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ビートルズの渦。


ここ数日、「憧れ」の正体について考えている。

語弊を恐れずにいうならば、わたしはつよく他者に憧れたり、特定の誰かのファンになったりするような経験をしたことがない。


これまでを振り返ると、有名無名に関わらず尊敬するひとやプレーを繰り返し観察したバスケ選手は何人かいたはずだし、働きはじめてから参考にさせていただいた記事やプロジェクトはある。

好きな俳優もいたし、アイドルグループを真似て踊っていたこともある。おもしろそうだなと思うイベントやトークショーはお金を払ってでも行っている。


けれど、その対象に過度な憧れを抱いたり、のめり込んだりすることはなかった。(一度だけ「ファンです」というひと言を口にしたことがあるけれど、苦虫を噛みつぶしてしまったような後味の悪さがずっとのこっていた。)


先日、Amazonのプライムビデオで、ビートルズの活躍をつづった映画『Eight Days A Week』を観た。

「社会現象」とまで言われるほどだったビートルズの活躍を、生身で感じたことがない世代なので、すこしでもその一端を理解できればという気持ちがあったからだ。

ここまで多くの人を虜にしてしまう彼らはすごかったし、作曲数も含めて想像を絶するくらい相当ハードな日々を過ごしていたと思う。中学の英語の授業で習ったような曲は、彼らとファンの夢がすこし醒めた頃のものだということもはじめてわかった。


正直なところ、映像のなかで流れてくるファンの様子は、好意を通り越した狂気を感じてしまうほどだった。多くの若者にとって、彼らはきっと心の拠りどころだったに違いない。単純に曲がいいね、以外のところに「憧れ」をつくる成分があったのだと思うけれど、あんまりわからなかったなぁ。

「彼らの本当のすごさを知らないだけだよ」と言われたらそうかもしれし、彼らが4人揃うことが叶わなくなってしまった現代では、彼らの本当のすごさを知る術もないのだと思う。



「憧れ」の正体とは、一体なんなのだろう。なにかに憧れることすらできないほど、わたしは無知なのだろうか。

もし、わたしがビートルズと同時期に青春時代を送っていたとしたら、どんな感じだったかなあ・・なんて考えてみたけれど、結局答えは見つからなかった。


もしかしたら、わたしが憧れる対象が、特定の「だれか」ではないというだけのことなのかもしれないけどね。

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