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今はどの季節を生きているのか。立ち止まり、振り返る。

自分がどの季節を生きているのか、たまに分からなくなる時がある。

特に、季節の移り変わるとき。

春から夏に移るときは、梅雨の寒さに、これから冬に向かっていると錯覚する。

夏から秋に移るときは、また暑い日が舞い戻ってくるような気がしてしまう。

そして5秒間くらい、じっと考えて、今の自分がどの季節に居るのか思い出す。

そんな時は大体、いま何月かを思い出すと早い。

そういう点で、月というのはとても便利だ。
ナンバリングされた月は手っ取り早い。

私みたいな人が生きる世界で、1ヶ月ごとの名前がなかったら、次に来る季節の準備を事前にすることなく、グッと気温が変わってから、大慌てで衣替えなんかするんじゃないかな、と思う。

なんて言いつつ、月の名前が決まっていても、毎シーズン大慌てで衣替えしているのだけれど。

月に名前がないと生きていけないような無機質な生活が少し悲しくなるけれど、今すぐにはどうしようもない。

すぐさま行動するほどのエネルギーが自分の中に蓄えられていない。

でも学生という季節が終わって、人生が終盤に差し掛かるときには、月の名前を気にせず、空気の流れを自然体で受け止める過ごし方をしていたいと思う。

そんな人生の最終章を過ごすために、今は努力をしなければならないわけだけど。


私は春と秋が好きだ。

少し曖昧な気温、ゆったりと流れる空気。

どっちつかずなことって、心地いいのだ。

こんなことを言っていると自分というのは本当にダメ人間だなぁ、とは思う。

そう思い始めると負のループに突入してしまうので、良くないのだけれど、たまには自分のマイナスの部分に目を向けていないと驕りが生まれるので、それは避けたい。


毎日を生きるだけで、悩みごとはつきない。

寧ろ、10年後とかよりも明日、来週、来年を生きるための悩みの方が大きい。

かくいう私も、来年から就職する予定の企業に「来年4月も企業基盤が安泰とは言い切れない。」と宣告を受けたばかりだ。

「他に就職したい企業があれば、そこに進んでもらって構わない。」
そう言われたが、私の中でその言葉は、「他の就職先を探してほしい」という言葉に変換された。

10月が始まった。つまりはあと3か月もしないうちに私が社会人となるはずの年がはじまるのだ。

正直なところ、秋から就職活動を再開する不安は大きい。

穏やかな秋の空気とは程遠いところに、自分の心は存在している。

企業の中には今の時期でもまだ募集をしているところもある。

自分が選り好みをしなければ、きっと年内に内定をもう一度もらうこともできるのだろう。

でも、今、心の中に、自分の興味のある企業で働きたいという気持ちがどんどん大きくなっている。

わがまま言っている場合ではないのは頭では分かっているのに、心がいやだいやだと言って、まるで散歩を嫌がる犬のように全然前に進んでくれない。

具体的に行きたい企業があるわけではないのだけれど、最近私生活にも取り入れるようにしている、地球にやさしい商品を提供している企業を支える社員になりたいと願っている。

諦めたくない。

この気持ちをもう少しだけ、心にお守りのように持ちながら過ごそうと思う。



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