在米年数をかさねてもダメなのだという現実と向き合う

先日、娘の現地校のクラスイベントに参加した。
クリスマス前ということで、みんなでジンジャーブレッドハウスを作ろう!というものだ。

ジンジャーブレッドハウスの例

ジンジャーブレッドハウスは、クッキー(orクラッカー)を家の形に組み立てて、アイシング(白)を使ってチョコやグミ、キャンディーなどで飾り付けて作る。

平日の昼過ぎという時間にも関わらず、クラスの半分くらいの保護者が参加していた。

正直に言うと、英語を使うことに対してすっかり臆病になっている私は、参加を迷った。
でも、娘が私の参加を楽しみにしていたので、不参加という選択をすることはできなかった。

イベント中は、思っていたよりずっとリラックスして過ごせたように感じる。
それは、顔見知りの保護者が多くいたから。
このクラスになって2年目。
お迎えの時などのちょっとした時間だが、クラスの保護者に挨拶をしたり、少し会話をしたりすることを細々と続けていて良かったと思う。
知っている人がいる(それも複数人)のといないのとでは、私の心の安定度に大きな違いがでる。

この日、保護者との会話や、彼らと空間を共にすることはなんとかクリアしたが、問題があったのは子どもたちとの英語でのやりとりだった。

娘は仲良しの女子グループと同じテーブルに座り作業を共にしたのだが…。
小学3年生ともなると、女子たちの会話のスピードは速い。
時折、私にも話しかけてくれるのだが、単語をいくつか拾うだけで精一杯。申し訳ないくらい会話が弾まず…。
娘はマイペースに自分の作業に集中しているから助けてくれない。

それでも、作業に手間取っている子のお手伝いをしたり、明るい雰囲気で話を理解しようと努めたり、自分からも話しかけてみたり、と自分ができることはした。

だからなのか、いつものようにイベント後に
「英語ダメだったな…。」
と深く落ち込むことがなかった。

たしかに、英語を一発で聞き取れなかったり、何の話をされているのか理解できなかったり、そのせいで気の利いた言葉を返すことができなかったりしたのは悔しいし悲しい。

このイベントに参加して改めて考えたのは、在米年数をかさねても、そう簡単にはストレスや問題なく会話できるレベルの英語は身に付かないということ。
そう言ってしまうと希望を失いそうになるが、私にはこれが現実なのかもしれない。

あと1年、いや、あと3年、いや、あと10年いたら…私の英語はきっと上達して満足に英語で会話を楽しむことができるレベルまでいけるはず。そんなことをボンヤリ思っていた時期もあった。
だからこそ、本帰国を告げられることを恐れていた。
もがきたかった。

しかし、今は、在米年数を重ねることで自分の英語力の問題が解決するわけではない、と理解している。

このような諦めに似た気持ちを抱くようになって、不思議なことに、心が軽くなった。
私を縛っていた何かが解けて私を解放してくれた感じだ。

在米年数を重ねても、誇れるような英語力を身につけることはできなかった。
それはつまり、ただダラダラと英語環境に身を委ねていてもダメだということ。
英語力を上げて、もっと英語の世界に溶け込んでいけるようになりたかったら、やっぱり何かをしなければならないのだ。
それが、自分の心を痛めることであっても、勇敢に挑戦していかなければならないのだろう。

私はその挑戦の多くから逃げていた。
自分が失敗することや傷つくことに耐えられないと。
それでもいい。
それもまた、私が私を守るための選択だった。

ただ、そうしてきた結果が、今の私の英語力なのだ。
在米年数をかさねても、来た時とほとんど変わらない「もどかしさ」を英語での会話の中で常に感じている現状。

それを認めなければならない。

挑戦しなかった私に、「何年もアメリカに住んでいるのに、英語力が全然伸びない…。」と落ち込む資格はないのだ。

それに気づいたら、再び私は選ばなければならない。
自分が求める自分に近づくために、
自分が欲しいものを得るために、
どの道を選択し、進んでいくのか。





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