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2018年12月の記事一覧

2018年。

2018年が、もうすぐおわろうとしている。 今年も、世界的なことから個人的なことまで大小いろんなものごとが動いていて、それぞれに対して考えることもたくさんあったけれど、年の暮れにはだいたい忘れているみたい。 結局のところ、自分の手の届くところにしかわたしの声は届かないし、手をむすべない。その範囲を広げていくために、あれこれ動きまわるのがいまのわたしにできる精一杯なんだと思う。だから、そこで出会えたひとたちや、これから出会うかもしれないひとたちを大切にしていきたいかな。

年末のすごしかた。

ここ数年、ゆるゆると休みつつぼちぼち働きながら迎えている年末年始。 年賀状はたいていぎりぎりになっちゃうけど、今年のレイアウトは無事に完了した。印刷もできたので、あとは宛名とメッセージを書くだけ。 もちろん、仕事にもメリハリが大切なのは理解しているのだけれど、「年末年始」だからという理由だけで休むのがあんまりしっくりきてきなくて。 いまのところイヤイヤ働いているわけではないし、むしろ誰からも連絡がなく、いい感じに仕事がはかどっているのをあんまり止めたくない気がする。

もしも、「喫茶ランドリー」の「ランドリー」が「資源ごみ回収拠点」に替わったら?アミタが南三陸町で行った実証実験。駐車場に現れたすばらしき「喫茶ランドリー」的光景とは!?

「喫茶ランドリー」には、お店の奥に洗濯機・乾燥機、ミシンやアイロンを備えた「まちの家事室」があり、来店者の多様化と店内のコミュニケーションの活性化に一役をかっています。でも、私たちがいつもお話しするように、「喫茶」や「ランドリー」という機能だけが、この全てを決定づけているわけではありません。 ぶっちゃけ何でもいいんです。その土地、その場所に見合った、「何か」がフィットすればいい。あくまでその魅力的な選択によって、そこに「喫茶ランドリー」的な人々の会話と、能動性があふれる場所

クリエイティブは、ヒエラルキーを剥がす

音楽、おやつ、遊び、文学、絵画…。クリエイティブはヒエラルキーを剥がす力がある。社会的な序列にかかわらず、よいクリエイティブの前では、みんな一人のひととして、同じように心を動かされるから。 例えば、昔働いていた外資系大企業の、当時の日本法人CFOは、真面目なシーク教徒の男性だった。ターバンを巻き、いつも威厳のあるたたずまい。部下と世間話をしたのも見たことない。そのCFOを「レッチリのライブで見かけたのよ!めっちゃノリノリだった」と同僚が教えてくれた。「うっそ、まじで!信じら

2050年に、「こたつでみかん」は存在するのか。

先ほどまで「爆笑!明石家さんまのご長寿グランプリ2018」のご長寿早押しクイズでげらげらとお腹を抱えて笑っていたところだった。だって、素の状態で、滝沢カレンちゃんの職業を「首長族」と言ってしまうんだもの。 同番組で、過去の自分に対するビデオレターのコーナーがある。それぞれが、昔の自分へのアドバイスや応援メッセージ、成し遂げたもの、願いなど、笑えるものから涙ものまで様々なストーリーを語られていた。 今のわたしと同い歳くらいの時に戦争を経験した方々は、おそらく100歳近くにな

そこに、「生活者」としての視点はあるのか。

SNSを見ていると、思っていたよりも反響があった地元の「プラごみゼロ」宣言。正直、唐突すぎてびっくりしたというのが市民としての感想だった。 わたし自身も数年前からエコバッグを持ち歩いていたし、毎回というわけではないけれど、レジ袋が入らないときは断るようにしていた。 そうするようになった1番のきっかけは、市内のお店で買い物をするようになったことだと思う。 ここ数年で、生産者や顔をよく知った方々から直接ものを購入する機会が増え、毎回のようにレジ袋をもらうことになんだか申し訳

深夜の雑談。

お酒は好きだけど、必需品ではない。 基本的には月に一度飲むか飲まないかという程度なので、年末のこの1週間のうちに5回も飲む場にいることに結構びっくりしている。 (といっても、そのうち飲んでるのは3日なんだけどね。) 生活のリズムが崩れるのがいやで、あんまり夜に外出しなくなったけど、こういう時にしか会ったり話したりできないひともいるわけだから、もうすこし余裕をもてるようになりたいなと思った2018年の年末でした。 とはいえ、この時間に更新する日々とは、一旦区切りをつけた

旅は「わたし」の五感を育て、許すことを教えてくれる。

好奇心は、最大の防御なんだと思う。「わたし」を守るためのもの。 好奇心は、「わたしを変えてもいい」という 覚悟(あるいは無意識の衝動)があるってことなんだ 12月26日の『今日のダーリン』より。 好奇心のおもむくままに動いていると、思いもしなかった景色に出会えることがある。 その「おもしろさ」や「たのしさ」を一度味わってしまうと、たとえ先を予測しづらい場面でも、そんなに慌てなくなってくるし、むしろ、たのしめてくる。最後はどうにかなることを知っているし、案ずることそのもの

わたしと2018年。

今日は会社の定例ミーティングで、勉強家の兼松さんが提唱されている「BEの肩書き」ワークショップを実施しました。 わたし自身も、個人的にどんな1年だったかを棚卸ししようと思っていたタイミングだったのでちょうど良い機会になりました。 他者を交えて振り返りを行うのは、なんだか気恥ずかしいところもありましたが、お互いを知れるたのしい時間でもありました。 (▲画像に記事のURLを貼っています) そもそも、「BEの肩書き」とはどういうものなのでしょうか。 「beとしての肩書

冬の1日。

昨日の夜から、今朝はランニングをすると決めていた。 理由は簡単で、年末に大学時代のサークルメンバーで「忘年バスケ」をすることになったから。年に一度くらい、かつて情熱を注ぎ込んでいた「バスケットボール」に触れるのはたのしいけれど、わたしたちのサークルは体育の授業の延長ほど甘くはない。 いまもバスケを続けている人たちに混ざる恐怖心から、ちょっとでも体を動かすべしと、罪滅ぼしのように朝と夜の2回走ってきた。 ツンとする冷たさのなかで走るのって、結構気持ちがいい。 :::

流れの美しさ。

昔から、なにかものをつくっているおじいちゃんやおばあちゃん、職人さんの手元を見るのが好き。料理なんかは、手元を観察していたらできるようになったくらい、動きを見ている。 今日は、以前企画でお世話になったお寺さんのおもちつきイベントにお邪魔してきた。 気がつけば、おばあちゃん達の輪のなかに入っておもちを丸めていたのだけれど、なんだかもうたのしくて。いちご大福に大根おろし、よもぎ餅など、次から次へといろんな「おもち」ができていく。 「これはちょっと硬いから小餅にしよか」「これ

あたらしい器。

陶芸家さんがご近所に住んでおられることもあり、年に何度か陶器を買うようになった。 近くのパン屋さんやカフェで展示販売会をしてくださるので、これまでよりもずっと「器」が身近なものになったんだと思う。世間話の延長でつくり手の方々とお話できる、このまちの距離感も結構好きで。 慌ただしい日々の中で、毎日のように作家さんの器を使うことはむずかしいけれど、少しずつ生活のなかに取り入れていけたらいいなと思っている。 例えば、休日のワンシーン。 この組み合わせで朝を迎えられると、「き

年末雑記。

・「忘年会」と言えるほど、1年間の出来事を覚えていないことが判明した。 【忘年会(ぼうねんかい)】とは年末に催される宴会の事である。一般的には、その年の苦労を忘れるために執り行われる宴会について言う。 Wikipediaより 以前も書いたかもしれないけれど、今年なにをしていたかほとんど覚えていない。決して、蓄積できていないという意味ではないけれど、やった仕事の大枠は覚えていても細部を忘れていることが多いので、忘れるものを持ち合わせていないんだと思う。 我ながら、便利

ぜいたくな時間。

こうだったらいいのにな、と思っていたことを少しずつかたちづくっていく。 まだまだ、はじまったばかりではあるけれど、いつか、なにかを一緒にできたらいいなと思っていた方々と、こうして仕事を通して関わりしろをつくっていけるよろこびを噛み締めている。不恰好かもしれないけれど、大なり小なり足掻いたとしても、手足を動かすことは辞めない。 いまのわたしの力では、最初からすべて満たすものはつくれないけれど、0に何をかけても0だったものが1になれば、かけた数字の分だけ大きくなっていく。元の