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僕がnoteを続ける理由

僕がnoteを使って発信を続けているわけは、数多くの本に影響された、というのもありますが、amazarashiというバンドに影響されて、という部分が大きいです。

言葉は積み重なる
人間を形作る
私が私自身を説き伏せてきたように
1行では無理でも10万行ならどうか
1日では無理でも10年を経たならどうか

奪われた言葉が
やむにやまれぬ言葉が
私自身が手を下し 息絶えた言葉が
この先の行く末を決定づけるとするなら
その言葉を再び 私たちの手の中に

。。。

言葉を取り戻せ
amazarashi -独白-

初めての武道館ライブでこのポエトリーリーディングを聞いた時、心が震えたのを今でも覚えています。
音源化されてからは何度も聴き、今では何も見ずとも詩の全てを諳んじることもできるぐらいです。

この曲、というよりこのライブ全体を通して、周囲に抑圧されて、または自分自身で抑圧して自由に言葉を発することができなくなった僕たちに、言葉を取り戻すことを薦めてくれました。

僕がこの曲で最も気に入っている部分は、「私自身が手を下し息絶えた言葉」という部分です。

「こんなネガティブな言葉、言っちゃダメだ」
「この喜びを誰かと分かち合いたい、でも恥ずかしい」
「こんなこと言うと怒られるかな」
「こんなこと、いまさら言葉にしなくても皆わかってる」

自分自身によって、たくさんの言葉に手を下してきた僕だからこそ、この言葉が響きました。

かといってどんな言葉でも遠慮なく言っていいわけではないとは思っています。
人を傷つける言葉は、避けれるのならできる限り避けた方がいい。
でも、避けすぎて自分自身の人としての尊厳を失うぐらいなら、言ってしまってもいいとも思っています。

インターネットが普及した今の時代には、SNSを始め、言葉を発信する媒体がいくつもあります。
だからこそ、自分自身が発する言葉には気をつける必要がありますが、でも、言いたいことは言うべきです。

僕がこのnoteを続けているのは、「言いたい」と言う言葉があるときに、その心理的ハードルをできる限り下げるために、普段から考えていることを日常的に発信する癖づけを行うことが目的です。

この言葉が誰しもに届かなくてもいい。
この言葉が誰しもに響かなくてもいい。
この言葉が誰しもに理解されなくてもいい。
この言葉が、誰か一人にでも届いて、誰か一人の頭の片隅に入ってくれるだけで僕は嬉しいです。

言いたいことは言うべきです。どんな状況においても。
だから、今言うべきことを。

読んでくれて、ありがとうございました。

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