マガジンのカバー画像

doodle note

990
読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
運営しているクリエイター

#アート

寝る前のメモ。

どれだけ好きな人がいたとしても、いつ何時もその人のことを考えてはいられないのと同様に、どれだけ働くのが好きだとしても、いつ何時も仕事のことばかりを考えてはいられないので、「休脳(脳を休める)」の時間を持つようにしている。 本を読んだり、映画を観たり、ランニングに行ったりと、いろいろと試みているのだけれど、わたしにとってのそれは「なにかものをつくる」ことらしい。だれの役にもたたないものを、自分のためだけにつくる。指先だけに集中しているときは、それ以外のすべてのことを忘れていら

おうち時間をちょっぴり豊かに。心地のいい空間を共につくってくれる、亀岡で生まれたアート&クラフト。(随時更新)

地元を中心に、たくさんの方にシェアしていただいた前回の記事の更新から、あっという間に2週間が経ちました。 それ以後、私たちも移住関係のイベントをオンラインで開催してみたり、亀岡を発見するラジオをはじめてみたりと、仕事や日常のベースがこれまで以上にオンラインへ移行し、デジタルとアナログのあいだを行き来しながら、そのいい塩梅を探っているところです。(こういう時だから、どちらもの良さがわかってくる気がしますね。) わが家でも、引き続きいろんなお店のテイクアウトを楽しませていただ

こねこね。

「土でアクセサリーをつくるなんて、縄文時代みたい!」 最近の興味関心が大幅に【民藝】に向かっているからか、この状況にロマンを感じざるを得ない。じぶんでつくったものを身につけるのは、魔除けとか祈りとかそういう文脈に近いのだろうか。あるいは、太古の昔から装飾品は「ファッション」として位置付けられていたのだろうか。 地元のカフェ「cafe nouka」さんで開催中の、陶芸家さんのコラボイベントにおじゃましながらそんなことを考えていた。 先日、世界の少数民族を撮影するヨシダナギ

私たちはきっと、もっと「夢中」になれる。

子どもから大人まで、みんなが「夢中」になっている風景が見たい。 その時、目の前に広がっている光景はきっと、とてもplayfulでいろんな学びや気づきが溢れているはずだから。 私は現在、仕事や趣味であれこれ関わっているけれど、「最終的な着地点はどこか」と聞かれたら【教育】と呼ばれる分野にあたるのだと思う。(学校の先生になりたいというわけではないけどね。) 兼ねてから、学ぶことのたのしさや、年齢関係なく学び続けることの豊かさを感じてもらえるきっかけがつくれたらいいなと思って

本からはじまる妄想の旅。

週末、KIRI CAFEにて本にまつわるイベントが開催されるそうなので、自分の本棚からもいくつか本を持っていこうと思う。(体調はぼちぼち回復し、いくつか仕事も再開しはじめました) 本棚で見つけた「世界がもし100人の村だったら」という本を手にしたのは、いつのことだっただろうか。2008年第1刷発行と書かれているので、高校生の頃なのかもしれない。 ひさしぶりにめくってみたら、やっぱりそこには大事なことが書かれていて。 ドネラ・メドウズは言いました。 貧しい人びとがしあわせ

受け継がれる工芸。

今日からはじまった、KOUGEI NOW 2019 DIALOGUE「親密な工芸」。ご近所さんが出展していることもあり、ひと足お先におじゃましてきました。 “京都では、伝統的な手仕事を今に伝える職人と、その周辺にある文化が日常の中に息づくことで、独自の美意識や感性が生まれ、デザインやアートなど、領域を超えた新たな作り手たちのものづくりへと育まれています。 KOUGEI NOWはそんな京都を拠点に、「工芸を“未来志向”のものづくりへ」というキーワードのもと、手しごとを中

盆地を読み解く。

中心と周辺の関係について考えてみる。 周辺から毎日眺めている景色、とりわけ、どの場所から中心を眺めているかによって、まちの捉え方が変わってくるのかもしれない。 最近、地元のこれまで行かなかったエリアまでわりと頻繁に足を運ぶようになって、そこで暮らす人たちと関わるようになってから、そんなことを感じている。 それには、もしかしたら地形なんかも関係してるんじゃないかな。どの高さからものごとを見ているのかで、価値観が異なるような。 まあ、あくまで仮説だけどね。 高いところか

そのなかで、わたしの役割は。

最近の地元は、いろんな人たちが混ざり合い、これまでとは違うものごとが動きはじめている。 そこにいて、わたしにできることなんてたかが知れているのだけれど、もしひとつできることがあるのだとしたら「いっしょにたのしむ人を増やす」役割なんだと思う。 亀岡ってこういうところですよ。あなたの興味にあわせて案内しますよ。いま、こんなおもしろいことが起こっていますよ。こんなステキなお店があったり、人がおられたりしますよ。 まずはこのまちのファンになってもらうための、イントロダクショ

眺めたい光景。

今回の Artists’ Retreat no-mu のなかで、ずっと眺めてたいなと思った光景のひとつは、きっとこれだと思う。 ひとりの有機農家をフィルミングするアーティストが出会った、近所に住む84歳の男性と彼が映る映像、一緒に眺めている彼の友達とアーティスト。 古民家の障子越しに部屋から投影された映像を、外で見ているわたしたち。 いろんな立場の人が混ざり、それぞれがその場をたのしんでいる光景が本当に心地よくて。 わたしとおじいさん、おじいさんとイギリス人、わたしと

Is this my hometown?

亀岡に、いろんな国からやって来たアーティストたちが滞在している。 彼らや彼女たちの関心にあわせて、人をつないだり、情報を共有したりするのが「地元民」としてのわたしの関わり。できることは限られているけれど、できる限りのことはやろうと思っている。 アーティストや外国の方々の視点を借りることで、地元の見方や捉え方が変わってくる。なんだか一緒に地元を旅をしているみたいでおもしろい。 そんなことを考えていると、いつか、どこかでお会いしてみたい中村佳太さんのnoteがタイミングよく

Still under the fog.

これまでのことを少しだけ俯瞰してみると、昔から「聞かれる」とか「頼まれる」ことでわたしは成り立ってきたんじゃないかと思う。 テストの答案を見せてほしい(本当はあきません)、塾の宿題やってほしい(本当はあきません)、明日は何時の電車に乗るのか教えてほしい、このメモを彼に渡してほしい、この技術を教えてほしい、ちょっと相談にのってほしい、これについてどう思う?、イベントや授業で話してくれない?、こんな課題があるから一緒に考えてほしいんだけど・・・ だれかの「want」に応えるこ

連れ出してくれるもの。

大きな絵を観たいな。とにかく大きな絵を。 ・仕事があわあわしてくると、なんだかこころが芸術的なものを求めるらしい。仕事はきらいじゃないけれど、すこしの間、あたまの中身をべつのところへ飛ばしたくて。 ・わたしにとって、いちばん身近なのが「文字」だと思う。とりわけ、どこか遠くの世界へ連れ出してくれるような「小説」が好きで。 物語りを読み進めている間だけは、なにもかもを忘れられる。そして、あたかも「わたし」がお話の主人公になったように、別の人生を歩きはじめてくれる。 読み終

さよならよりも、またね。

ああ、ちょっと泣きそうだ。 My friend Benedicto's words: "In the middle of the road, someone has to leave. Do not let it grieve you, no one leaves for good." See you all again — somewhere. もう二度と会えないわけではないのに、物理的に遠い国のひとたちと出会うと別れがつらくなる。 一緒に過ごす時間はそんなに多く

おもちつきに参加しました。

近年なくなりつつある「おもちつき」も、地域コミュニティを支える文化のひとつだったんだと思う。 今日参加した、若い世代が企画するおもちつきに地域の方々がぞろぞろと足を運ばれる様子を見て、そんなことを考えていた。 おもちつきを各家庭でやらなくなった背景は、人々の生活における時間の使い方や価値観の変化、もちつき機や市販のおもちの普及など、そのほかに失われつつある地域文化とさほど変わらないと思う。 蒸したもち米を運ぶひと、杵でつくひと、臼からはがすひと、できたおもちをちぎるひと