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バカ野郎!ひとりにしないでよ。アメリカで夫に先立たれた妻のバイブル (6)

  • グリーフケア③

「生きてるとさ、いろんな悩みが出てくるよね」

「そうだね、生きているとね」

主人公が夫に問いかけるテレビドラマのセリフです。色々な悩みを抱えて生きている現代人。ストレスのない人生などないと思います。仕事のストレス。恋愛のストレス。人間関係のストレス。健康不安のストレス。

生きている人間は色々なストレスを抱えています。しかし、何処かで折り合いをつけながら日常生活を送り日々を生きます。このテレビドラマの会話から一つだけわかる事があります。それは、主人公が抱える悲しみやストレスを理解してくれる相手がいるという事です。

私も生きた歳の分だけ色々なストレスを経験しました。愛犬の死も肉親である母の死も経験しました。それでも乗り越えられたのは、夫がそばにいて私のストレスを理解してくれたからです。

感情の共有は大きな傷口から出てくる悲しみという血を止めてくれる薬であり、まるで絆創膏のようです。私の深い傷を止血してくれる絆創膏は世界中探しても、もう何処にもありません。ドロドロと真っ赤な血が身体中から飛び出しているのに、誰も止める事が出来ずにいる状態が続いているのです。

愛する人の死から受けるストレスは、経験したものしか理解出来ないと思います。太陽は毎日変わりなく昇り、沈みます。絶望の中、この世界でひとりぽっちになっても、生きなければならないのです。

突然死をした夫を可哀想だと言う人もいます。年齢が若かったからと言うのもあるのでしょうが、そうでしょうか?

残された家族は死んだもの以上に悲惨だと私は思います。死んだものは苦痛も悲しみも感じない世界へ移動したのです。残された家族は、生身の体を持って生きてます。苦痛を感じながらも、どんなに辛くとも生活しなければなりません。生きるためには、お金も必要です。綺麗事で生活は出来ません。遺族に突きつけられる現実は、感じた事もない不安をプラスし、希望の見えない絶望へと追いやります。

グリーフケアについて書き出し、どうしても書いておきたい事があります。

この苦しみを知ってる様なふりをして遺族へ声をかけるのだけはやめてください。

『大丈夫だよ…何も心配ない』『今は辛くとも、時が解決する』『乗り越えられない苦労はない』

それらの言葉は、死という誰もが避けられない人間の運命を目の当たりにし、禍いを遠ざけたい。ざわめく心を落ち着かせたいと願う、死への恐怖に対する内なる声に聞こえます。遺族への慰めの言葉というより自分自身への言い聞かせのようで、たとえ悪気がないにしろどこか他人事の様に聞こえます。

遺族にとっては、それらの言葉は何ひとつ助けになりません。

『なんて言葉をかけてよいのかわからない。でもあなたの心に寄り添いたい』私に声をかけてくれた親友の言葉です。彼女は、花の写真や子猫の写真など不定期ですが頻繁に送ってくれます。特別な言葉はなくとも癒されました。寄り添うとは言葉ではありません。心です。

その友人とは対照的にぴたりと連絡を断った友人もいます。『1人の時間が大切』と彼女は言い放ち、共通の友人たちにも『しばらく連絡をしないで、そっとしておいた方がよい』とアドバイスをしていました。私の気持ちを代弁したつもりの彼女。その言葉はブーメランになっていつか自身へ帰っていきます。

遺族への接し方はそれぞれです。感じ方も付き合い度合いも、ひとりひとり違います。だからこそこんな時、その人の本心を知る事も出来るのだと、この出来事で学びました。