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現実と向き合うこと「天使のたまご」

毎日、とっても暑い日が続いて、お昼過ぎからエアコン部屋でゴロゴロとリラックスしながら映画鑑賞。
さて、今回も映画の感想です。
作品は、「天使のたまご」というアニメ作品。公開は1985年で、75分間の比較的短めの作品。セリフは、ほとんどありません。
映像、音楽ともにとても綺麗です。
雰囲気は、ヨーロッパの文学作品な感じです。

👇👇以下、ネタバレに御注意ください👇👇




少女

少女がたまごを抱いて街を歩いています。
さて、この少女は、一体誰なのでしょうか。
ここでいきなりですが、あなたがノアの箱舟に乗っている女性だとします。すなわち、ノアの奥さんか、ノアの息子たちの奥さんです。
自分たち以外の人たちは、神の怒りである洪水によって絶滅しています。ですから、あなたは人類最後の大人の女性です。
そして今、広大な海上を当てもなく漂流しているのです。
さてさて、もしも、このまま陸地に辿りつけず、このまま大海原で死んでしまったら、人類はどうなるのでしょうか。
あなたは、子孫を残せる人類最後の女性として、そのプレッシャーに耐えられますか?
あなたは、常に希望を持って、鳥が返ってくるのを待っていられますか?
あなたは、40日40夜の豪雨の後、何年も、何十年も海の上で希望を見出せず、不安と絶望に圧し潰されるかもしれません。
船上で何の変化もない日常世界と、絶望と不安と恐怖に支配される脳内世界。あなたにとってのリアルとは、どちらでしょうか。
 それはきっと、両方なのです。
 そんなあなたが、「できることなら、子供を産むことのない少女になって、自分にとって都合の良い世界へ逃避したい」と願うことは、果たして悪なのでしょうか。その逃避先が、この映画の世界、「少女が生きている虚構の世界」であり、「何も始まることのない永遠の日々」なのだと思います。
 私たちにとって、趣味や旅行、結婚式などの非日常的な時間や空間は、辛い現実を離れることができる世界として必要です。辛い現実と虚構の世界、そのどちらも必要な世界であり、どちらの世界も同じ価値があるはずです。

たまご、雛

舟が陸地に辿り付かなければ、人類は絶えてしまうという不安。何も希望を見出せない絶望感。それが〝空っぽのたまご″の正体であり、このたまごからは、未来や幸福、救済の象徴である天使は生まれないのです。
 少女は、子孫を残すこと、妊娠を避けることの両方を留保しています。 
 毎日、卵を抱きしめること、そして瓶に水を溜めるという行為は、きっと妊娠を意識しているのでしょう。
 一方、瓶に入っていた赤い水を直ぐに捨てること、少年に警戒することは、妊娠を避けることの表れでしょう。
 これは、少女の表情が純粋無垢なものであったり、女性の妖淫であったりするのも同様でしょう。 
 また、化石になっている、卵の中で目を閉じている雛たちは、本来、空っぽのたまごに入っているべきであった雛たちであり、ずっと孵ることを夢見つつ、ずっと孵ることはない雛なのです。

少年

一方、少女に世界の虚構性を見せつけ、その世界を破壊するのが少年です。彼は、卵の中身が空であることを少女に突き付けます。一見、酷い行為に見えますが、彼女を逃避世界から現実へ戻しているのも確かです。少女の虚構世界を破壊するという罪を背負いつつ、少女を救うメシアであるため、彼は十字架を背負っているのです。
彼がたまごを割ったからこそ、少女は最後に実際の自分、すなわち大人の女性の姿を水面に観ることができるのです。
ただし、彼の言葉によると、彼は何度もこの行為に付き合っているようです。きっと、ノアの妻は、何度も何度も、この逃避を繰り返しているのでしょう。

太陽

冒頭と最後のシーンに、水面から太陽が出てきます。新約聖書には、「天の父は、 太陽を悪い者の上にも良い者の上にものぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」とあります。
辛い現実を受け入れるのは、勿論、容易ではありません。ですから、逃避できる世界を持つことは、とても重要です。しかし、逃避するばかりでは、「君はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに答えることができません。辛い現実に向き合って生きていくことも重要なのです。
少女が神となって人々を照らす太陽の一部となったということは、辛い現実の世界に戻ったということかもしれません。

メッセージ

「逃避する世界を持て。しかし、逃避するばかりでもダメなんだ。逃避ばかりにだよっているなら、目を覚まして現実に向き合って生きろ!!」
押井守監督が背中を押してくれている気がします。


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