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(双極性障害)私が双極と診断されてから今までのおはなし。

おはようございます。amiuです。
今回は私の双極性障害のお話です。

正直、症状で記憶が不鮮明なところがあったり、健忘もあってうろ覚えなところがあるので、年数などの数字やこまかい部分はあいまいですがウソや自分ではわかってないところは書きません。

amiu→双極性障害Ⅱ型です。

つまり障害者です。

先に言っておくと、私の中で双極や障害はあまり重要ではないというか、今のところ自分の中であまり大くを占めていない、持っている障害として「ただあるだけの存在」です。

以前は自分にとってめちゃくちゃ大ごとでしたし、そのせいでつらいことやしんどいことはたくさんあって、生きづらいのは双極のせい!なんでこんな障害をもって生まれてきたんだ!!なんて恨んでた時期もありましたが、今は服薬や通院や定期的に必要な手続きがすこしめんどうだしお金がかかるな。はーあ。くらいで、自分が生きてく上で必要なタスクみたいなものだと思ってこなしてます。

初診、双極の診断は16年前。


多くの双極性障害のかたはうつ病や社会不安障害など他の精神疾患の診断を経て、何年かしてから双極の診断になることが多いです(うつ状態だけでは双極と判断しづらいため)。

私の場合はうつ状態がひどく初めての精神科を受診しました。当時の恋人が「なんかamiuは様子が変だよ」と精神科を探して予約まですませてくれていて、病院にも付き添ってくれました。多謝。

医師からいくつか、私の状況に関する質問をされて、1発で双極Ⅱ型の診断がつきました。そのときにはじめて、双極性障害についての説明をうけて一生治らないことや症状などを知りました。

初診の医師の見解
・私はすでに成人しているけど、子どものころから精神的な症状が出ていたと思う
・亡くなった父が双極のⅠ型だったと思うので、遺伝の要素もあり得る

思い返せば子供のころから、自分でも精神面のコントロールがむずかしく、気分の落ち込みや不安感・億劫感が強い「うつ状態」、とつぜんテンションがあがったり、すぐキレて怒鳴ったり暴れたりする「躁状態」に心あたりがありました。

そのことと、もともと精神疾患に対しての偏見があまりなかったこともあり(学生時代に勉強していた)、自分が精神障害なのだということはすぐに受け入れました。

そこではじめての精神薬を処方されました。子どもの頃から病弱で、しょっちゅう薬のお世話になっていたので精神薬に対しての抵抗もなかったです。が…、、、

amiu、いきなりODをする。

双極と診断をうけたとき、私が働いていたのはブラックな職場でした。うつ状態になったのも日々の長時間勤務&立ち仕事などのハードワークによる肉体的疲労と、厳しい上下関係による精神的疲労が重なってのことでした。

休みがちになっていたのですが、出勤できてもそこにいるだけで精いっぱいだったのを覚えています。ある日とつぜん、精神的に限界をむかえました。勤務時間中に職場のど真ん中で号泣。さすがにびっくりされて、休憩してきてと言われてたので荷物をすべて持ち出し、タクシーで帰宅しました。なにも考えずに体が勝手に動いてましたが、ちゃっかり荷物を持ってくるあたり冷静な自分もいたんでしょうね…。

その行動に出たことで、のちのちさくっとその会社と縁を切ることができたのでそれはよかったのですが、問題は家に帰ってから。

すべてがどうでもいいモードになった私は、はじめての精神薬をいちどにぜんぶ飲んでしまいました。OD=オーバードーズ、薬物の過剰摂取です。

どこでそんな知識を得たのかは謎です。そのときは取り返しがつかないことになる可能性も分かったうえで、衝動的に薬を飲みつづけました。

すこしして意識がなくなり、気がついたら数時間たっていました。そのことに気づいていない家族から外食に行こうと声をかけられて、行けるくらいには意識も回復してましたが、いっしょに行った元恋人は表情か態度かなにかですぐに気づいて、怒られました。

「そんなことをするならもう精神科には連れて行かない」と言われて、当時ひとりでは病院に行くこともできないほど弱っていた私は、精神科に行かなくなりました。

2度めのメンタルクリニック。初診から7年後。

長くなるので色々はしょります!
※この章は希死念慮の話題がでてくるので苦手かかたは飛ばしてください。

双極と診断されていて症状もバチバチに出ているのに通院も服薬もしないままよく生きてこられたな…と今では思います。が、その長年の放置のツケがここでやってきます…。

人生でいちばん重いうつ状態になりました。とにかく希死念慮(しにたい気持ち)が常に、ほんとうにずーっと意識にありました。駅のホームで電車を待っていれば線路のほうに吸い込まれそうになる、歩道を歩いていれば車道に飛び込もうとする、高いところから飛び降りようとする。刃物を手に持って見つめる。寝る前は、このまま眠ってしんでればいいのにと願う。朝、目が覚めると生きてることに絶望する。もっとありますがいま書いてて自分でもひくくらい、危険な状態でした。

仲の良い友人が、しにたいしにたい…しか言わない私にメンタルクリニックの受診をすすめてくれました。どこに行っていいかわからない、調べる気力もない、と言うと友人が行ったことのあるメンタルクリニックを教えてくれたので、そちらへ行くことに。

結論から言うと、誤診(処方ミス)されました。(※のちにそう言われたそうです)診断は双極性障害Ⅱ型で変わりなかったのですが、重いうつ状態の私にどんどこどんどこ抗うつ剤を処方。そのまま数ヶ月そこに通院して、処方も抗うつ剤のまま。私は素直に処方された抗うつ剤を飲み続けました。

双極と精神薬の知識があるかたなら、どうなるかはすでにお察しかと思います。双極に抗うつ剤の処方は慎重にされるものなのです。なぜなら双極性障害は抗うつ剤の気分を持ち上げる作用で躁状態になる危険があるからです。

私は7年双極を放置していたのと、重いうつ状態で自分で調べるのことができなかったので、双極の知識や薬についても表面上のことしか知りませんでした。そして…

大躁転。Ⅰ型なみの躁状態で緊急入院。

こうなります。
躁転した状況や内容を書くと文字数が大変なことになるのでこれまたはしょる。

入院設備のある大きな精神病院の夜間救急に連れて行かれて医療保護入院になりました。

閉鎖病棟というところに3ヶ月入院しました。最初のうちは保護室でした。

ここでいろいろな薬を試したのですが、薬疹が全身に出て意識が混濁した状態で発見されたり、悪性症候群という重篤な副作用で動けなくなりました。歩けないので車椅子を使ったり、お風呂やトイレは介助。食事もろくに食べられず、話したくても話せなくなりました。

担当の医師は私の副作用の出やすすぎる体質に困惑し、親は動けないため介助が必要な私に絶望して施設に預けると言ってましたが、意識障害が出ていたので私は自分のことも何も考えられませんでした。

医師が試した副作用止めか何かで退院直前に副作用がすべて消失したため、自宅に戻って療養できることになりました。

1年の療養→復職。

当時の私はホワイト企業で働いていたので無期限の休職期間と傷病手当金がでることになりました。

誤診したメンタルクリニックの医師は信用できないので入院していた病院でそのまま通院を始めて、入院中の担当医師が主治医になりました。

1年ほど、家でのんびりしたり散歩をしたり遊んだりして過ごし、自分のタイミングで主治医に復職してみてもよいか確認しました。主治医は復職するうえでの注意点(フルタイム勤務ではなく出勤日数や勤務時間を減らす、など)を診断書に書いてくれました。

その診断書をもとに会社の管理職、直属の上司と面談を行い、私の働き方を決めていきました。その際にこちらから、双極のことは会社の誰に言っても大丈夫ですと伝えたので、むこうも情報共有がしやすかったようです。

そんな感じでいちおう、できるだけのことはして復職したので不安はなかったです。会社側も対応してくれていたので安心してのんびりと働いていました。

3年後、2度めの入院。

だからといって、おとなしいままでいてくれないのが双極性障害、精神障害です。どんなに配慮していても、どんなに親切な人間関係の職場でも、仕事上のストレスは大なり小なりあるし、悪化するときは悪化します

急に重いうつ状態になり希死念慮が出てしまったのと、睡眠障害が悪化。ほとんど眠れなくなりました。

3ヶ月ほどその状態が続いてしまい、身体的にもつらくなって何度か欠勤していたので主治医と相談してもっと重症化する前に入院しましょう、ということになりました。

こんどはどれくらいの療養期間が必要になるかわからないし、次に入院するときは会社を辞めて療養に専念しようと決めていたので、10年以上働いていた会社をさくっと辞めました。

2度めの入院は、不自由でしかなかった&いやな思い出の詰め合わせ!みたいな閉鎖病棟は拒絶して、むりやり開放病棟に入院しました。行動の制限がほとんど無いため、快適に過ごせました。さらに入院中はアロマテラピーや独学で勉強していた認知行動療法について教えてもらえる時間があり、有益な入院でした。

退院後、本気の療養生活をはじめて今に至る。

これはもう療養のために大好きだった会社を辞めたので、とにかく療養をする、双極の症状を安定させることだけ考えて暮らしはじめました。

会社をやめていつでも自由に行動できるようになったので障害者手帳を取得したり、障害年金の申請のために行動しました。その関係で役所の窓口に通っていたら福祉交通券という交通機関の定額チケットのような制度を教えてもらったので、そちらも即申請。こういう制度ってこちらで調べたり聞いてみないと、病院も医師もケースワーカーすらも教えてくれません。役所のひとありがとう。

あとは当事者会という、双極性障害や精神疾患当事者の集まりや勉強会にいくつか参加してました。

障害者だからできる案件みたいなものも、たまに依頼がきたらやっています。これは微力でも、私にできる範囲のことしかできないけれど同じ精神障害のかたたちの役にすこしでも立てたらいいな、という思いでやっています。

きれいごとみたいなこと言うの好きじゃないですが言います。障害者のことを知ろうとか支援しようという人なんて、私の実生活でほんのひと握りしかいないからです(障害を持っている、いないに関わらず)。なので障害を持っている側の私でもできることがあればしていきたい、というスタンスです。

双極の症状だけで言うと、今ではだいぶ安定してほとんど困っていないのですが、他にも精神や身体の持病があるため、健康です!とは言いきれないかも…。かもじゃないですね。不健康です!

特に困っているのが疲れやすすぎて外での活動限界が3〜4時間なのとPMS重症化なので、今の課題は双極よりこのふたつです。

4,000文字ごえしてしまった…。
長くなりましたが読んでいただいたかた、ありがとうございます♪
双極については気が向いたらまた書くと思います。

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