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ぼくとおじさんと - 不思議な夢を見た

番外編①不思議な夢を見た ep.2

「”70年だったかな。銀座でマックが開店して、兄貴に連れられて行ったもんだ。あの頃は、歩きながら物を食べるのを非難する大人が多かったが、そんな大人もその後直ぐにハンバーグを歩きながら食べていたっけ。歩行者天国もその頃始まったんだ。」
おじさんの頃は、色々なものが出始めた夢のある時代だったのだと感じる。
「そうそう、さっき言っていた武志の夢の話し聞かせてくれよ。」
おじさんは夢のような世界に生きている人だから夢には興味があるのだろう。
僕は新製品のプリンをタダで食べている話から半額になった卵の事など、夢で見た不思議な環境の事をおじさんに話した。
夢の中で、もう一人の自分になり切っていたことも付け加えて説明した。
おじさんはフンフンと言いながら、長くなってしまった僕の話を聞いてくれた。
話が終わって二人でコーヒーをすすり終えると、おじさんが話し出した。
「卵が安くなったと喜んでいるという事は、貨幣で評価される価値・価格があるという事だ。」と言うおじさんに僕は反論した。
「いや、生活するうえで貨幣は必要ないんですよ。価値の判断は僕のいた夢の世界とは違う世界、違う場所と言おうか違う世界に物を提供する時に必要な価値・価格判断なんです。」
僕はそう答えながら、何で僕がそんなことを知っているのだろうかと思ってしまう。夢の中のもう一人の僕が付いてまわっているようだ。
「全てが夢の僕の住んでいた世界だけじゃなくて、価値観の違う世界があるという事は、僕の言う世界も過渡的な世界なのかも知れませんね。」
夢の話をしていると言っても、夢の世界の代弁者に僕はなっていた。
おじさんは、そんな僕の話というよりも僕の話し方に興味を持ったようで色々話しかけてくる。
「カネを必要としない世界と、カネを必要とする世界が混在しているのだな。
カネ、つまり貨幣と言っても、僕たちの知っている貨幣の登場は最近の事だ。長い人類の歴史の中で物の交換はあくまでも物々交換だった。
武志も知っているように最初は家族や村社会、一つのコミュニティで生活は成り立っていた。家族単位で生活することを考えてごらん。狩りに行って獲物を捕らえて食事をし、雨宿りの洞窟や家を建てて住み、採取道具も着るものも自分たちで賄った。
人が増え村やコミュニティが出来ると、そこにいる皆で協力して賄った。自分たちで賄いきれないもの、農村の米や漁村の魚などは物々交換で賄ってきた。
やがて支配者が現れ、それも村や一つのコミュニティを守るためか攻撃するために縦社会が出来ても、そこでは年貢や貢物として物の交換の時代が続いた。基本は食料で生産物が軸となる。日本でも徳川時代まで大名や武士への給付は米だった。明治の初めまでは政府への税務は米だったが、天候に左右される米では政府活動が維持できないので地租改正で土地への税金、つまり貨幣交換に変えたのだ。
明治政府の国づくりはヨーロッパの先進帝国に倣いヨーロッパ第一主義で、この時世界に通用する貨幣が主軸に躍り出たわけだ。
貨幣もそれまでは交換手段ではあったが、それも金や銀のような物との兌換性が重んじられていた。
貨幣・カネに関しては、特に中世で南米アメリカや未開発の国々から金銀財宝を強奪して国家基盤を盤石にして金銀を経済の流通通貨として使っていたのだが、あまりにも戦争ばっかりやっているヨーロッパの国々では兵員や武器にカネがかかり過ぎるので、金持ちから国がカネを借りて戦争をするようになった。この借用書が紙幣の始まりだ。
この政府の公債即ち借用証書と引き換えに銀行券と呼ばれる現金紙幣を発行する所として作られたのがイギリスのイングランド銀行なのだ。目的は勿論戦費調達さ。
金持ちになった商人は中産階級としてのブルジョアジーというのだが、フランス革命で封建制の国王が倒されたのは新興ブルジョアジーの力によるものだ。
この金持ちブルジョアジーがイギリスで農民たちから土地を奪い、当時起こった産業革命でこれら都市に集まった農民たちを無産労働者として苦役させた結果、軽工業・重工業の著しい発展の下、ヒトと土地を奪い合う帝国主義の国家が乱立したんだ。
この時、凄惨な生活を強いられていたイギリス労働者を救おうとして始めたのが社会主義・共産主義運動だ。
このような少数の資本をもつ人々が、大多数の土地も資本も持たない人たちを搾取する構造的なシステムを分析したのが有名なマルクスの「資本論」だ。
資本が唯一最高の経済システムとなった資本主義の批判なのだが、この収奪構造は現在まで続いているのは武志も知っての通りだ。
経済は回転することで、貨幣がより大きな貨幣量になることが資本主義のネックの一つだ。」
「ああ、やっと貨幣が出てきたね。僕の話がいつの間にか資本主義になってきたので、ひやひやしていたんだ。」
僕はいつものおじさんの論調を知っているので、いつ僕の頭で理解するところに来るのか実際ひやひやして聞いていたのだ。
「貨幣の話はあとで簡単に説明する。ここが大事なんだ。」
おじさんはまた熱く語りだした。
「資本主義と言っても他人事のイデオロギーではないんだ。
武志も分かるだろう。仕事をして給料をもらう。仕入れたものを売ってその利益が給料になり、明日の仕入れの資金に成る。仕入れと売り上げの差額の利益というのは、100円で仕入れて150円になるシステムの働きによるのだが、昔の資本家は低賃金で働き手を集め自らの利益を拡大させてきたのだ。
しかも働き手は土地も資産も何もない自分の体一つで働かなければならない。食わなければ生きていけないからな。たくさんのそして大きな仕事をすれば大きな利益が出るのだが、働く側は時給や給料で制約されている。
自分たちに出来るのは、コツコツと小銭を貯めてテレビ、冷蔵庫を買うことで、家を買うと言ってもこれは一生涯に渡る作業だ。
それでも、働く側の少しでも時間をもらい待遇や給料を上げさせるためには労働者が団結し戦って勝ち取ったものだ。労働組合、労働組合活動とはそうした戦いを通して今の僕たちが当たり前だと思っている状況を作り出したのだ。
週休という6日出勤日曜休みや8時間労働そして通勤・残業手当や家族手当など、現代当たり前にあるようだが実は先人たち労働者の血の出るような戦い、生死をかけた試みで実現したものなのだ。」
おじさんの熱弁は続く。片手にハンバーグをもって話していたのだが、僕が気の付いた時にはハンバーグは既になかった。
おじさんは話し出すと熱いようでいて、コーヒーの砂糖やミルク入れは冷静に処理していた。
「資本主義の特徴の一つは、武志よ聞いてるか。お前もその他大勢の中の一人で、個性や人格が尊重されるのではなく、一つの商品と同じものとされているんだ。
面接でも感じると思うが、募集をかけるのは空いたシフトや要員を埋める人が欲しいだけのことなんだ。誰でもいい人を集め、目的の職種に合いそうな人を採用する。人即ち労働力という商品が欲しいだけで、これは他の商品と同じで人間も水も空気さえも商品、即ち物としてしか考えられない世界なのだ。
人が人として尊重されるべきだと僕は思うが、資本の論理は人も生産用具の道具で、顔のない商品なんだ。
最近特に思うのだが、国会に詰めている国会議員には国民と国民の顔が見えていないのではないかという事だ。見えないから国民や国政をデーターでしか見れないでいる。そして関心は自分の選挙に勝てる支持母体やその周辺の人の顔とつながりだけだ。
これは国民を数の集合体としての商品として扱っているとしたら、これは資本の論理そのもので、経済だけでなく政治を含めた社会の全てが人ではなく数としての商品としか見えない、逆転した社会だと思う。
これを人が物を作る生産過程で考えてみよう。
大量生産は多くの人に物を供給するのに分業化が必要になる。その過程で職人、即ちプロが居なくなる。誰でもできる仕事の単純化が生産性を高めること、それが仕事の効率を高めるのだが、この分業が必要として、この分業を自分の仕事の分業化として考えてみよう。
分化された自分の仕事を簡単に他人が出来るように単純化すると労働作業が商品化になることが分かる。
チャップリンのモダンタイムスを見たらわかるが、労働者が物を作る工場の歯車のひとつになっている。あの物語で面白かったのは、朝起きて歯を磨くのも機械が動いて歯を磨き、食事を出してくれることだ。工業化され文明化された資本主義の姿だった。
あの映画では、ガソリンスタンドで自動車の洗車のように人間が扱われ、合理化という便利の先が器械で簡単に食事ができる今の時代を象徴しているかのようだった。」
「おじさん、チャップリンの名前は聞いた事あるような気がするけど映画は見たことないよ。」
「そうか、ごめんごめん。映画見てないか。その話を始めると長くなるな。
ただ、人間が商品化されているという意味では俺たちが働くことが労働力として商品化され、俺たちの持っている体総体もそれぞれの個人や個性と考えるべきだろうが、俺たちの体が機能として細分化されて商品になっている。例えば性も商品化されているという事だ。」
「性も商品化って、どういうこと。」
「男は性欲を解消するためにソープに行くだろう。金を払えば処理できるからな。
女性は自分の性器を提供して金を得る。性器を商品にして成り立つ性産業だが、そこでは性すなわち性器の所有者は誰でもいいわけで、個性も人格も必要のない商品提供者なのだ。
それをつなげているのが金であり、人間の体と働きが商品でしかない資本主義のシステムなんだ。分かるだろう。」
やっとお金が出てきた。なんかほっとした。やっと夢の話に戻れそうだ。
「資本主義の弊害やそのためのルールに縛られた暴力性というのは、おじさんから聞いて知っているけど、お金、つまり貨幣は悪いものなの。」
「いや、お金そのものは歴史的に交換手段として使われていて、お金そのものが悪いわけじゃない。お金が富の元と考えると、そのお金を貯め込み富める人とお金のない貧しい人が作られるシステムを問題にしているんだ。」
「じゃあ、僕の見た夢でお金を必要としない世界はどんなシステムなのだろうかね。」
僕は夢の事にこだわっている。あの肌触りの現実感のあった夢だったからだ。
「金のない世の中の事だが、人間の長い歴史の中でお金を必要としたのはつい最近の事で、資本主義と言ってもこの150年、200年の事だ。
それまではお金を必要としない世界だったのさ。
だから武志がお金を必要としない事に驚いたのは、目の前の自分の現実しか知らなかったからだ。」
「だってお金が無くて死ぬ人もいるぐらい、お金って重要じゃないですか。お金がなくても生きられるのは理想郷ですよ。」
「お金がないのが理想郷なら、お金のない古代は理想郷じゃないか。
今の時代を言うなら、お金で便利が買える現代はそんな理想郷を捨てて生きているということだな。
お金がないと不便なら、昔は今に比べて不便だったろうが、それでもみんな生活していたし家族で助け合い、社会で協力することで不便な事の一つ一つは知恵を出し合って解決していったんだ。
俺が武志の話を聞いていて、合理性のある話だと感じたので武志の夢の話に乗っているんだ。
お金を必要としないで皆が生活できるという事は、全員を食わせる生産力があるという事だ。
農家も牧畜も漁業にも直接生産に携わらない人々、例えば技術者、研究者、絵描き、高齢者、その社会に住む人々が食って仕事ができれば、こんないいことはない。研究者は何の心配もなく研究に没頭できるからね。
武志の夢の話は、珍しく熱を込めて話してきたことと、俺たちが望めばできる社会だろうと感じたので、も少し話を聞いてみたいと思っている。」
おじさんは人に教えることをやっていたから、人を話に乗せることが上手いようだ。
僕は調子に乗って夢の話は結構しゃべってしまったのだ。
「みんなが同じフロアーで話ができる、つまり階級や身分がない人々が自由に話ができる事、今の時代は自分の意見と言っても自分の立場、即ち身分や階層そして所属する会社や組織での立場で、それもそれを意識しないで代弁するような発言を多く耳にする。だからそれぞれの意見を調整しようとする仲介者は、どのような立場の人の意見かをその利害を含めて話をまとめなければ調整がつかなくなる。
民主主義というのは、色々な人が、というと同じフロアーの話のように聞こえるが、それぞれの立場の人がそれぞれの利害について話し合うという事でなかなかまとまらない。だから結局法律が出来、弁護士や裁判所が必要となる。異なる意見が多すぎるので議会が必要になって来る。民主主義というのは今の僕たちの世界の事で、武志の夢の中はそんな言葉も制度も必要ないので合理的なのかもしれないな。
皆が同じフロアーに立って話をするという事は、話しやすいしまとめやすい。
それと武志の話しでは、専門職の人はおらず皆が知識を持っているという事は、より話を進めやすいからね。
特に自分の体の事を知っていることは、大事なことだ。俺たちの世界では病気になってから、改めて医者や他人に自分の体の事や体具合を聞く事になるが、自分の事を他人に訊くというのは実はおかしなことなんだ。そして身近な生活ルールが徹底しているという事は、あえて法律を作らなくても済むことで法律の専門家や学者はいらなくて済む。
学校もなくて済むのかも知れないな。
基本的な読み書きは家庭でもできるし、基本ソフトは何処でもできる。何年間の教育期間かは知らないが、遊びながら作業も交えて色々な知識を皆が会得したうえで子供に教えるのも意味のある事だと思う。そのように接すればその子の得手不得手も理解した上で得手を伸ばす事も出来るからな。
絵画や音楽なんかいいだろうし、知的障害があっても才能は全ての人にあるので皆と同じことをしなくとも社会コミュニティに貢献することができるだろう。
つまりその社会のふところの大きさが大事で、それを支える人々の存在が無ければならないのだが、今俺たちの住んでる社会はそういうことに無関心で、反対に障碍者や生産活動をしない人できない人を邪魔者扱いしているからね。
一人一人の能力とは関係なく、制度としての学校が強制として「教育」というものを押し付けているが、そんな学校なんてなくていいんだ。同世代の子供たちのコミュニティが必要であれば、どんな時にも色々なところで作ることができる。それも安全さえ確保できれば子供たちでできるものだ。
今の教育制度の中で、文部科学省の下部機関が昨年度出した調査報告で、小学生から高校生の3分の1がうつ状態だと言い、昨年も子供の自殺者が5000人を超えている。この数字は毎年増えている。しかも教師の自殺も増えている。これが俺たちのいる世界の教育制度の現実なんだ。
学校や会社、議会や政府、色々制度として作られているが、人の配分や効率の悪さと無駄を考えると、ない方がいい。
国のやっている無駄は莫大なものだ。
少子高齢化が問題になっているが、これは単に人口の構成を言ってるだけで、これ自体が問題なのじゃない。むしろ無駄な制度や無駄な仕事を省き、全員で生産性を高め生産力を高めたら、何の問題もないわけだ。つまり食うに足る生産力が問題なのだ。
無駄を省き、それだけの人をコミュニティ建設に向けると素晴らしいものが短期に出来るだろうよ。
農作業も魚とりも高度な技術を加えて皆がやれば生産性も高くなる。
余剰生産物も管理さえできれば何年でも持つものだ。
武志が夢で卵が安くなったと喜んでいたが、貨幣のない社会では卵の価値基準、生産費用が少なくて済み負担が軽くなった事、即ち生産性が高まったことを言っているのであって、違うシステムの社会・世界との交換物、つまり輸出に有利だという事だろう。
何が交換されるか分からないが、例えば金や貴重品が入ってきたとしてもそれは独占物ではなくアクセサリーみたいなもので皆の共有物となるものだろう。必要な人が必要な時に身につけ、色々な人が利用できればこんな楽しいことはないからな。
それを管理するのは大きなキャパシティ・設備が必要だ。俺たちの社会ではそのためのセキュリティや管理が必要だが、武志の夢の世界では泥棒もいないし楽なものだ。
泥棒しても貨幣がないのだから売るところもないし持て余すだけで置き場もないのだからな。
今の時代では高価な指輪や飾り物は金持ちの私有物になり、あまり使われない代わりに宝石箱で眠っているのが通り相場だが、武志の夢の世界では皆のアクセサリーとして必要な時に、誰もが使える共有物になるのだろうな。
女性はいつの時代でも着飾るのが好きだからな。」
女の虚栄心の事を言っているのだろうか。女性の文乃がいたら何か言ってくるような話になっただろう。
いつもおじさんが言ってるように、男も女も権利として平等だが男と女の体は生理も考え方も違うというのがおじさんの持論だ。確かに男のぼくはダイヤの指輪を欲しいとは思った事はない。
夢の事を思い起こすと、女性はスカートをはいていたようだった。服装も男はそれぞれ違うものを着ていて、生活が同じもので統制されているようではなかった。
ただ、みなが共同して働いているうえでの意思一致ははっきりしていて、それはどのような言葉だったか覚えていなかったが「共産党宣言」の中にあった「一人は皆のために、皆は一人のために」と同じような言葉だったと思う。それはおじさんに付け加えて話した。

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