おむすび

昨年68歳で亡くなった大好きな母との思い出を胸に、泣いたり笑ったりどうにかこうにか前を…

おむすび

昨年68歳で亡くなった大好きな母との思い出を胸に、泣いたり笑ったりどうにかこうにか前を向いて生きています。 1986年生まれ🌸

最近の記事

仕事だけで終わらない人生を

最近、会社に行きたくない。 働きたくない。はぁ〜疲れた。。。 家に帰る体力も余ってない。 歩くのも自転車に乗るのもしんどい。 ご飯を食べるのもお風呂に入るのもしんどい。 夜は20時半に寝る毎日。 あぁ。わたしの30代独身ライフはこんなにもあっけなく1日を終えてゆくのか…と悔し涙を流しながら寝て過ごす日々。。。 仕事帰りに生まれたての子鹿のようにガクガクと震える足をなんとかコントロールして、ふらふら〜っと電車に乗り込み、帰り道に内科に寄って帰ってきた。 検査の結果は思ってい

    • 日曜日は料理の日

      日曜日は料理の日。 午後2時くらいから料理を始めて明日からのお弁当。今日の夜ご飯。それから明日の夜ご飯作り。 あぁ〜もうっ! 私の貴重な日曜日だぞ! 自分の意思でやっておいて心の中は葛藤中。。。 それでも手作りのご飯は私の毎日に欠かせなくて、美味しくできたらやったー! いまいちな時は次回リベンジだ!と日々を楽しませてくれることの一つになっている。 一人暮らしの時も、お肉やお魚、旬の野菜、自分で好きなものを作って食べたことが何よりも楽しかった。 褒め上手な母は、「ご

      • 母の一周忌。全てを糧にして生きていけ。

        母の一周忌が無事に終わった。 翌日はいつも通り仕事だったけど、目が覚めたらめまいと吐き気がして仕事は遅刻させてもらうことにした。  子供の頃祖父母が亡くなって、それから初めての身近な人の死が母になった。 お葬式も一周忌も初めてのことばかりで、遠くから来てくれる親戚の送り迎え、食事、家に来てお茶を出したり頭の中で何度もシュミレーションをして準備をした。 とにかくやり切った。やり切って完全燃焼だった。 一週間、頭痛と吐き気で体調はいまいち。 そのうち風邪もひいて、どっかーん!

        • 出雲大社から届いた小吉の知らせ

          私の部屋に唯一飾ってある置き物。 4年前、家族で旅行に行ったとき出雲大社で出会ったこのうさぎ。 私の結婚を熱望していた母が出雲大社に行こう!と計画してくれた旅行で買ったもの。 あれからず〜っと独身の私を見守り続けてくれている。笑 窓際に置いてみたり、ドレッサーに置いてみたり、かわいくて大切にしている。 今日はメイクを終えて、ドレッサーを綺麗にしようとうさぎを手にとったとき、私の指にシールがくっついた。 シールと一緒に紐に繋がれた小さな巻き物。 私が買ったうさぎは

        仕事だけで終わらない人生を

          連絡先教えてくださいからはじまった

          わたしには、友達以上恋人未満みたいな男友達がいる。 (ちなみに、体の関係はなしです、、、!) 新卒で入社した会社を辞めて以来、ずっと接客業をしているのだけど、ありがたいことにお客様に名刺をいただいたり、お食事に誘っていただいたり、思いをしたためた手紙をいただいたり、出会いのきっかけをもらうことは多々あった。 これはわたしが決して美人とか可愛いとかそういうことではない。 ただ愛嬌だけは誰にも負けないという気はしている(笑) 仕事は30分前に出勤し、髪を巻き直し、メイクを直し

          連絡先教えてくださいからはじまった

          自分で作るお弁当にわくわく

          日曜日の午後。 明日からのお弁当準備もできたし、夜ご飯のおかずも作って、ほっと一息。 毎日買い弁(死語なのかな?)できたらどんなに楽ちんだろう。。。と憧れたけど、手作りのご飯は体にやさしいからやめられない。 それに、あ〜明日のお昼ご飯はこれを食べるのかぁ♪とわくわくする。 昨日のわたし、ありがとう!と思わずにはいられない。 ここ数年で、毎日お魚を食べるようになった。 だいたいお弁当のメインはお魚。 おかずは、ひじきの煮物や切り干し大根、胡麻和えなど王道な和食ばかり。

          自分で作るお弁当にわくわく

          もっと人生にときめいて

          昔は雑誌を買って、あの洋服が着たい! このデパコスを買いたい!こんな髪型にしてみたい!って色んなものに心をときめかせていた。 38歳になった私は、雑誌はゴミになって捨てる手間があるから買わないし、欲しいものが増えるだけだし、美容院だってどこに行っても同じ、安いとこでいいし、 化粧品もドラッグストアで手軽に買えるのが便利でいい。 たまにハンズで韓国コスメを覗いて、ありすぎてわからないや、、、となる始末。 ある時、友達に誘われて新大久保に韓国コスメを見に行った。 お店に入るな

          もっと人生にときめいて

          とびっきり幸せじゃなくてもいい

          来月、母の一周忌がやってくる。 思い出になってほしくないって泣いてた数ヶ月前のわたし。 今は、母がいなきゃ生きていけないと思ってた毎日を、泣いたり笑ったりしながら生きてる自分にがんばってるねって言ってあげようと思っている。月日は悲しみも平穏な心もつれてきてくれる。 ほんの少し時間が経てばまた前向きになれたり、笑えたり、かと思えば悲しくて目の前が真っ暗にしか見えない日もあったり、こうやって見える景色は毎日少しずつ変化していくものなのか。。。 それならどん底の日だってジタバタし

          とびっきり幸せじゃなくてもいい

          独身は性格が悪いって?

          久しぶりに独身である自分が嫌だと思った。 既婚者ってなんなのよ。 50歳過ぎた知人女性は私に会うといつも言う。 どうして彼氏がいないの? 本当はすごく性格が悪いの? 私にとってあなたが独身なのは世界七不思議なのよ。 一回くらい結婚して、嫌なら離婚すればいいのよ。その方がモテるから。 あなたは既婚のこっち側と独身側どっちにいきたいのよ? 既婚側にきたいなら独身者とつるんでばかりじゃだめなのよ。 しまいには、あなたは女に嫌われるタイプねと。 アンチはいるのよ。って。 アンチ

          独身は性格が悪いって?

          死別の痛みが消えないでいる

          禍福は糾える縄の如し (かふくはあざなえるなわのごとし) 災難と幸福 不運と幸運はより合わせた縄のように交互にやってくるもの… 母の一周忌が約3ヶ月後にやってくる。 一周忌の法要の日にちを決めた日から私は ぐったりと落ち込むことが増えた。 昨日は仕事中に突然涙が溢れて慌ててトイレに行った。 帰り道の電車の中から母が通っていた大学病院が見えるのだけど、病院が見えた途端また急に涙が溢れて危うく電車で大泣きしそうになった。 仕事で少し疲れただけなのにいつもの何倍も疲れた気が

          死別の痛みが消えないでいる

          死別の悲しみはどうやって乗り越える?

          みなさん、大切な人との別れはどうやって乗り越えますか? 乗り越えてきましたか? 私は母が亡くなってすぐ、働いていた職場を退職しました。 もう新しい仕事は決まっていたけど、優しいお気遣いをいただき半月ほど期間を置いてから仕事を開始することになった。 仕事に行って家に帰ったら母の仏壇に手を合わせて涙がこぼれる。毎日その繰り返しだった。 でもこれまでとなんら変わらず、楽しんで仕事に行った。母が亡くなった直後だけど、あまりにも私が落ち込んでないから職場の方達は拍子抜けしていた。

          死別の悲しみはどうやって乗り越える?

          37歳。母が亡くなった日。

          私は毎週土曜日になると母に食べたいものを聞いて病院に届けた。 リンパに転移してからなかなか食事が喉を通らなくなってしまい、病院ではおかゆを頑張って食べているみたい。 ゼリーやバナナ、ようかん、プリン… それと必ず手紙を書いて一緒に届けた。 こんなふうに母の為に何かできることがすごく嬉しかった。 コロナの影響で面会はできないから、病院に着いたら看護師さんに荷物を預けて届けてもらう。 母には会えないけど、母がお世話になっている看護師さんに会えるのは私にとって大切な時間であり唯一

          37歳。母が亡くなった日。

          延命治療するか決めてくださいと言われた日。

          私の母は血液のがん(多発性骨髄腫)でした。 亡くなる前、おでこやリンパに転移してて 放射線治療の為に入院しました。 病気の影響で心不全や肺に水が溜まるなど、呼吸が苦しくなることも多くて入院しながら放射線治療を受ける予定でした。 入院したら母はいつも家族のLINEグループに連絡をくれるのに、今回は待っていても連絡が来なかった。疲れが出たのかな?と思っていたら主治医から私の携帯に電話があった。 「お母さんの病状について話したいことがあるからご家族みんなで病院に来てほしい」と。

          延命治療するか決めてくださいと言われた日。

          母が亡くなって初めてのお正月

          2024年。 母が亡くなって初めての年末年始だった。 私はちょっと緊張していた(笑) 姉二人は結婚して家を出て子育て真っ最中。 私は実家で父と二人で暮らしてる。 ということは、年末年始の食事は私が作るんだ。 それに、喪中だからおせちは頼まない。 尚更大変だ!!! 12月に入った頃から、レシピを探して新メニューの練習をした。 筑前煮も練習しておいた。 大人数のご飯の支度はテーブルのセッティングから大変だ。誰がどこに座ってお箸がこれで… そうこうしてると子供達は外で

          母が亡くなって初めてのお正月

          37歳。父と二人暮らし。

          母が亡くなる数ヶ月前に私はひとり暮らしを辞めて実家で暮らし始めた。 父は基本、何にも話さない。 何を考えて生きてるのかもわからない。 簡単に言えば無口。寡黙。 母が間に入ってくれてなんとか成立していたコミュケーション。 母がいないとどうしたら良いのか全くわからなかった。 私の母はずっと専業主婦だったから 家事を一人でこなしてきた。 そんな姿を見てきたからか、家事は女性がやるものだと何の疑問も思わずに生きてきた。 母が入院してから当たり前のように私が家事をした。 父は退職

          37歳。父と二人暮らし。

          母の抗がん剤治療がはじまった。

          母は抗がん剤治療の為、入院をした。 私は母に、ノミの心臓🫀と言われるくらい 怖がりで心配性な性格。笑 だから入院や抗がん剤治療もすごく不安だった。 「今より良くなるために入院して治療するんだから心配しなくて大丈夫だよ」って母はいつも前向きな言葉をくれた。 ほんと、そうだ。私はいつも最悪の事態を想定したり悪い方に物事を考える癖がある。 母はそんな私を一瞬で前向きにさせてくれる。 物事をよく見て、あ〜だこ〜だ難しく考えない。 起きてる事実だけを見ることを母から教えてもらった。

          母の抗がん剤治療がはじまった。