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未来のためにできることー「民主主義とは何か」と問い続けること

昨年書いた記事は、「善き人間であろうと学び続けること」ー私にとって「善き人間」とは「善良な市民」のことである。市民は自分が暮らす社会が平等で公平で自由であることに責任があり、それを維持して行く義務がある。次の世代もその社会で幸せに暮し続けられるために。

「個人は相互に自由かつ平等であり、それを可能にする政治・経済・社会の秩序を模索し続けるのが人間の存在理由です。民主主義をどこまで信じることができるのか、それがいま、問われています」(「民主主義とは何か?」宇野重規 著)

「日本は民主主義国家なのか」と首を傾げてしまう自分がいる。選挙という制度があり、選挙で選ばれた政権ではあるが、戦後70有余年ずっと同じ政党が政権を担っている。

数回政権交代があったものの、政党が代わる代わる交代して政権を担うということは近年はない。誤解を恐れずに言えば、「一党独裁国家」である。強権や武力は使わないが、ソフトパワーでそのような体制が作られているように思える。

小選挙区制は完全に現政権に有利だ。「地盤看板カバン」と言って、世襲の議員とそうでない議員の中から国民は選ばされる。選挙はスタート時点ですでに不公平であり、後者は圧倒的に不利だ。

ルソーの言葉に「自由なのは選挙の時だけで、選挙が終われば奴隷に戻る」というのがある。

選挙以外の日常的な市民の活動においてその真価が問われる。私たちには知らされないことが多すぎて、政府が説明責任を十分に果たしてるとは思えない。だから選挙だけでは民主主義とは言えない。説明責任と議論が重要なのだ。

表現の自由度も世界のランキングの下位に属する。今回の放送への政治介入について、憲法違反であると放送局側はなぜ語らないのかと元BPO委員の是枝裕和監督が苦言を呈している(2023年5月18日付朝日新聞「放送人 政治介入をなぜ語らないのか」)放送局側は萎縮して自己規制しているが、それはひいては、市民の知る権利を奪うことであると。

戦後から現在に至るまで、国民に政治教育を含む市民教育を積極的に行わない教育制度の下、政治や人権意識に対してナイーブな国民を創出し続けてきた。このような状況が「変だ」と感じる感覚を持っていないと、社会が不健全な状態に変えられてしまう。私たちの先人が、過去に辛酸をなめたように。

民主主義とは、目に見えないものだから問い続けなければいけないのだ。



#未来のためにできること

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