」と電話で話します。
 探している女とは、事故現場から逃げ出したカミーラでしょう。探しているというより、カミーラが事故現場に居ないこと、即ち、殺されずに無事であるこおを伝えていきます。
 前半のストーリーにおけるカミーラは、「殺されそうになったけれど、事故によって逃げ出し、記憶を失ってベティの元へ行き、リタという別キャラとなる、という設定です。ですから、カミーラ・ローズが行方不明になっている(The girl is missing)とは、前半のストーリーが予定通りに進んでいるということでしょう
 ミスター・ロークの発言を皮切りに、様々な場所へ「同じだ」と電話で伝わっていきます。シャンデリア部屋は、クラブ・シレンシオ、緑の壁の汚れたキッチンは、パーク・ホテル(後にアダムが泊まる)。そして、最後の赤いランプは、ダイアン本人の部屋でしょう。

リタの眩暈(めまい)

 リタは、眩暈を度々起こします。これは、リタ(を通じてダイアン)が(思い出したくない)現実を思い出しそうになったときに起こります。
 言い換えると、現実の記憶に近づくと、リタ(を通じてダイアン)の頭が混乱するということでしょう。
 そして、この混乱は、リタだけに起こる特異な現象です。それは、リタが特別な存在だからであり、前半のストーリーにおいて、「リタ」と「リタ以外のキャラ」とに分けることができまです。
 前者は、「実在キャラのコピー」、後者は「実在キャラと全く異なる架空キャラ」です。

 まずは、「リタ」(実在キャラのコピー)という特別で唯一の存在についてです。
 リタは、夢の中でダイアンの気持ちをぶつける相手ですから、実在のカミーラと同一である必要があり、実在のカミーラと乖離したキャラでは、意味がありません。
 そこで、リタは「記憶を失っている実在カミーラ」として前半のストーリーに登場するのです。
 このことから、【リタは、前半のストーリーにおいて、実在キャラとオーバーラップしている、唯一無二の特別キャラ】と言えます。ですから、リタだけが「現実を思い出しそうになる」ということが起こるのです。
 ベティの故郷話は、ダイアンのことですから、カミーラを現実に近づいてしまったのでしょう。

 次は、「リタ以外のキャラ」(実在キャラと全く異なる架空キャラ)についてです。
 前半のストーリーに登場するキャラは、リタを除き、現実世界の誰かを基にダイアンの願望で作り出された架空のキャラであり、現実のペルソナと全く異なります。
 ですから、現実世界との相関が断ち切られています。実在キャラと繋がっていないので、現実を思い出すこともなく、目眩を起こすということはありません。

アダムの映画会議

 エスプレッソ
 カスティリアーニ兄弟がエスプレッソを吐き出すシーンの意味は、以下のとおりです。
 不味そうに飲んでいる彼(カスティリアーニ・ルイージ)は、後半部分のアダム・ケシャーとカミーラの婚約パーティーでダイアンと目が合う男性です。 
 ダイアンはこの時、屈辱に耐え、涙を堪えてコーヒーを飲んでいましたので、きっとこの男性が印象に残り、前半のストーリーでは嫌な役にしたのでしょう。
 エスプレッソは、そもそも非常に苦い味ですが、このコーヒーは、彼女の人生で最も美味しくなかったコーヒーだったのでしょう。

もう1人のカミーラ

 カスティリアーニ兄弟は、映画の主演をカミーラ・ローズ(メリッサ・ジョージ)にしろと命じます。
 その理由は、「カミーラ・ローズ」というキャラクターの入替えです。
 前半のストーリーでは、リタとベティは、必ず結ばれなければいけません。
 ですから、カミーラが記憶を無くしてリタとなった以降においては、「大女優カミーラ・ローズ」が不在になってしまいます。
 その穴埋めとして、メリッサ・ジョージが「カミーラ・ローズ」を引継ぎます。
 前半のストーリーの進行は、ミスター・ロークが舞台裏で管理していますから、カミーラの引継ぎを誰にするのかという決定や、それを発表するこの会議を(裏で)仕切っているのは、彼でしょう。

 しかし、別人の「カミーラ・ローズ」について、3つの疑問が生じます。
・「カミーラ・ローズ」を代替にしてまで、登場させる必要がそもそもあるのか?
・映画「シルビア・ノース物語」において、別人のカミーラ・ローズをなぜ主役にするのか? 
 現実世界においては、ダイアンは「シルビア・ノース物語」のオーディションを落選しているようであり、屈辱感を味わった映画です。
 むしろ、「ダイアンのゆめなら、ベティが主役になるという流れの方が都合がいいとのでは?」という疑問が生じます。
・なぜ、メリッサが新たなカミーラとして指定されたのか?です。
 これらの理由は、3つ考えられます。
① 認めたくない辛い現実への言い訳とカミーラへの嫉妬
 現実世界でダイアンは、ボブ・ルッカー監督に評価されず、「シルビア・ノース物語」の主役を掴めなかったようです。
 ダイアンは、この辛い現実を前半のストーリーで都合よく再構成します。
 その内容は、「シルビア・ノース物語で落選しけど、自分の実力不足ではない。監督に見る目がなかったからだ。」というものです。きっと、実力不足を認めたくない「言い訳願望」があったのでしょう。
 また、「大女優カミーラ・ローズは実力ではなく、裏社会の工作が介在したから売れていく、卑怯な女優」であったという、カミーラへの嫉妬があるのでしょう。
 そして、後半で現れる「カミーラの新しい彼女」である憎い女(メリッサ・ジョージ)を「実力のない卑怯な女優」であるカミーラにすることで、メリッサに仕返しを図るのです。
② メリッサを「カミーラ・ローズ」へ充てることにより、本来のカミーラをリタ(ベティの恋人)に専従させます。そうすることにより、リタを「大女優」や「アダムの婚約者」から遠ざけるのです。
③ カミーラを匿い、メリッサ・ジョージの命を狙わせる。
 命を狙われたカミーラをそのまま「カミーラ・ローズ」にしておくと、また命を狙われるかもしれません。
 そこで、カミーラを「リタ」という別名キャラとして自宅に匿うことにより、カミーラの命を守ります。その一方、憎い相手であるメリッサを「カミーラ・ローズ」にするのです。

殺し屋の会話の内容

 エドがジョーと会話している時、エドが「そんな事故、予測できねえよな」と話します。
 このセリフを具体的に噛み砕くと、「カミーラを殺害しようとしたら、突然、暴走車が突っ込んできて、殺害計画が台無しになった。そんな交通事故、予測できないよな」というものでしょう。
 そして、この台詞が意味するものとは、あり得ない事故、すなわち「現実には起こらなかった事故」であるということです。
 この事故は、ミスターロークの企てであり、その必要性は前述したとおりです。

エドの有名なブラックリスト

 ダイアンは、現実世界の辛く、悩んでいる現状の自分の姿をカミーラに見せようとします。
 その方法は、死んだような現状の自分の姿を、死体としてダイアン(リタ)に見せつけるというものです。
 そのためには、ダイアン(リタ)を自分の家へ誘い出す必要があります。
 そこで、エドが持っている(自分の電話番号、住所が記載された)電話帳をリタが見るという状況を作為する必要があり、まずは黒子役のジョーに奪わせるのです。
 そして、ベティとリタが「D・セルウィン」を探すシーンで、あえてこの電話帳を使わせるのです。

 因みに、ジョーとエドの会話で、「それはあれか?エドの有名なブラックリスト」(ジョー)、「すべての記録。電話帳。“the history of the world in phone numbers.”」(エド)。
 「the world」を「自分の頭の中=前半のストーリ」と解釈すると、「the history(of the world)」は「(自分の)記憶」といった感じでしょうか。

殺し屋ジョーは、ダイアンを守護役

 ミスター・ロークの指揮の下、前半のストーリーを進行させるため、舞台裏で行動するのがジョーです。ですから、ジョーは、カミーラの命を狙っているエドの始末も担当します。
 これは、ダイアンの「カミーラには生きていてほしい」「死んでほしくない」という願いや後悔の反映でしょう。ですから、ジョーの台詞の「あいつの下で働いてる」の「あいつ」とは、ミスター・ローク、即ちダイアンの良心部分と解釈できます。
 また、この前半のストーリーでは、カミーラ殺害(依頼)がなかったことにするため、カミーラが無事でいるようにジョーをカミーラの守護役として活躍させた、ということもあるのでしょう。
 これは、現実世界では殺害の実行役であるジョーを守護役にすることで、ダイアンによる殺害依頼を帳消しにするというダイアンの意図が反映されているのでしょう。

ルース叔母さんの電話

 ルースは、「リタなんて知らない。警察へ早く連れていけ」というようなことを話します。
 この理由は、いくつか考えられます。
① ルースは、現実世界とこの世界、ともにカミーラとの接点はありませんから、カミーラ(又はリタ)を知っているわけがありません。知らない人が家に上がり込んでいたら、「警察へ」という対応は自然でしょう。
② ダイアンは、ルースの遺産でカミーラ殺しを依頼したようです。
 ダイアンのルースへ申し訳なさ、お金を殺人に使うことへの罪悪感・抵抗感が表れかもしれません。きっと「ダイアンの良心部分」がルースの言葉として発せられるのです。
 ですから、ルースからの電話というのは、前半のストーリーの外側、即ちダイアン本人からの電話、という解釈ができます。
③ 命を狙われているカミーラを早く安全な場所である警察の保護下に置けという意味しょう。

泣いているリタ

 リタは、「自力では記憶を戻せない」ことを嘆いているのでしょう。
お金と青いカギの登場
 お金と青いカギは、ジョーの登場に伴って登場します。 
 カミーラ殺害の報酬金であるこのお金と殺害達成の合図である鍵を、なぜか殺される側のカミーラ(リタ)が持っています。もちろん、リタは、なぜ自分が持っているのか分かっていません。
 このシーンの意味は、前半のストーリーにおいて、「カミーラ殺害依頼は、存在しなかった」ということの強調表現と思われます。
 リタが持っているということは、「ダイアンは無事であること」「ジョーにお金は支払われていなかったこと」を意味しており、「そもそも殺害依頼は存在しなかった=そもそも、このお金とカギって何だっけ?」ということでしょう。

レネエ(娼婦)

 ジョーは、「ヨレヨレのブルネット」を探しています。
 これは、カミーラのことでしょう。ただし、殺し屋としてではなく、リタの命を守るだと思います。 

アダムは、逃げることができない

 アダムは、知人であるホテルの従業員から、「あんたが誰から逃げているにしろ、居所はバレてる」と言われます。
 アダムは、ダイアンの復讐ターゲットの1人ですから、この世界の主であるダイアンから逃れることは、無理でしょう。

赤いランプの部屋、娼婦、ジョー

 前半のストーリーに登場する人や物は、現実のダイアンの記憶(経験)に基づいているものだと思われます。
 では、どんな記憶なのでしょうか。

 まず、パーク・ホテル、赤いランプの部屋について考察してみます。
 因みに、パーク・ホテルとは、全財産を無くしたアダムが逃げ込む、知人のホテルです。
 このボロ・ホテルへアダムを入れ込むのは、アダムに対するダイアンの仕返しでしょう。
 そして、多分ですが、前半のストーリーにおけるアダムへの仕返しとなるボロ部屋、ミスター・ロークの部屋、クラブ・シレンシオは、すべてこのホテルに存在しているという構図ではないでしょうか。
 現実世界において、LAに来たばかりのダイアンは、きっと、パーク・ホテルのようなボロ・アパートの「赤いランプのような部屋」で生活を始めたのではないでしょうか。

  次にウェイトレスや娼婦、ジョーとの関係についてです。
 ダイアンは、期待を胸に数々のオーディションを受けるも不合格、女優で活躍できなかったようです。
 きっと、ウエイトレスや娼婦として生計を立てたのでしょう。
 ベティとリタが入ったファミレスのウェイトレスの名札に「ダイアン・セルウィン」と書いてあるのは、そのせいでしょう。
 そして、メリッサ・クライダー(ウェイトレス)やレネイ(娼婦)も、ショートヘア、ブロンドヘアで、どことなくベティに似ています。ダイアンの過去の記憶の投影キャラなのでしょう。
 ジョーとは、娼婦をしているときに知り合ったのかもしれません。

 彼女の部屋(赤いランプの部屋)の電話機の横には灰皿があり、その中には茶色いフィルターのシケモクが溜まっています。
 このタバコを吸うのは、ジョーだけです(アダムもタバコを吸いますが、白いフィルターです。)。
 このことから、ダイアンは、(カミーラと知り合うまで)ジョーと付き合っていたと思われます。彼女の部屋で同棲していた可能性もあります。

 その後、「シルビア・ノース物語」のオーディションでカミーラと知り合います。
 そして、シエラ・ボニータへ引っ越し、カミーラと愛し合い、役者としては、カミーラから小役を貰っている状況です。

 しかし、大女優となったカミーラにフラれてしまいます。
 ここからは、現実にあったかどうかは不明ですが、元カレのジョーへ殺害を依頼し、姿を消すため、デローザと部屋を交換したのでしょう。
 こう考えると、ダイアンという人間は、感情的で起伏が激しく、嫉妬深い性格で、ヤサぐれ、娼婦のような外見なのかもしれません。
 そもそも、前半のストーリーの目的は、とても自己中心的なものです。「自分の気持ちを相手に理解させる」と願っているものの、相手の気持ちや行動は理解していないようです。
 まさに後半のダイアンそのものです。
 カミーラにフラれ、オーディションに合格しないのも、無理のないことかもしれません。

 一方、カミーラは、何に対してもオープンで、多くの人と関係を持ち、物事を重く考えずに「みんなで楽しく過ごしましょう」というタイプに見えます。
 そして、カミーラのダイアンに対する行動は、友達としてもう一度やり直したくてパーティーに呼んだのかもしれないし、演技指導をベティに見せて、演技を上達させてあげたかった、という愛情があったかもしれません。

ダイアンは、シエラ・ボニータ

 ベティとリタは、D・セルウィンの住所がシエラ・ボニータだと探しだします。 
 ここは、きっと現実にダイアンの住所なのでしょう。

カウボーイと「もう一度会う」とは

 カウボーイは、アダムに「うまくいけば、もう一度、私に会う」「間違えたら、二回会うことになる」と言い残します。
 ただし、この後、アダムはカウボーイと会いません。
 この解釈ですが、この世界を見ているのはダイアン本人ですから、アダムに対して発する言葉は、この世界を夢見ているダイアンへのメッセージとも言えます。この後、カウボーイが死体を起こしにきたのが「もう一度、会った」ということであり、「アダムは、正しい判断をした」、即ち前半のストーリー」は予定通りに展開したということでしょう。 

台本の内容

 この台本は、ダイアンのカミーラに対する想いが詰まっているようです。
 特に「早く出て行って。私が殺す前に」というのは、後半の展開に通じる心情のようですし、「大嫌いよ、あんたも私自身も」は、最期の自殺シーン(仮想)と繋がっているようです。

ボブ・ルッカ―監督は、古くない

 ウッディは、オーディションの演技直前に「この前の黒髪の女性の時と同じようにやりたい」と発言します。
 きっと、カミーラ・ローズがベティよりも先に、即ち記憶を失う前にオーディションを受けていて、その時に監督はカミーラを主演に決めていたのでしょう。
 そして、ボブは、終始、曖昧な態度です。
 周囲のスタッフたちは、そんなボブに対して「ベティという凄い新人を発掘したのに、ボブは見る目がないのか?」という態度です。
 レニーは、更に「あの映画は、日の目を見ない。ウォーリーやボブは、もう古い」と発言します(どんな映画なのかは不明)。
 これらの意味するところは、「ボブは、時代遅れで、ベティの才能を見抜けないボンクラ監督。そんな節穴の目で認められた黒髪女に大した才能があるわけもなく、映画とともに日の目を見ない」ということであり、即ち、ダイアンのボブに対する反感(恨み)の投影です。
 なぜなら、後半のダイアンの会話によれば、ダイアンがボブから評価されず、オーディションに落選したからです。
 しかも、実際に彼が監督した「シルビア・ノース物語」は、「大女優カミーラの代表作」のと言われるほどですから、きっと評価されている作品であり、更にその作品によってカミーラが出世することになるからです。
 現実のボブは、きっと優秀な監督なのでしょう。

アダム監督のオーディション

 このオーディションの映画名は、シルビア・ノース物語です。
 映画名は、映像としては現れませんが、スタッフが「シルビア・ノース物語、カミーラ・ローズ入ります(Silvia・North Story,Camilla・Rose.take1)」と言います(音声のみ。日本語、英語ともに字幕なし。)。
 前半のストーリーにおけるシルビア・ノース物語の監督は、アダム・ケシャーであり、ボブではありません。
 
 アダムは、見学しているベティに目を奪われます。俳優としてのみならず、女性としての魅力に惹かれたのかもしれません。
 これは、「もし、アダムに身染められるのが私だったとしたら」「アダムと結婚するのが、もしも私だったら」というダイアンの「カミーラとの入替わり願望」が反映したものでしょう。

リタがアパートを恐れる理由

 リタは、アパート(シエラ・ボニータ)にとても恐怖を感じています。
 まずは、車内にいるサングラス男や通りを見張っている男を警戒します。
 これは、冒頭の「見ず知らず恋人から隠れる」項でも記述しましたが、「誰かに殺されるのでは」という意識でしょう。
 ところが、彼らは、リタ(カミーラ殺害)とは全く関係がありません。こういった「警戒していたら、全然関係なかった」現象は、夢の中でよくあることです。この世界が夢であることの演出でしょう。 
 次にリタは、アパートに入っても、とても怯えます。
 そもそもリタは、現実のカミーラを基にダイアンの願望を投影したキャラなので、現実の世界(=ダイアンの意識)と非常に近い存在です。
 ですから、リタがダイアンの家に近づくと、リタの意識はダイアンの記憶(「殺害依頼」「殺害若しくは未遂」「死体」)や激しい感情(「殺意」「怒り」「嫉妬」)に近くなるのでしょう。
 といっても、ダイアンの意識が一方的にリタへ同調していくので、リタにとっては無意識的なものであり、リタの動機や記憶の有無は関係ありません。

12号室で鳴る電話

 D・セルウィンが住んでいるはずの12号室を訪ねると、デローザが出てきて「部屋を交換した。でも数日間、見ていない」と言います。ですから、D・セルウィンは現在、17号室に住んでいます。後半部分のデローザの話によると、デローサはダイアンと3週間ほど会えていないので、この辺りの話は、かなり現実的なもののようです。この点を考慮しても、やはり、現実のダイアンはこのアパート(17号室)に住んでいるといえそうです。

 さて、ダイアンは、パーティーで屈辱を味わい、殺意を抱き、17号室へ移って、塞ぎ込んで引きこもってしまいます。ですから、デローザが17号室のダイアンと会えなかった3週間は、パーティーへ出掛けた後になります。となると、カミーラからパーティーへのお誘いの電話があったのは、17号室へ移る前となる、12号室であったと考えるのが自然でしょう。
 その電話が鳴った部屋は、赤いランプの部屋でしたから、12号室が赤いランプの部屋となるのでしょう。
 仮にそうだとすると、ミスター・ロークの連絡網には、12号室が含まれていることになります。

 前半のストーリーにおいて、デローザリタたちと一緒に17号室へ行こうとすると、それを止めるように12号室の電話が鳴ります。この電話は多分、ミスター・ロークからの「お前はいかなくていい。」という指示であり、デローザを足止めしたのだと考えられます。

リタに死体を見せるのは計画とおり

 死体は誰なのか
 赤いシーツのベッドに腐敗した女の死体が横たわっています。
 現実世界で殺される側はカミーラなので、この死体はカミーラなのだと思いきや、どちらかと言えば、ダイアンに似ています。
 どちらなのか、判然としません。
 ただし、冒頭で赤いシーツのベッドで寝息を立てているのがダイアンであることを考えると、この死体は、ダイアンであると読み取るのが自然でしょう。
 この女性、きっと死体というより、ダイアンの「死にたいほど、自殺したいくらいにボロボロで、3週間、ずっと塞ぎ込んでいる現実の自分自身のイメージでしょう。

 ベティの不自然な動き 死体のような自分の姿を見せる目的 
 状況から推測していきます。 
 まず、部屋の中に放置されたブロンドの(ダイアンのような)死体がいきなり現れます。今までの流れを考えると、あまりに突発的で脈絡がありません。
 次にベティの振舞いですが、死体を見ても驚きません。まるで、そこに死体があることを事前に知っていたかのようです。
 さらにベティは、驚いて絶叫寸前のリタの口を押えます。その表情は、なぜか冷静で、何かを悟っているようです。 

 これらの状況は、あまりに不自然であり、誰かの意図によって必然的に計画されたものと考えるべきでしょう。この世界の主はダイアンであり、その本人は辛い現状に置かれていますから、この状況を作為しているのはダイアンであると考えるのが妥当でしょう。
 そして、この計画は、「自分のボロボロな姿をカミーラに見せつけたい」「辛い気持ちをカミーラに気付いてほしい」「殺害依頼を後悔している自分を見てほしい」というダイアン本人の願望です。
 これこそが、ダイアンの死体を出現させる目的(理由)なのです。
 
 ベティは、この死体を見せるため、警察に交通事故を確認し、ファミレスへ行き、ダイアン・セルウィンという名前を見せつけ、電話帳を調べて17号室へ行くという動きをするのです。
 きっと、現実世界で苦しむ自分自身をこの場所で見せつけたということは、やはり、前述したとおり、現実のダイアンはここに住んでいるのでしょう。

 因みに、この死体はカミーラであるというニュアンスも、若干含まれているのかもしれません。この部屋はダイアンの部屋ですから、殺害が成功した場合にはここに青い鍵が置かれることとなり、自ずと殺意や殺害を連想するのでしょう。
 これらの連想が「カミーラの死体」を可視化したのかもしれません。

リタのリアクション

 さて、この死体を見て動転するのは、リタであり、殺害依頼したダイアンを投影したベティではありません。 
 前述しましたが、この世界のリタ(記憶を無くしたカミーラ)は、現実世界ととても近い存在ですから、リタ(カミーラ)はとても動揺するのです。
 このリアクションの意味は、いくつか考えられます。
① ダイアンの辛い現状を初めて知った驚きと、辛さを理解したことによる心痛です。因みにこのリアクションこそがダイアンの一番望むものでり、前半のストーリーの目的の1つでした。
② この死体が現実世界のカミーラを表現しているとしたら、殺された自分(カミーラ)を見た驚きでしょう。この解釈は、更に4つに分岐します。 
 ②-1 自分の死体を見てしまったという驚き。 
 ②-2 現実世界で(ダイアンが実際に殺害を依頼したのであれば、)カミーラは既に死んでいるか、或いは死ぬ運命です。今、こうしてカミーラが(リタとして)生き続けることができるとすれば、それはダイアンの夢の中、即ち虚構の世界だけです。ですから、リタは、現実世界の自分(カミーラの死体)を見ることで、自分が今いるのは虚構の世界であることを知ってしまい、驚いているのかもしれません。
 ②-3 ダイアンの殺意を知った驚きです。現実のカミーラは、ダイアンの強い殺意までを思慮できなかったのでしょう。その殺意をこの死体で初めて感じたのかもしれません。
 ②-4殺害事件の主は、ダイアンだったことを知った驚きです。カミーラは、誰が自分の命を狙っているのかを知りません。しかし、ダイアンの部屋にいる自分の死体を見て、殺害の依頼主がダイアンであることを感じたのかもしれません。 
 これらの内容は、「カミーラにこうやって驚愕してほしい」といった、あくまでもダイアンの願望です。 

逃げ出すリタと追いかけるベティ

 17号室から飛び出したベティとカミーラが映像上で重なります。
 これは、ダイアン本人の気持ちがリタに伝わった、即ち感情がシンクロした状態です。
 しかし、このシンクロは、「こうなってほしかった」というダイアンの願望でしょう。

リタのベティ化の意味

 家へ帰ったリタは、ベティとそっくりになろうとします。
 リタは泣きながら髪を切り始め、ベティが「気持ちわかるわ。私にやらせて」といいます。リタはショートカットのブロンド・ウィッグを被り、ダイアンと同一化します。
 なんとも非現実的で不自然な言動の連続です。
 ですから、この状況もダイアンの願望に沿って、意図的に都合よく作為されたものと考えるべきでしょう。
 リタの行動動機については、ダイアンの死体を見たことによるものです。ダイアン本人の辛さや苦しさに初めて気付き、自分がダイアンを苦悩させてしまったことへの後悔も含まれているでしょう。
 髪を切るのは、黒髪の自分を捨てるとともに、ウィッグを被るためであり、目的は同一化です。
 カミーラがダイアンの気持ちを理解し始め、ダイアンの愛情の深さを知って心を通わせるといった、内面のシンクロを外見の同一化によって表現しているのでしょう。
 勿論、自分の愛する相手(カミーラ)が自分に憧れ、自分の外見を真似てくれる、というダイアンの邪な願望も含まれるでしょう。 

初めて結ばれた夜

 ベティとリタは、ここで初めて結ばれ、幸せの門出を向かえます。
 現実世界では、2人の関係が破局へと向かう瞬間であり、「終わりの始まり」でしたから、きっとダイアンは、この夜を永遠に続かせたいと願って止まなかったことでしょう。
 この夜、リタは目を見開き、「シレンシオ(お静かに)。楽団はいません。オーケストラも」と一人で呟きます。
 深夜2時ですから、ダイアンが深い眠りの中、この夢を見ている真っ最中の時間なのでしょう。
 リタの言動は、リタ自身の意思ではなく、何かに憑り付かれたようであり、クラブ・シレンシオのマジシャンのセリフと同じです。
 多分、ミスター・ロークの操作であり、マジシャンの魔法であり、即ち、この世界の神であるダイアンの「カミーラ、気持ちを伝えるからクラブ・シレンシオへ行きなさい」という意思でしょう。

前半のストーリーの終焉

 クラブ・シレンシオのステージには、赤いカーテンが掛かっています。
 赤というのは、体の内側、心の中の世界であり、前・後半の世界とは異なる独立世界なのでしょう。
 また、クラブ・シレンシオは、この世界がまやかしであることを告げる場所でもあります。
 マジシャンは、「楽団はいません。オーケストラも。全部録音したものです」「ここに楽団はいませんが演奏は聴こえます。クラリネットをご所望なら、次はトロンボーン、ミュートをつけたトランペット。」と告げます。「No hay banda」はスペイン語で、意味は「There is No Band」です。
これらの台詞からは、2つの意味を読み取ることができます。 
 1つ目は、この世界が現実でないことを告げ、まやかしの世界を終わらせることです。 
 2つ目は、望んだものが現れ、望んだ音を奏でてくれる。しかし、それは記憶であり、過去のものでしかないということです。
 自分を投影したベティ、カミーラ(リタ)、生きているルース叔母さん、落ちぶれたボブ監督等々、それらは全てまやかしなのです。
 ベティが激しく震えるのは、役目を果たし、この世界から消える前の症状なのかもしれません。
 そして、「ロサンゼルスの泣き女」レベッカ・デル・リオが「泣き女」を歌いますが、途中で倒れてしまいます。 
 なぜ、スペイン語なのかというと,情熱的な言語であり、正しくダイアンの情熱的な気持ちを表現するのにピッタリだからです。ダイアン本人のカミーラへの様々な感情(愛する気持ちの深さ、その喪失による絶望と憎悪、自分の殺意に対する後悔を伝えているのですから、溢れる思いとその高揚とで気絶してしまったのでしょう。しかし、そんなことはお構いなしに歌(ダイアン本人の思い)は流れ続けます。

2人とも消える理由

 部屋に戻ると、ベティがいつの間にか消えています。 
 その後、カミーラが青いカギで青いハコを開けると、彼女自身も消えます。 
 2人が消えるのは、それぞれが役割を果たしたからでしょう。

 ベティの役割は、17号室とクラブ・シレンシオへ導く役です。

 カミーラの役割は、ダイアン本人の気持ちを理解し、涙を流す役です。
  カミーラが消える理由については、より重要な意味があります。 
 カギを開けるカミーラは、現実世界とは全く異なり、ダイアン本人の気持ちを理解して涙を流し、ベティを愛して寄り添ってくれます。
 ですから、ダイアンが「永遠に理想のカミーラでいてほしい」「カミーラの愛を永遠に自分のものにしたい」といった、「永遠の幸せ」を求めるのは当然でしょう。
 しかし、ベティとカミーラがこのまま付き合っていると、現実世界と同様、破局を迎えるかもしれません。
 それを避けるためには、「幸せな今、すべての幕を閉じる」必要があるのです。ですから、カミーラは、(破局を迎えて最悪の関係になる前である)今、消える必要があるのです。正しく、「早く出て行って。私が殺す前に」であり、言換えれば、ダイアンに(強制的に)消されたということです。

カミーラがハコを開ける理由

 ダイアンは、「リタも、きっと自分と同じように「幸せが続いてほしい。そのためには、今ここで幕を閉じる必要がある」と思っているはず」と思いたいことでしょう。だから、ダイアンは、リタに幕を下ろさせるのです。
 現実では、カミーラが自分を振ったわけですから、ダイアンの未練の大きさが垣間見れるところでしょう。

「起きろ」(前・後半の繋目シーン)は2人に言っている

 ここで登場するのは、腐敗した死体のようなダイアンと綺麗な体で“普通に寝ているだけ”のダイアンです。
 前者のベッドは、朽ち果てており、カミーラに見せつけるための“死んだように辛い自分の姿”です。この時の「起きろ」とは、「役目は終わった。もう消えていいぞ。」という意味合いでしょう。 
 後者は、体に生命感があり、ベッドも生活感があります。きっと、本物のダイアンなのでしょう。ここでの「起きろ」とは、そのものズバリ、睡眠から目を覚ませ、でしょう。  
 ここからは、後半のストーリーの説明です。後半の意味深いシーンを取り上げます。

ジョーが笑う理由

 ジョーは、青い鍵を殺人成功の合図に使うことをダイアンへ教えます。イアン
 すると、ダイアンは「何を開ける鍵なの」とジョーに問いかけます。この問いにジョーが笑うのですが、その理由は2つあります。
 1つ目は、この鍵の目的は合図であるのに、ダイアンが間抜けな質問をしたからです。
 2つ目は、ダイアンに前半ストーリーでの青いハコのイメージが残存していたことを感じたからでしょう。「青いハコを開ける青いカギとは、全然違うぜ(世界が違うぜ)」という含み笑いでしょう。
 この話のやり取りをしているファミレスの名前がWinkie's=Win Keysというのは、きっとリンチ監督のスパイスの効いたブラックユーモアだと思います。

赤いランプの部屋

 婚約パーティーのお誘いは、赤いランプの部屋の電話に掛かってきました。ここは、きっと17号室でしょう。

コジキが青いハコを捨てる意味

 後半世界では、青い鍵は殺害成功の意味ですから、青いハコは全く意味を成さない無用なものです。
 更に言えば、前半のストーリー自体が"叶うわけもない夢”なのです。
 だから、捨てられたのでしょう。
そして、捨てるのが、ダイアンの最もなりたくない存在であるコジキというのも、なんと悲しいシーンです。 
 さて、このコジキですが、前述したようにハリウッドでの敗北者、売れない女優のなりの果てであるとともに、ダイアンの感情の一部を擬人化したものでしょう。
 その感情とは、「あいつなんか消えればいいのに」「私なんかいない方がマシ」「死んでしまいたい」といった憎しみ、嫉妬、殺意、自暴自棄といった負の感情であり、人間の本質部分の醜く、汚らしく、イヤらしいものです。
 希望と夢に満ちて意気揚々だったダイアンがコジキとオーバーラップする映像は、何とも哀しいものです。

老夫婦は、天使

 老夫婦は、ダイアンを死へと追いる恐ろしい存在に見えます。ましてや、このバッドエンドを知って、この世界へ誘う道先案内人なわけですから、とても畏怖な存在です。
 しかし、老夫婦の役割は、虚構世界を破壊することで、ダイアンを虚構世界から目を覚まさせ、現実世界へ連戻すことです。
 これは、いつまでも夢の世界に逃避していてはダメなこと、苦しい現実と対峙し、辛さを乗り越えなければいけないことをダイアンに気付かせることを意味します。即ち、老夫婦とは、ダイアンを励まし、前向きにさせ、成長を促すという、本質的に優しいキャラクターなのです。だから、独りよがりの叶わぬ夢である“捨てられた青いハコ”から登場するのです。
 また、夢から目覚めさせる役割を前半では青いハコが担い、後半では老夫婦が担うのです。
 この点においても、老夫婦が青いハコから出現する意味があるのでしょう。

以上となります。
長文におけるお付き合い、誠にありがとうございました。

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