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ひとりぐらし(仮)

偶然、私以外の家族が同じタイミングでそれぞれ旅行に行くことになり、私は束の間の一人暮らしを体験することになった。

いつもは慌ただしくなる朝の時間も1人だと静かで、穏やかだ。
当たり前に洗面所を奪い合うこともない。

また数日すれば会えるから悲しくはない、でもこの場にはいないから、自分の生活を構成するものがいくつか居なくなってしまったみたいだ。でも、寂しいという感情とも違う気がする。言葉にするのなら「痛みのない喪失」だろうか。

これを仮に経験できる時があってよかったと思う。
喪失、しかも痛みを伴うものがいきなり現れたら太刀打ちできない。

たった数日の間になぜこんなにも感傷的な感想が生まれるのかというと、今読んでいる本の影響な気がする。

ちょうどこんな文章を読んだばかりだった。

「僕たちが、何でもない日々の生活に耐えられるのは、それを語って聞かせる相手がいるからだった」

『本心』平野啓一郎 著

あまりにも偶然の出会いでびっくりした。
本というものは読んでいると不思議な出会いが訪れるから楽しい。

そしてなんだかんだ、1人での生活をエンジョイしている。

元々夜はゆったりと1人、自室で過ごすタイプだったから、そこはいつもと変わらないみたいで、むしろ家全体を自室にできる感じで気分もいい。

気づいたことは他にもあって、責任感が生まれると意外とちゃんと生活するということ。
料理好きの妹と対照的に料理なんか必要がなければしない私なので、日頃から「一人暮らししたら冷凍食品ばっかり食べてそうだよね。」と言われていたが、翌日のお弁当のためにブロッコリーを茹でたり、夜ご飯のおかずを多めに作って小分けにしておいたりと、簡単ではあるもののなんだかんだ自炊をしている。

いつも頼る先があるから、頼ってしまっているのだと気づいた。

こうして今文章を書く時間があるものの、それは仕事がいつもより早く終わったからで、遅かったらもちろんこんな時間はない。

少し前に母に向かって「何か趣味とかないの?何かすればいいのに〜」なんて気軽に言ったことを反省した。そのとき母は「趣味とかずっとないからなぁ」と答えていたけれどもしかしたら、母親としての時間が長いために趣味に割く時間がなかったのかもしれないと思った。

家族が帰ってきたら、前よりもっと支え合うということを大切にしようと思う。

1人で過ごすこの時間は、自分の日頃の行いを顧みるために与えられたものなのかもしれない。

「こんな時間にアイスなんて食べて!!」そんな声が飛んでこないのをいいことにアイスを食べながら戻ってくる日常を想う。


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