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或る日

四角い光が美しい。
朝、窓に差し込む光が幸せをくれる。

仕事行くのやだな、と思っても光の差し込むカーテンをシャッと開ければ少しは心が軽くなるもの。

そうして自分のモードを切り替えて過ごそうとするとき、社会に適応していこうとしているのだなと思う。

・・・
この日の朝は、自分が限界までのどの位置にいるのかはっきり自覚できていないということがほとんどだ、ということに気づく出来事があった。

通勤のため電車に乗っていると、途中からだんだん腹痛が襲ってきた。まだ気を逸らしていれば耐えられると思い、イヤホンで音楽を聴いて本を読んで耐えていた。

前に座っていた人が降りたので隣の人に「座りませんか?」という気持ちを込めてチラッと見たところ、手で「どうぞ」とジェスチャーされたので座ることにした。自分より5歳くらい年上に見える女性で(優しいなぁ)と思いながら会釈をして座った。

座ったものの腹痛が治るわけでもなく、ただ本と音楽に集中して目的の駅に着くのを待った。仕事場が近づいたのでイヤホンを耳から外した瞬間、自分が思ったよりも呼吸が荒いことに気づいた。

普段は聞こえない呼吸音が浅く続いている。確かに具合が悪そうだ。イヤホンをしていて自分でも気づかなかった呼吸音に隣に立ったお姉さんは気づいたのかも知れない。 

この一件を経て、私は自分の限界が思わぬところまで近づいているのに気づけない、という状況を体験することになった。

今回は腹痛から目を逸らすためにしていたことだけど、これは身体的な痛みだけじゃなく、心に感じる痛みにも同じことが言える気がする。

「まだいける。」は魔法の言葉。
上手く使えば自分を鼓舞することができるけど、時には自分を追い詰めるものにもなり得る。
だから自分が上を見て諦めそうになったときにだけ使いたいと思う。

なんでもかんでも物事から学びを得ようとするクセがある。このクセはたまに厄介だけど、溢れ出す言葉を感じるのは嬉しい。

考えることに少しずつ、私の中で色をつけたい。


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