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2050年に、「こたつでみかん」は存在するのか。


先ほどまで「爆笑!明石家さんまのご長寿グランプリ2018」のご長寿早押しクイズでげらげらとお腹を抱えて笑っていたところだった。だって、素の状態で、滝沢カレンちゃんの職業を「首長族」と言ってしまうんだもの。

同番組で、過去の自分に対するビデオレターのコーナーがある。それぞれが、昔の自分へのアドバイスや応援メッセージ、成し遂げたもの、願いなど、笑えるものから涙ものまで様々なストーリーを語られていた。


今のわたしと同い歳くらいの時に戦争を経験した方々は、おそらく100歳近くになる。終戦後のめまぐるしい経済発展、インターネットの誕生による人類の進化、そして平成の終わりまでひと通り経験されてきたんだなと思うと、すさまじい時の流れを感じてしまう。

「これから」のことを考えるために「これまで」を辿ってみたいけれど、30年前だとわたしはこの世に生まれていない。


先人たちの努力のうえにいまの暮らしがあるし、彼ら・彼女らのつくりあげた「発展」の恩恵を受けているわたしたちは、誕生した瞬間からいろんな「もの」に囲まれて生きてきた。

だから、「学校に行くこと」「外食をすること」「服を買うこと」すべてにおいて、価値の感じ方が親世代とも祖父母世代とも異なる。

そもそも生きてきた背景がちがうから、このあたりの差異に関してそこまで驚くことはないけれど、これからの30年を考えるときに、わたしたちは一体、どんな風景を目指していけばいいのだろうか。


一例をあげてみると、【こたつでみかんを食べる】ことは、わたしたち20代でもまだイメージがしやすい「冬」に「家族」が「団欒」している、定番の風景だと思う。でも、実際のところどのくらいの割合でこの風景は存在しているのだろうか。

かつてのような円卓や、正座を前提とした低いテーブルではなく、わが家のこたつは椅子付きタイプなので、ソファに座ったままでも暖がとれるようになっている。そこで、家族と一緒にみかんやアイスを食べている。

昔のことを思い出す方々からすれば、ライフスタイルの変化とともに「こたつ」そのものは変わったかもしれないけれど、「冬」と「家族」の風景にある「団欒」の要素はそこまで変わっていないように思う。


30年後の未来で「こたつ」に変わるなにかがあれば、こういった【こたつでみかんを食べる】という「冬」と「家族」の「団欒」の風景はなくなるのだろうか。

わたしの場合は、割とマイルドな田舎で一戸建ての家に住んでいるから、いまのところ「こたつ」があるけれど、都市部のオール電化の高層マンションに住んでいたら、「こたつ」はすでに “懐かしいもの” になっているのかもしれない。

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2050年のわたしたちは、一体どんな風景のなかを生きているのだろうか。「冬」と「家族」に「団欒」ということばは存在するのだろうか。

これから先「冬」は寒いものだという保証もなければ、「家族」ということばの表すものが変わっているかもしれない。けれど、年の暮れに「団欒」できる「こころ」は必要なんじゃないかと思う。


わたしたちが、わたしたちの意思で、世代を超えて大切にしたいものを大切にするためのテクノロジーであってほしい。そんなことを思うたびに、なくしたくない「風景」のことを考えるようにしている。

わたしたちが「こころ」とむきあい続けることができるなら、どんなテクノロジーの発展も、いつかあたりまえの「風景」になる。わたしは、30年後も家族と一緒に【こたつでみかんを食べて】いたいな。

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