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「平成」と生きてきたぼくら。


目に見えるもの、見えないものはあるけれど、価値の「つくり手」になることで、わたしたちは豊かさを感じているのだと思う。

大橋トリオさんの「そんなことがすてきです。」という曲の “物にあふれたこの時代に 作りだすことは とても難しい宿題さ” というフレーズは、平成という豊かな時代の「光」が生みだした「陰」の部分を表しているのかもしれない。

でも、そこに難しさがある限り、つくり出せるたのしさがあるのではないかと思っていて。

物にあふれたこの時代に 作りだすことは
とても難しい宿題さ
誰かのマネはつまらないから 勇気を出していこう
そうさ ぼくは僕だけだから

大橋トリオ / そんなことがすてきです。

インターネットをはじめ、生まれた頃からいろんな物に囲まれ、成長とともにどんどんと暮らしが豊かになり、さまざまな質の高いサービスを当たり前のように受けられるわたしたち。

昭和の時代に描かれたであろう「しあわせ」の姿をこんなにも享受できているはずなのに、時々そこに息苦しさを感じてしまうのは、一体なぜなのだろう。


こうすればみんなが「しあわせ」になれるかもしれないという思想のもと、ある程度まで築かれてきた「社会」や「教育」や「就職」システムの恩恵を受けているのは事実だし、“轢かれたレール” の上を歩いているとまでは思わないけれど、良くも悪くも「平成」は、その流れにさえのっていれば なにも考えなくてもそれなりに生きていける時代だった。

それはそれで「しあわせ」なことだと思う反面、「人間」のアビリティを考えた時になんだかもったいない気がしてしまう。もっと、わたしたち「人間」には、できることがあるのではないかという期待を捨てられないからだ。(このあたりのことは、ちょっと難しい顔をしながら書いている。)

わざわざものごとを起こしたり変えたりすることは億劫だし、それをしなくても楽に生きていけるし、なにも「考えない」という選択をすれば、そこまでなのだけど。


だけどもし、わたしたちが壮大な「過去」と引き換えに得られた「今」があるのだとすれば、それを「未来」に引き継いでいくことは、ある種「義務」のようなことではないかと思っていて。(続くものは続くし、続かないものは続かないのだから、その延長に「人間」がいなくなるとしたら、それは続かなかっただけのことなんだけどね。)

なんていうかこう、世界に大きなインパクトをもたらそう! と意気込んでいるわけではなくて、いろんなものごとが世の中にあふれたことで “彷徨える” 自由を得たわたしたち世代は、「人間」の本来の価値とはなにか、「わたし」という価値をどうつくり出していけるのかを問う余裕を、生まれながらにしてもっているような気がするのよね。

なかには、それを「アート」や「ビジネス」というかたちで表現しているひとたちもいる。このふたつはおそらく、わたしのなかで今年掘り下げていくテーマになると思う。


ここで、パスカルの「人間は考える葦である」ということばを思い出してみる。

17世紀フランスの思想家パスカルのことば。彼は代表作『パンセ』の冒頭で、「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と述べている。広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがあるという。
コトバンクより引用させていただきました)

大自然のなかで、わたしたち「人間」は取るに足らない存在かもしれないけれども、そんなわたしたちに価値があるとすれば「考えること」なのだという。一体、だれのため・なんのために考えるのかはそれぞれの解釈になるのだろうけど。

物があふれた時代を生きてきたわたしたちは、もはや有形のものに固執しなくなった。だからこそ、より見えないところに価値を見出すようになっている。それは、つくること・消費することもどちらにも当てはまるように思う。


これから時代は、冒頭の歌詞にもあるように “ぼくは僕だけだから” をそれぞれがもっと自由に、そして真剣に突き詰めていくんだろうな。

それをすることが「しあわせ」と捉えるか「ふしあわせ」と捉えるかはそのひと次第なのだろうけど、少なくともわたしにとっては「しあわせ」なことなんだと思う。


今年は、そんな考えに説得力をもたせるための「つよさ」を意識した1年にしていきたい。それは、突発的なものではなくて、持久力をもたせるためのものとして。

あたまに浮かんだことをそのまま書きなぐってしまったメモだけど、これも1年を通して少しずつアップデートされていくのだと思う。

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