便利なものに頼ってはいけないという気分

英語が好き!英語を使いたい!
という情熱をもってアメリカ生活を始めた私だが、
自分の英語が思っていたよりずっと使い物にならない現実を知り、
すっかり自信を失っている。

外で英語を使うことに毎回大きく緊張し、話し終わった後は、それが店員さんとの短い会話だったとしても、「あの発音をきれいに言えなかった。」「瞬時に返答できなかった。」「文がめちゃくちゃだった。」とあれこれ反省。

英語を学んでいると、
失敗してもいい。その経験でさらにレベルアップした英語力を身につけることができる。
どんどん英語を話してみるべきだ。
という話を多く見聞きする。

だから、自分で自分自身に、「とにかく話さないと!」「どんどん英語を使わないと!」というように、プレッシャーをかけてしまいがちだ。

そして、その結果、私は2つの道のどちらかを進むことになる。

1.とにかく英語を使おう!と、英語を話す状況に飛び込んでみる。が、会話の後にあれこれ反省し、「やっぱり私は英語ができない…」と落ち込む。

2.話さないといけないよな…とわかっているものの、一歩踏み出すことができず、そんな自分の弱さにがっかりして落ち込む。

結局、「落ち込む」という状態にいきつくのだ。

今は、便利な世の中で、ファストフードのお店にはタッチパネル式で注文できるところも増えた。店内で食べようが持ち帰りであろうが、店員さんとレジのところでやり取りする必要がないのだ。

スタバのようなカフェでも、アプリ等であらかじめ注文しておいて取りに行くという方法もあるし、実際にそれを利用しているアメリカ人も結構いる。
(お店にいくと、"PICK-UP"のカウンターに飲み物がいくつも置かれていることから推察)

そう。英語でやり取りしなくても、いい場面があるのだ。
英語学習者の多くが泣かされるという電話のやり取りも、最近は、オンラインのチャットやメールで問い合わせることができたりして、わざわざ直接話す必要もない。
予約なども、HPからサッとできたりテキストでクリニックとやりとりできたりもする。

便利だ。
そして、楽だ。
精神的にも。

そこで、再び英語!英語!マインドの私は考える。

でも、英語力を伸ばしたかったら、この便利で楽なシステムに頼るのはダメなのでは?

と、自分が何だかズルをしているような罪悪感に襲われる。

こんなふうに便利なものに頼っているから、私の英語力は伸びないのではないだろうか。私はもっと、自分を追い込んだ方がいいのではないか。

でも、追い込んだ先の未来は見える気もする。
きっと、また「落ち込む」ことになる。
散々な結果となり、失敗経験ばかりが積みあがっていく。
そして、それによって自信がさらに失われていく。

そうなるくらいなら、便利なものに頼って、それに頼ることを自分に許してあげて、気持ちよく暮らす方がいいのではないか。

やっぱりそんな考えは、英語を学ぶ者には「あり得ない」のだろうか。

近頃は、そんなことをグルグルと考えている。

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