見出し画像

今日ときめいた言葉11ー「絶望を救うのは、日常そのものだけなのです。朝のコーヒーの一杯でもよい。何か人間らしいことによって、人は救われるのです」

(2023年1月1日付 朝日新聞 「誰もが孤独の時代 人間性失わないで」
スベトラーナ・アレクシエービッチさんの言葉から)

彼女は、「戦争は女の顔をしていない」で独ソ戦を戦った女性兵士の声を集めて戦場での生々しい現実を描いた作家で、ノーベル文学賞受賞者でもある。他にもアフガンに侵攻したソ連兵やその遺族、チェルノブイリの事故の遺族や被災者を取材して社会や時代の犠牲になった人々の声を作品にしてきた人でもある。

そんな絶望の淵にいる人々を見てきた彼女が、

「絶望を救うのは日常そのものだけだ」と言う。

「例えば、孫の頭をなでること。朝のコーヒーの一杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです」と。


私は若い頃、この日常が嫌いであった。昨日と同じ今日がそして明日も、延々と単調な毎日が繰り返される。自分の人生の行き着くところがすっかり見えてしまったように思っていた。だからそんな思いで生きるのが苦痛であった。

いつも非日常に憧れていた。昨日とは全く違う今日が訪れてくれたらいいのに、と。でもそうそう奇跡のようなことは起こらない。やがて時の流れがそんな思いを心の片隅に押し退けてくれ、今の自分がいる。でもひょんな事でこの思いが頭をもたげる時がある。

今日、「絶望から救ってくれるのは日常だ」という言葉に出会って、ちょっと襟を正した。日常を侮ってはならない。(最近、「教育とは日々の暮らしの中で手渡されるのだと実感した日−2023年1月1日」という拙文を書いたばかりである)

昨日と同じ今日が訪れることを当然視しているから、私たちは心の安寧を得ているということでもあるのだ。昨日と違う今日が訪れたら、もしかしたら不意打ちをくらったように心の平安が乱されるかもしれないのだ。物事いい方にばかり転がるとはかぎらないのだから。

そして彼女もまた人間性のよりどころとして、文学や芸術を挙げている。私が今までときめいた知識人たちが語っているように。ドストエフスキーやトルストイは、人間がなぜ獣に変貌するのかを理解しようとしてきたと語る。

「作家は人々を育むために働いています。ドストエフスキーが示したように、私たちは『人の中にできるだけ人の部分があるようにするために』働くのです。・・・残虐な運命に身を置かれた時、人間を飲み込む孤独に打ち勝てるように。私たちが生きているのは孤独な時代だから」と。


この記事が参加している募集

#学問への愛を語ろう

6,201件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?