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少し繊細な人間です。  様々なものから学んだこと、感じたことをアウトプットしています。

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最近の記事

カバンの中にあつあつポテトがある人の足は早い。

お久しぶりです。 毎回投稿の間隔が空いてしまって書くたびに「お久しぶりです」から始まるものだから、もはや書かないスタイルに統一した方がいいんじゃないかとさえ思い始めています。 タイトルの「カバンの中にあつあつポテトがある人」そう、それは今日の私です。 仕事の帰り道にどうしてもポテトが食べたくなって買いに行きました。 今日、仕事中にふと思ったんです。 あぁ、私もっと自由に生きたいなぁ。やりたいこと全部やりたいし、夢とか目標も叶えたい。って だから、というわけでもないです

    • ひとり美容室にて心を満たす

      何だか心が浮かない感じがして、そんな気分から抜け出したくて髪を染めに美容室に行きました。 私には行きつけの美容室がないので、アプリで空きのあるところを探していたのですが、以前から気になっていたところが目に止まったのです。 それは、ひと席だけの美容室。 今まで鏡と席がずらっと並んだお店にしか行ったことがなかったので興味が湧きました。 いつもなら周囲の人に自分の話している内容を聞かれているんんじゃないか?なんて少し考えながら話す話も、ここなら何も考えず話すことができます。

      • 或る日

        四角い光が美しい。 朝、窓に差し込む光が幸せをくれる。 仕事行くのやだな、と思っても光の差し込むカーテンをシャッと開ければ少しは心が軽くなるもの。 そうして自分のモードを切り替えて過ごそうとするとき、社会に適応していこうとしているのだなと思う。 ・・・ この日の朝は、自分が限界までのどの位置にいるのかはっきり自覚できていないということがほとんどだ、ということに気づく出来事があった。 通勤のため電車に乗っていると、途中からだんだん腹痛が襲ってきた。まだ気を逸らしていれば

        • また夢で会えたら。

          亡くなった祖父が夢に出てきた。 今回で実は3回目で、前回は2021年3月22日だった。 前回はお彼岸の時期だったけれど、今回はちょっとフライングして会いにきてくれたみたいだ。 夢の舞台は祖父母宅。 気づくと私はリビングにいて、そこに祖父もいる。 「あ!じいじ!」 私は夢の中でも頭では祖父が亡くなっているということを理解していたので、目の前で起こっていることに驚いて大きな声を出してしまった。 すると、祖父は「そうだよ、じいじだったんだよ、嬉しいなぁ、」と破顔していた。

        カバンの中にあつあつポテトがある人の足は早い。

          ひとりぐらし(仮)

          偶然、私以外の家族が同じタイミングでそれぞれ旅行に行くことになり、私は束の間の一人暮らしを体験することになった。 いつもは慌ただしくなる朝の時間も1人だと静かで、穏やかだ。 当たり前に洗面所を奪い合うこともない。 また数日すれば会えるから悲しくはない、でもこの場にはいないから、自分の生活を構成するものがいくつか居なくなってしまったみたいだ。でも、寂しいという感情とも違う気がする。言葉にするのなら「痛みのない喪失」だろうか。 これを仮に経験できる時があってよかったと思う。

          ひとりぐらし(仮)

          my PERFECT DAYS

          ⚠︎このnoteは映画のネタバレを含みます⚠︎ 「PERFECT DAYS」を観てきました。 「とても良かった」という知人の感想と、“平山”という公共トイレの清掃員の男性が主人公という情報だけを頭に入れて映画館に向かいました。 観終わって1番最初に感じたことは、 (好きだ。なんかいい。) でした。 不器用で不完全な毎日に、寄り添って安心させてくれるような映画だと思ったのです。 わたしが日々の中で感じていたありがたさ、感謝、喜びはこれだ!知っている!と思いました。 (

          my PERFECT DAYS

          行き着く先は分からないけど生活は続く。

          人生ってよくわからない。 ここ数日間、なぜか漠然とした未来への不安に飲み込まれて、気分も塞ぎ込んでしまって、仕事をしていてもふと窓の方へ目をやっては心の中ではぁ、とため息をついてみたりしていた。 あまりにも落ち込みがひどいものだから、今日は帰り道に何か自分に買ってあげようか、なんて思いながら家を出たのだけれど、運よく仕事が早く終わって、ここ数日のことなんかすっかり忘れてるんるんしながら帰って、買い物をできるルートではない方向に歩いていることに気がついた。 まぁるんるんし

          行き着く先は分からないけど生活は続く。

          満たされない毎日

          こんにちは。 突然こんなパンケーキを見せてしまいすみません。 これでもマシにできた方なんです。これの一つ前は真っ黒だったので食べて無かったことにしました。 つるっとした表面にならず、なぜか年輪のような模様ができました。 次はもう少しサラサラの生地にしたらいいかもしれないですね。 毎日のように「こうしたらもっと良くなるんじゃないか」みたいな生活の改善点が見つかります。良く言えば向上心が旺盛なタイプなのでしょう。 パンケーキの焼き方、起きる時間、お風呂に入る時間、部屋を片

          満たされない毎日

          なんてことはない大切な1日

          友達がハーフカメラでコーヒーを飲む私の写真を撮る。 ゴッホ展を見に行ったのにまさかのゴッホよりもルノワールが好きだと気づく。 久しぶりに訪れたブックオフでテンションが上がり本を3冊買う。肩に鞄がめり込む。 ・・・ やってみました、3行日記。 3行…なのでしょうか? 甘い判定で3行ということにいたしましょう。

          なんてことはない大切な1日

          今年やりたい10のこと

          バケットリストの2024年バージョンを書きたい、そしてもし書くなら100個箇条書きしたいとなんとなく思っているところがあります。 自分で思ったことなのになんだか腰が重たくて書けていなかったのですが(勝手に自分の中で生まれたルールみたいなものが縛ってくる場面ってありますよね。) “今年やりたい10のこと”というハッシュタグを見つけて(これだ!!)と思ったので書いてみることにします。 ・・・ 3行日記をnoteに投稿する(もっと気軽に書いてみる!) お気に入りの本の言葉を

          今年やりたい10のこと

          2024

          2024年1つ目のnoteです。 初詣に行き、おみくじを引いたところ和歌がとても好みだったので是非記録しておきたい。と思い書くことにしました。 見る人のこころこころにまかせおきて木末にすめる月の影かな “月は見る人の心に任せてただ輝いている、あなたもどう思われるかなんて他人に任せてしまって、自分らしく輝いていればいいのです“ という意味らしいです。 新年の目標などを考えていた私に、欲しかった言葉をそのままかけてもらったような気分になりました。 目標を1つ立てるにしても

          2023年の終わりに少しだけ振り返ってみる。

          こんにちは、こんばんは、AMです。 前回noteを書いた時からまた時間が経ってしまいました。 書きたいことはあって、とりあえずタイトルだけ下書きに溜まり続けている状態です。 今日は、以前見て素敵だなと思った『余命10年』の世界観に浸りたくなったので、映画の音をbgmにしつつたまに画面を見ながら大掃除をしていました。 この作品はタイトルにもある通り“余命”をすごく意識させますよね。 私は最近(ここ数ヶ月くらい?)「みんな生きている限りずっと余命を抱えて生きているんだ」と

          2023年の終わりに少しだけ振り返ってみる。

          『エッセイ』

          最近、自分はエッセイのようなものをnoteで書いている気がします。 でもエッセイとは自分の体験や考えを自由な形式で綴った文章のことだから、noteで書いてきたものは全てある意味エッセイなのでしょう。 直近のnoteの記事は本で読むようなエッセイを少し意識しながら書いている文章だったので、「エッセイを書いているな」という気持ちが生まれたのかもしれません。 タイトルにわざわざ『』をつけているのも、これはエッセイだぞ、という自分の気持ちの表れだと思います。自分でつけているくせ

          『エッセイ』

          『生活をまわす』

          生活は送るもの、でしょうか。 ふと(私いま生活まわしてるな)なんて思ったのですが、そもそも“まわす”という動詞を生活という名詞と共に使っていいのか分かりません。 今日は友人とのお出かけの予定が急遽なくなったため、家で朝から夜まで過ごしていました。 本当は自室を片付けたり読書や勉強をするなど有意義な時間を過ごそうと思ったのですが、気づけば夜でした。よくあるパターンです。 でも何もしていなかった訳ではありません。 自分の未来について具体的に考え、新しく始まるNISAに向け

          『生活をまわす』

          『目』

          自分の目に関することで思い出す記憶はありますか? 私はというとちょこちょこあります。そしてどれもそこまで明るい感じではありません。 2つ例を挙げます。 まずは1つ目です。中学校の登校初日、私は配られたプリントを後ろに回しただけだったのですが、「睨まれたかと思った」と言われたのです。 なんということでしょう、友達ができるかビクビクしている人間が友達候補を睨むはずがありません。ただの真顔を怖く捉えられてしまったみたいです。 そして2つ目。友人と仕事の愚痴を話していた時「目に光

          『目』

          『ダダイズム』

          「ダダイズム」 この言葉を先日SNSで見かけて、気になって調べました。 この名前の決め方、すごく面白くないですか? テキトーに選んだ割にほのぼのしてる感じが、個人的にすごく好みです。 そして、どうやら理性という概念ごとなくして作る芸術がダダイズムらしい、というところに辿り着きました。 このアートのやり方は個人的にかなり難しいです。 常にルールを意識しまくりの人生を送ってきたような人間ですから、そんなに簡単に理想の人間像のレールから離脱することはできません。 でも同時

          『ダダイズム』