見出し画像

『Colorful』(作者:森絵都)を読んで

あらすじ

生前犯した罪により、輪廻のサイクルから外れてしまったぼく。
そこへ天使のプラプラがやってきて、ボスがときどき行う抽選で当たったラッキー・ソウルに選ばれた、と言う。ラッキー・ソウルは一定の期間、下界にいるだれかの体を借りて修行をつみ、修業期間に前世で犯した罪を自覚すれば輪廻のサイクルに戻れる、と言う。
その申し出を断るも、ぼくに拒否権はないとして、下界の「小林真」の体に入って修行を始めることに。。

感想

自分のことが一番分からないという人と、他人のことこそ分からないという人もいる。どちらも合っているように感じもするが、個人的には後者の方がやや分があるように思う。

他人の考えていることなどその人の行動、言動をみてみないと分からない。言葉では何とも言えるとも思うし、訓練された人であれば態度や仕草すら完璧に近くコントロール出来るのではないかとも思う。

いずれにせよ自分の場合は、自分に起きたことは知っているのだから、あとはそれに対してどう感情が動き、何故その感情になったかを探ってはいける。一方、他人はそういう訳にはいかない。語られる言葉も疑いだしたらキリがない。話し合ってみなければもっと。。

好きだった子は幾人ものおじさんと遊ぶような子。
父親は他人の不幸を喜び、自身さえよければ良いと感じるような人
母親は通っている教室の先生と不倫するような人。

それまで知らなかった面を一気に知ってしまった「ぼく」の魂が乗り移った「小林真」は自分で死を選択する。それは彼の周りにいる人のいろんな別の面が目まぐるしく違ってみえ、それまでずっと足場にしてきた人たちが、実は自身が考えているような存在でないと思われ、耐えきれなくなったからだ。
人は自分がみたいようにしか人をみれない。
どうしたって自分というフィルターがかかるから。
でも人にはいろんな面がある。自分と一緒に過ごしていない時間は必ずあるし、自分の知らない人と会っている時間もある。
自分と対峙している時のその人がその人の全部であり、一部でしかない。

物語が進むにつれ、「ぼく」は「小林真」に馴染んでいく。
そしてそれは周りにいる人も。
そうすることで、「小林真」が「小林真」だった時とは異なるものが見えてくる。そして、自分がみた事実とそれに対する捉え方が、よくよくそれに至る想いを聞いてみると、誤差があることを知る。

そんな「ぼく」の感情が表出してきたなと思った場面がある。

もうだめだ、間にあわない。ぼくは完全にひろかを見失ってしまった。そう思った瞬間、僕は卑屈にも心のどこかで、ほっとしていた

本書 P101

「ぼく」は好きな子のやりたいこと、でも世間的にはあまり良くないとされること。それに直面し止めきれなかったとき、どこかでほっとしてしまう。これはなんだか分かってしまう。止められない情けない自分と、でももうその情けない状況にいる自分を断てると思ったときに終わらせてしまったかったのかなと。状況は間違いなく良くはなっていないが、そこにいる自分は終わらせられる。自分が苦しくなる状況から自分の意志でなくとも、相手の意志でも、とにかくいまある状況を断ち切りたいと思うことは誰しもあるのではないだろうか。

「ぼく」の心の動きが少しずつ変化していき、見方も変わっていく。だけど、本作の良いなと思うところは一気に変わることも、どこかくさしているところも残っているところに思う。人間、そう簡単に人の評価は変えられない。本作の良いところは最初にそれぞれの登場人物像をきちんと説明してから物語が進むところだ。「ぼく」の出現前後の人物像の変化。変化というよりは見えていなかった部分が見えるようになったかどうか。
これの対比が心地良い。作者は児童文学も書かれていることから、読みやすさの点の配慮がされているのだろうか。

「Colorful」、いろんな色が人にはあり、全部は絶対に見えない。
だけど、いろんな色があるということを前提にしておくだけで、他人との関わり方は違ったものにしていけると思う。

スゴク好きな人、スゴク嫌いな人
相手に対して素直になれない
いろんな事情でそう思ってしまうことがあるし、それは悪いことではない。
けど、一度縁を切ってしまったり、新しい関係性になってからでは、再び元通りに戻すことは出来ない。
一度フラットに立ち戻りたいときに読むと良い作品だなと思う。



この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?