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親を好きになれない人もいる話

最近、私の現実で起きていること、私が思っている現実。


諦める状況が次から次へとやってきている。


仕事で問い合わせしたメールの返信がなかったり、
自己主張してもどうせ見てもらえないだろう、とか、
あの人に言っても、解決してはもらえないだろう、とか、

恋愛でも、私の想いは叶わないだろうと思っていたり。


いろいろと出てくる気持ちを見てみると、諦めている、ということばかり。


前にもこういう気持ちをどこかで思っていたなぁと掘り下げていくと、
子供の頃の自分が感じていました。

子供の頃、親に、自分の話をしても、相談しても、相手にされなかったり、
後でね、と言われて、後回しにされて、結局、後で、がなかったり。

私の親は、相談をしても、困ったねー、で終わってしまう、何も解決をしてもらえない人たちでした。

私は、中学生の頃、この人たちは、親として未熟だなぁと思ったことがあります。


この人たちのそばにいたら、私は、甘やかされて、何も出来ない、未熟なままで
生きていくことになるなと、中学生の時に思い、
高校は、親元を離れ、県内ではありますが、下宿をしなければならない
遠くの高校に行きました。

親元を離れることによって、私はとても開放されて、冗談みたいなことも言えるようになり、友達なるものが初めてできました。
良い思い出です。

話を戻すと、

親に相談をしても、解決してもらえないことが多々あったので、私は、
諦めるようになりました。

親でなくても、話をしても、やる気が無かったり、きちんと聞いてもらえなかったり、エネルギーが話している私にではなく、違う人や物にある人、など、
私は、子供の頃、真剣に自分の話を聞いてくれて、向き合ってくれて、
寄り添ってくれる人に出会ったことがなかった。

だから私は、

人に相談することを、頼ることを、諦めた。


今でも、そういう人には出会えていない。
いや、出会おうとしていないからだと思う。
自分で拒否している。
だから、周りがそんな人ばかりに見えてしまう。


このことによって、私は、健全なコミュニケーションの仕方、
人間関係の構築の仕方を知らない。

人を避けること、人を怖がること、諦めること、しか知らない大人に
なってしまった。

人と深く繋がることを知らない、出来ない。


人に親身になられたり、笑顔で接されることの方が怖い。


諦めることが私にとっての当たり前の世界だから。


諦めることを止めない限り、諦めよう、と思う現実が次々とやってくる。


同じ本質の現実が何回も何回もやってきている。

私たちがそれに気づいて成長しない限り、同じ課題が何回もやってくるんです。


それに気づいた時が、その現状を手放そう、乗り越えよう、統合しようという
タイミングがやってきたということ。


もう止めよう、と思えば、変えられる。

同じ現実はもう作らない。

もう経験したくない。
もう懲り懲り

そして、健全なコミュニケーションや人間関係を知らない状況だったので、
私は、それを意識して学ばなければならなかったのです。

わからない状況にならなければ、わかる、学ぶ、ということはやってこなかったのです。

それにも意味があった。

私は、健全なコミュニケーションや人間関係を築ける才能を本来は持っているということ。

人が苦手だけれど、なぜか、人と関わっていないと、テンションが下がるんですよね。


目立つことが苦手そうとか、大人しく見られるけれど、
本当の私は、
目立ちたがり屋だし、
自分を輝かせてアピールして魅せる方法を知っている。

でも、目立って人が寄って来てしまうのも、今までなかったから、
急にそんなことになると、怖いんですよね。

今まで経験したことがないことを初めてやるってことは、怖いんです。


変化は怖いんです。

いざ、やってしまえば、大したことなかったなと、後で思ったりするんですけどね。

今日は、最近思ったことを、思いのままに綴ってみました。


私のように、健全な子供時代を過ごせなかった人へ。
何か救いになったり、共感してもらえたり、気づきとなってくれますと幸いです。
私は、傷ついている人たちの味方です

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