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去年68歳で亡くなった大好きな母との日々を 書いています。 私が30歳の時母に病気がみ…

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去年68歳で亡くなった大好きな母との日々を 書いています。 私が30歳の時母に病気がみつかりました。 不安になったり大丈夫と思えたり、色んな心の変化がありました。誰かの支えが欲しいと思うこともありました。 同じように家族の病気で不安を抱えている方に届いてくれたら嬉しいです。

最近の記事

独身は性格が悪いって?

久しぶりに独身である自分が嫌だと思った。 既婚者ってなんなのよ。 50歳過ぎた知人女性は私に会うといつも言う。 どうして彼氏がいないの? 本当はすごく性格が悪いの? 私にとってあなたが独身なのは世界七不思議なのよ。 一回くらい結婚して、嫌なら離婚すればいいのよ。その方がモテるから。 あなたは既婚のこっち側と独身側どっちにいきたいのよ? 既婚側にきたいなら独身者とつるんでばかりじゃだめなのよ。 しまいには、あなたは女に嫌われるタイプねと。 アンチはいるのよ。って。 アンチ

    • 死別の痛みが消えないでいる

      禍福は糾える縄の如し (かふくはあざなえるなわのごとし) 災難と幸福 不運と幸運はより合わせた縄のように交互にやってくるもの… 母の一周忌が約3ヶ月後にやってくる。 一周忌の法要の日にちを決めた日から私は ぐったりと落ち込むことが増えた。 昨日は仕事中に突然涙が溢れて慌ててトイレに行った。 帰り道の電車の中から母が通っていた大学病院が見えるのだけど、病院が見えた途端また急に涙が溢れて危うく電車で大泣きしそうになった。 仕事で少し疲れただけなのにいつもの何倍も疲れた気が

      • 死別の悲しみはどうやって乗り越える?

        みなさん、大切な人との別れはどうやって乗り越えますか? 乗り越えてきましたか? 私は母が亡くなってすぐ、働いていた職場を退職しました。 もう新しい仕事は決まっていたけど、優しいお気遣いをいただき半月ほど期間を置いてから仕事を開始することになった。 仕事に行って家に帰ったら母の仏壇に手を合わせて涙がこぼれる。毎日その繰り返しだった。 でもこれまでとなんら変わらず、楽しんで仕事に行った。母が亡くなった直後だけど、あまりにも私が落ち込んでないから職場の方達は拍子抜けしていた。

        • 37歳。母が亡くなった日。

          私は毎週土曜日になると母に食べたいものを聞いて病院に届けた。 リンパに転移してからなかなか食事が喉を通らなくなってしまい、病院ではおかゆを頑張って食べているみたい。 ゼリーやバナナ、ようかん、プリン… それと必ず手紙を書いて一緒に届けた。 こんなふうに母の為に何かできることがすごく嬉しかった。 コロナの影響で面会はできないから、病院に着いたら看護師さんに荷物を預けて届けてもらう。 母には会えないけど、母がお世話になっている看護師さんに会えるのは私にとって大切な時間であり唯一

        独身は性格が悪いって?

          延命治療するか決めてくださいと言われた日。

          私の母は血液のがん(多発性骨髄腫)でした。 亡くなる前、おでこやリンパに転移してて 放射線治療の為に入院しました。 病気の影響で心不全や肺に水が溜まるなど、呼吸が苦しくなることも多くて入院しながら放射線治療を受ける予定でした。 入院したら母はいつも家族のLINEグループに連絡をくれるのに、今回は待っていても連絡が来なかった。疲れが出たのかな?と思っていたら主治医から私の携帯に電話があった。 「お母さんの病状について話したいことがあるからご家族みんなで病院に来てほしい」と。

          延命治療するか決めてくださいと言われた日。

          母が亡くなって初めてのお正月

          2024年。 母が亡くなって初めての年末年始だった。 私はちょっと緊張していた(笑) 姉二人は結婚して家を出て子育て真っ最中。 私は実家で父と二人で暮らしてる。 ということは、年末年始の食事は私が作るんだ。 それに、喪中だからおせちは頼まない。 尚更大変だ!!! 12月に入った頃から、レシピを探して新メニューの練習をした。 筑前煮も練習しておいた。 大人数のご飯の支度はテーブルのセッティングから大変だ。誰がどこに座ってお箸がこれで… そうこうしてると子供達は外で

          母が亡くなって初めてのお正月

          37歳。父と二人暮らし。

          母が亡くなる数ヶ月前に私はひとり暮らしを辞めて実家で暮らし始めた。 母は亡くなる2ヶ月前から入院をしていたから 父親との二人暮らしが始まった。 父は基本、何にも話さない。 何を考えて生きてるのかもわからない。 簡単に言えば無口。寡黙。 母が間に入ってくれてなんとか成立していたコミュケーション。 母がいないとどうしたら良いのか全くわからなかった。 私の母はずっと専業主婦だったから 家事を一人でこなしてきた。 そんな姿を見てきたからか、家事は女性がやるものだと何の疑問も思わず

          37歳。父と二人暮らし。

          母の抗がん剤治療がはじまった。

          母は抗がん剤治療の為、入院をした。 私は母に、ノミの心臓🫀と言われるくらい 怖がりで心配性な性格。笑 だから入院や抗がん剤治療もすごく不安だった。 「今より良くなるために入院して治療するんだから心配しなくて大丈夫だよ」って母はいつも前向きな言葉をくれた。 ほんと、そうだ。私はいつも最悪の事態を想定したり悪い方に物事を考える癖がある。 母はそんな私を一瞬で前向きにさせてくれる。 物事をよく見て、あ〜だこ〜だ難しく考えない。 起きてる事実だけを見ることを母から教えてもらった。

          母の抗がん剤治療がはじまった。

          母は多発性骨髄腫

          母の病気がもしかして大きな病気なのかもしれないとわかったのは何気なくリビングで母と2人で過ごしていた時でした。 「ママ骨髄検査を受けるから検査入院するね!」って突然話があった。 「え、骨髄検査?」 「うん、わかった。どのくらい入院するの?」 って。 骨髄検査って血液のがんを調べるものだよね…と思いつつ母にはなぜか理由は聞かなかった。 母はもし〜◯◯だったらどうしようとか 怖いとか不安とかそういう感情は全く出さない人で、まだわからないことをくよくよ考えたり嘆いたりしな

          母は多発性骨髄腫

          わたし37歳。母が亡くなった。

          突然ですが、自己紹介をさせてください^^ 現在わたしは37歳。独身です! 去年6月に母が亡くなりました。 68歳でした。 61歳でがんがみつかって 7年間治療を頑張りました。 母は死を怖がることなく、いつもドシっと 構えてた。 お正月になると、来年はいないかもしれないからって、おせちや筑前煮の作り方を私に教えたがった。私は心の中で、悲しいからやめてよと思っていたけど、悲しい雰囲気は嫌だから素直に教わった。 それから、亡くなったら可愛いブラウスを着せて欲しいって、ピンク

          わたし37歳。母が亡くなった。

          30歳。母ががんになった。

          30歳。 結婚したくて合コン三昧の毎日を送ってた。 仕事も楽しくて順調。 毎日気楽に生きてた。  父は67歳で退職した。 社長をしてたから、ものすごく多忙で いつも家にいない仕事人間だった。 退職して、母と2人で海外旅行を楽しんでた。 これから行きたかった場所に沢山行こうって。 旅行から帰ってきて、母の異変が始まった。 咳をすると「いてててて💦骨が痛い」って。 骨が痛い・・・?! 咳しすぎて骨にヒビでも入ったのかな? なんだろうねぇ? すぐに治ると思って特に深く心配して

          30歳。母ががんになった。