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読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
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#思考

今日はまつ毛がよく抜ける。

今日も今日とて「かめじん」上映会。 最近の上映会は、なんだか国際色豊か。おわった後に、オランダのアーティストユニットからインタビューを受けました。 ・わたしたちジャパニーズガールが「日本人」や「わたし」というアイデンティティを認識するのはいつなのか。 ・そのプロセスは男の子と女の子で違うのか。 ・秋葉原にいるアイドル達についてどう思うか。彼女たちはアイデンティティに気づくのか? それともずっとファンシーなのか。 大きなテーマはずっとこの辺りだったと思う。 おもしろ

Still under the fog.

これまでのことを少しだけ俯瞰してみると、昔から「聞かれる」とか「頼まれる」ことでわたしは成り立ってきたんじゃないかと思う。 テストの答案を見せてほしい(本当はあきません)、塾の宿題やってほしい(本当はあきません)、明日は何時の電車に乗るのか教えてほしい、このメモを彼に渡してほしい、この技術を教えてほしい、ちょっと相談にのってほしい、これについてどう思う?、イベントや授業で話してくれない?、こんな課題があるから一緒に考えてほしいんだけど・・・ だれかの「want」に応えるこ

眠る前のメモ。

むかしから、こういうゆるい感じのものが好きだった。だから、あたまの中もたいていゆるい。 ・数年後、また会えるかもしれないけれど、それでもさみしいのは、また会いたいと思った人たちだったから。 ・そのためには、どんな仕事に関われたらいいのだろう。考えよう。 ・この場所で、じぶんを信頼してくれている人たちとどのように関われるのだろうか。 ・いろんな国々を行き来しながら、地元にも関われる方法は、どんなものがあるのだろう。考えよう。 ・そのために必要な「わたし」のベースはなん

連れ出してくれるもの。

大きな絵を観たいな。とにかく大きな絵を。 ・仕事があわあわしてくると、なんだかこころが芸術的なものを求めるらしい。仕事はきらいじゃないけれど、すこしの間、あたまの中身をべつのところへ飛ばしたくて。 ・わたしにとって、いちばん身近なのが「文字」だと思う。とりわけ、どこか遠くの世界へ連れ出してくれるような「小説」が好きで。 物語りを読み進めている間だけは、なにもかもを忘れられる。そして、あたかも「わたし」がお話の主人公になったように、別の人生を歩きはじめてくれる。 読み終

朝霧のなかで。

今日、わたしは「夢」のためになにをしたのだろう。 思いつくのは簡単だけど、ほんとにやるのは大変だ。「実行=ほんとにする」ためには、身も蓋もないくらい具体的なことが必要なんだよね。夢も、そのために「今日なにをする?」が必要なんだ。 02月04日の「今日のダーリン」より 仕事内容はいったん置いといて、いい文章を読むこと、イラストを描くこと、インタビュー記事を書くこと、自分が書いた記事や携わる企画を発信すること。そんな日々の繰り返しでは、たしかに低空飛行なのかもしれない。 焦

書きかけのメモ。

どのコミュニティーを探しても、100%のわたしはいない。 コミュニティー【community】 ① 人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域、およびその人々の集団。地域社会。共同体。 ② 転じて、インターネット上で、共通の関心をもちメッセージのやりとりを行う人々の集まり。 ③ アメリカの社会学者マッキーバー(R. M. MacIver)が定式化した社会類型の一。血縁・地縁など自然的結合により共同生活を営む社会集団。 → アソシエーション 『大辞林 第三版』より

花が咲く、すこし前のこと。

・世界中の人々が、それでも日本に来続けるのは「四季」があるからなんだと思う。同じ場所でも、季節ごとに表情が変わる風景や、時期ごとに味わえる旬の食材。それってやっぱり、唯一無二なんだろうな。 ・じぶんのしあわせと、ほかのひとのしあわせの基準がすこし違うことをわかってからは、ずいぶんラクにしあわせになれるようになった。わたしは、わたしのしあわせのために時間を使いたい。 ・やっぱり、わたしたちにはもっとたくさんの「失敗」が必要なんだと思う。ひとは失敗からしか学べないし、学ばない

食パンの耳のようなお話。

・「わからないもの」に対するスタンスのなかにも人柄はあらわれる。それは決して、「わるいことを試みよう」としている人を、どうにかわかろうとしている話ではないのだけれど、そこに対して壁をつくりたい人とのやりとりはちょっとむずかしいなと思った。 ・わたしには基本的に「理解したい」という気持ちがあるのだと思う。合意はできないかもしれないけれど、いろんなひとの考え方や生き方を理解したい。どちらかと言えばほんとうは、じぶんがやることにしか興味がないような、結構つめたい人間なのだけどね。

でもやっぱり、趣味だから。

どれだけ時間がなくても、無意識のあいだにしてしまうこと。 いまのわたしにとってそれは、「地元」を発信することなんだと思う。TwitterもInstagramも、時々更新するFacebookも、気がつけばこの4年くらいずっと「亀岡」と言い続けていて。 だからどう、という話ではないのだけれど、なんだかんだで、実際にここまで足を運んでくれる友人がいるのはやっぱりうれしい。 そこから生まれた仕事や、出会えた人たちがいることは、本当に財産なのだと思う。 どこまでが仕事で、どこま

気まぐれロボット。

・同じまちに生まれていても、地元に対する考え方は異なる。それは当たり前のことだと思っている。ただ、そのまちのどこで育ったか、というところはすこし影響しているのかもしれない。 たとえば、小さい頃にその土地に続いてきた歴史や文化を感じているかどうか。わたしたちのような農村では、畑や田んぼ、祭りや人々の知恵などがそれにあたると思う。 先日、はじめましての地元出身者に出会った。 身近に地元の新興住宅地に家がある友人があまりいなかったので気づいてなかったけれど、もし、そういった場

ビートルズの渦。

ここ数日、「憧れ」の正体について考えている。 語弊を恐れずにいうならば、わたしはつよく他者に憧れたり、特定の誰かのファンになったりするような経験をしたことがない。 これまでを振り返ると、有名無名に関わらず尊敬するひとやプレーを繰り返し観察したバスケ選手は何人かいたはずだし、働きはじめてから参考にさせていただいた記事やプロジェクトはある。 好きな俳優もいたし、アイドルグループを真似て踊っていたこともある。おもしろそうだなと思うイベントやトークショーはお金を払ってでも行って

「平成」と生きてきたぼくら。

目に見えるもの、見えないものはあるけれど、価値の「つくり手」になることで、わたしたちは豊かさを感じているのだと思う。 大橋トリオさんの「そんなことがすてきです。」という曲の “物にあふれたこの時代に 作りだすことは とても難しい宿題さ” というフレーズは、平成という豊かな時代の「光」が生みだした「陰」の部分を表しているのかもしれない。 でも、そこに難しさがある限り、つくり出せるたのしさがあるのではないかと思っていて。 物にあふれたこの時代に 作りだすことは とても難しい

流れの美しさ。

昔から、なにかものをつくっているおじいちゃんやおばあちゃん、職人さんの手元を見るのが好き。料理なんかは、手元を観察していたらできるようになったくらい、動きを見ている。 今日は、以前企画でお世話になったお寺さんのおもちつきイベントにお邪魔してきた。 気がつけば、おばあちゃん達の輪のなかに入っておもちを丸めていたのだけれど、なんだかもうたのしくて。いちご大福に大根おろし、よもぎ餅など、次から次へといろんな「おもち」ができていく。 「これはちょっと硬いから小餅にしよか」「これ

あたらしい器。

陶芸家さんがご近所に住んでおられることもあり、年に何度か陶器を買うようになった。 近くのパン屋さんやカフェで展示販売会をしてくださるので、これまでよりもずっと「器」が身近なものになったんだと思う。世間話の延長でつくり手の方々とお話できる、このまちの距離感も結構好きで。 慌ただしい日々の中で、毎日のように作家さんの器を使うことはむずかしいけれど、少しずつ生活のなかに取り入れていけたらいいなと思っている。 例えば、休日のワンシーン。 この組み合わせで朝を迎えられると、「き