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40. 「二流でいいのよ。二流がいい」厳しい母の言葉とは思えなかった


 
自分らしさとは、なんだろうと考える。それはいちばん好きな自分でいられる時間ではないだろうか。無理をせず(気持ちがラクで)、好きなことを好きなようにやれているとき。もしくは、やってみたい目標にむかって邁進できていると思えるときだ。
 
思うように書けない、思うように本が読めていないと、イライラする。

 
自分がたどってみたい道から外れて、「やらないといけないこと」「お願い、と頼まれること」「責任を果たすため」。そういった人、モノ、立場で動かないといけない時もある。大人になれば、なおさら、増えていく。やっと片付いたと思えば、次のフェーズがやってくる。

ただ、フリーランスとして仕事をしていると、そんな諸々に翻弄されることが常である。

仕事の悩みだけならいざしらず。家庭の事情というのも多い。その波間を縫って、自己を失わないように、自分らしさの均整をとっていこうとする。それが、この頃の人生である。ま、そんなものだ。
 
さあ、残りの時間もぼんやりみえてきた。ここらへんで、なんのために生まれてきたのかを追求して、やりたいことに挑戦してみましょうか。と思った矢先にやってくるのが、ああ、親の介護という新しい課題である。
 

自宅から2時間も離れたところに、90歳の母が一人暮らしをしている。心配で毎日、電話をかけての様子伺い。「きょうは調子はいい?」「排便はあった?」「痛いところはない?」と訊ねてから、とりとめのない話に移るのがお決まりのパターンで、たいていは季節の話から近況報告へ。快調な日は、数えるほどしかない。しんどいと訊くと、どうしても気になる。

先日もそうだった。楽しみだった4月の桜も散り、さあ今日から気合いを入れて仕事しましょう!と思ったら、とんぼ帰りであった。自宅にいたのは10日くらいかな。

予定を全てうっちゃって、スーツケースの中に仕事の資料とパソコンと、文庫本を3冊ほど詰め込んで、急いで電車に飛び乗るわけである。車窓から流れる新緑の山や、水田をみながら本のページをめくるひとときが、ホッとした。今年になって、そうやって慌てて母の家に出かける日々が増えてきた。
どれだけ同居をしようと話しても首を縦にふらない母だった。
 
自分の家に、自分らしさを置いてきぼりにして、実家の玄関をガラーっとあけたら、娘の顔になる。「こんにちは」ではなく、挨拶は「ただいま」だ。

別に、なにをするでもないのだ。スーパーで買物かごを下げて生鮮類を物色し、壊れた場所を修理し、2人分の食事の準備を整えて、家中に掃除機をかけて……。たわいのない話をして笑っているのがせいぜいである。

母にとって、話し相手がいることがなにより心強いのだろう。最近は、仮病まで使ってわたしを呼ぼうとする。(そうとしか思えない)あとになってみれば、こんな日々が宝物になる、それは、間違いない!
 
そうは思っても、やたら焦燥感にかられるのは、わたしの人間の小ささなのかもしれない。。。


この日も、ブリの切り身とゴボウを合わせて炊きながら、青菜をゆでながら、目をつりあげてポメラで原稿を書いていた。正確には書こうとしていたところだった。 

突然の。ジューっという音にビクッとした。行平鍋から煮汁があふれて、それは盛大に噴きこぼれ、ガスコンロから甘い醤油の匂いが一気に流れてきた。慌てて、雑巾をとりに流し台に走って行く。と、背後から、母の声が。

「焦らなくていいのよ。あくせくしてもおんなじ」


え! 母らしからぬ言葉だった。なにをしているの! あんたはいっつもそう。ちゃんとみていないから! キレイに元のように掃除しといてよ! 潔癖症の母のこれが通常運転である。性根は悪くないのに口が悪い人なのだ。

けれど、聞こえてきたのは。
「そんな頑張らなくて、いい。二流でいいのよ」

思わず、びっくりして、母をみた。母はすました顔で冷蔵庫をあけて、昆布の佃煮や梅干しなどの常備菜を取り出そうとしていた。(腰痛があるので)、台所のテーブルに掌を力いっぱい突っ張って、やや上体を斜めに傾けている。

「いやね、わたしが言ったんじゃないのよ。『渡る世間は鬼ばかり』を書いていた、ほら脚本家の橋田壽賀子さんが、泉ピン子さんにあてた言葉だったかな。テレビの番組で言ってたものだから」

言いながら自分でもう拭き掃除を始めていた母だった。わたしは、ボーっと立ちん坊だ。

「お母さん、本当にそのとおりだわ。そっか十分よ、二流でいい。二流を維持するのって大変なことだもの。生涯現役でいる証拠だもの」

「うん。まあね。橋田さんだって自分は二流っておっしゃるんだものね。一流の脚本家は向田邦子さんらしいわ。向田さんは天才だって。自分は二流だけど、書くことはいくらでも浮かんでくるって。だからピン子さんにその言葉を贈られたのかね」

わたしは、母から雑巾を受け取って、俯いて、レンジまわりを掃除し、そのまま晩ごはんの準備をした。コンロごと流し台に運び、水を流し、たわしでこする。強くこすりながら、じわっと涙が出そうになった。

小さい頃は、他人と比べたがり。我が子に期待し、さらに高みを望む母だった。わたしは、母に対して少しでも認めてもらいたくて、これまで努めてきたのかもしれない。その母の言葉だからなおさら響いたのだった。

「お母さん。わたし、二流になる。30年以上この業界にいるんだもの。まんざら道を外してるわけじゃないと思うの。でも、いまなにが求められているのか、新しいのか、それ忘れちゃいけない。わたし、おばあさんになっても書き続けるのが夢なの」
いいながら、見ている眼差しは一流もの、本物をみつめていたい、そう思う。

母は言った。
「そうね、あんたはそこそこやれたと思ったら、すぐに気を抜いて、怠けちゃうところがあるからねえ」


たった一人で母のところに通いだして約一年。時々こうやって神さまはご褒美をくださるのである。


 
 
 
 
 

 
 
 

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