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my PERFECT DAYS
⚠︎このnoteは映画のネタバレを含みます⚠︎
「PERFECT DAYS」を観てきました。
「とても良かった」という知人の感想と、“平山”という公共トイレの清掃員の男性が主人公という情報だけを頭に入れて映画館に向かいました。
観終わって1番最初に感じたことは、
(好きだ。なんかいい。)
でした。
不器用で不完全な毎日に、寄り添って安心させてくれるような映画だと思ったのです。
わたしが日々の中で感じていたありがたさ、感謝、喜びはこれだ!知っている!と思いました。
(これは1人の受け取り手としての感想で、制作側からしたら異なる意味を持たせようとしている可能性もありますが)
以下の文章は以前書いた別のnoteの内容なのですが、こんなかんじの感情です。
“私はたまに"すべて"への感謝が湧き上がってくることがあるんです。
辛いこととか消し去りたいこととか勿論山ほどあるけれど、それでもそれも含めて全部がありがたくて嬉しくて幸せに思えるんです。
そういう瞬間の心の高揚をなんと言葉で表したら良いのか分からないまま、たまにこの感情に飲み込まれます。
そして、なんだかよくわからない涙が出そうになりながらありがたいし幸せだなぁ〜なんて気持ちを噛み締めます。”
最後に平山さんが朝日に照らされながら涙を浮かべるシーンがありますよね。
そのシーンを見ながら知っているものを見る安心感のようなものを感じたのです。
だけど1番泣きそうだったのはエンドロールの後に映し出された言葉でした。
『木漏れ日』
木漏れ日は日本人にとってはありふれた言葉だと思います。
光を浴びた木が作り出す影、木漏れ日。
特に強い感情はなくても好きだなと思う人は多い気がします、声には出さなくても好きだと思っている人。
人生もそうなんだよ、と言われているみたいに思ったのです。
エンドロールの途中で席を立って帰った方もいました。その方はあの『木漏れ日』を見ていないわけです。
目の前で起こったそのことも、勝手に、"生き急いでいたら、幸せを感じられる何気ないことを逃してしまう"というメッセージで私の中に意味がつけられました。
久しぶりに音楽を聞かずに帰り道を歩きました。目に光をうつすこと、頬を冷たい風が撫でていくこと、道を行き交う人々が話す言葉が聞こえてくること。
それら全てが大切なものだと感じました。
微かで、簡単に取り逃がしてしまう幸せを自分の心が感じ取り続けるために、"今"と今の延長線上にある"日常"を大切にし続けたいと思いました。
素敵な映画を観ることができて幸せです。
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