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つらい悩みにも消費期限がある

今このとき、現在辛い悩みを抱えて生きるのが苦しくなっている人がいるかもしれない。私も決して順風満帆です、とはいいがたい人生だった。

父親が自分のプライドのため、比較的長くいた会社をやめてからは転落人生が始まった。職を転々としてはすぐ辞めてきて、私たちは年に一回も外食できないほど貧困に陥った。母親はとても優しかったが、ある意味毒親だった父は何を言い出しだり、やり出すか分からない人で、次第に私は親の顔色を伺って怯える子供になっていった。そのことで私自身もうまく、人格形成や人との付き合い方を学ぶことができず、人とうまく付き合えない(簡単にいうと相手から切られてしまい、関係が終了する)人間になってしまった。
今でこそ「幸せです。」なんて言えているが、高校のときメンタルがやられて、泣いて帰ったり、昼過ぎから登校したり、自分だけが大学受験に落ちたと悩み苦しみ卒業式ですら欠席した。とにかく病んでいたし、深く思い悩んでいた。浪人生活ではたくさんの友人に恵まれ、みんな一回は受験に失敗した同じ経験を持ち、向かう目標は大学に合格するための勉強と一致してみんな平等な条件のもと、毎日過ごしていたので、私の心は復活どころか、とても明るくなり輝かしい思い出たちでこれで悔いはないと何もかもが吹っ切れて受けた2度目の大学受験で父も喜ぶ大学に合格することができたのだ。大学時代はまあまあ楽しかったし、そんなに劇的にいいことも悪いこともなかったが、この時点で私の高校時代の悩みはすっかり消えていた。
結婚して30代半ばになってくると、今度は女性特有の出産のタイムリミットについて、深く悩み暮らすことになった。子どもができないという体質ではなかったが、その頃にはたくさんの持病の薬を飲んでいたので、もし妊娠しても子供に障害が出る可能性が高かったので、夫婦で話し合って作らないことに決めた。それでも年頃になった友人たちからの「出産しました!」という見たこともない赤ちゃんが大きく載っている毎年の年賀状にはメンタルをやられ辛いものを感じたり、芸能人で子供がいない人だなと思っていた人がテレビのニュースなんかで、「第一子を出産、妊娠しました!」と聞くと置いてけぼりになった気分になってそういうニュースを見るたびに心が痛んだ日々もあった。でも40歳を超えると友人のそういうニュースも減り、自分自身も年齢的に吹っ切れたことで、ずいぶん楽になり、今度は妊婦さんたちに対しておめでとうと素直に言えるようになりお祝いの言動をできるようになった。

私が言いたいのは、どんなに深刻な悩みにも消費期限があって、環境や自分が変わっていくことで、その悩みも自然に消失していくということだ。

もちろんまた新しい悩みは尽きないけれども、悩みには消費期限があると思って、「あまり考えないようにする」ことで悩みは大きく軽減されていくのではないだろうか。と私は考える。
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