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37歳。母が亡くなった日。


私は毎週土曜日になると母に食べたいものを聞いて病院に届けた。
リンパに転移してからなかなか食事が喉を通らなくなってしまい、病院ではおかゆを頑張って食べているみたい。
ゼリーやバナナ、ようかん、プリン…
それと必ず手紙を書いて一緒に届けた。
こんなふうに母の為に何かできることがすごく嬉しかった。


コロナの影響で面会はできないから、病院に着いたら看護師さんに荷物を預けて届けてもらう。
母には会えないけど、母がお世話になっている看護師さんに会えるのは私にとって大切な時間であり唯一母を感じさせてくれる時間だった。

看護師さんに会うと母の様子を教えてくれた。
母はかなり痩せて、自力で歩いてトイレにも行けなくなっていた。
オムツをかえてくれることへの申し訳なさと感謝でいっぱいだったみたい。
私とのLINEにはいつも看護師さんへの感謝が綴られていた。
看護師さんってすごいんだよ。とっても優しくて、白衣の天使って本当にいるんだよ〜!
心の優しい人しかできない仕事だよ。看護師さんがこんな話をしてくれたよって、いつも看護師さんの話をしてくれた。 
母は入院したって寂しがるどころか、看護師さんや先生とのコミュニケーションを楽しんでた。母は自分の居場所を作るのがとっても上手だった。

病院に行っても母には会えないけど、すぐ帰りたくなくて、病院の中にあるカフェでランチやお茶をして帰った。少しでも母の近くにいたかったから。

母はその日の体調によってLINEができたり、できない日もあった。
母からくる連絡は日に日に病状が良くない知らせだった。
「驚くくらい体に力が入らなくて自分でも驚いています。」
「体力と気力がなくなってきました。あとはパパに聞いてください。」
あきらかに辛い事がわかるLINEだった。
それでも抗がん剤治療は続けて、なんとか頑張り続けた。
唯一中々答えが出なかったのは、緩和ケアに行くことや抗がん剤治療をやめることだった。
でもこの時、母からついに治療はもうやめていいと思ってると連絡がきた。


「緩和ケアに行ってみんなに会ってお別れしたいと思ってるよ」とLINEが届いた。

母から真っ直ぐに言われる「お別れ」って言葉はきつかった。
母は家で最期を迎えることを嫌がった。
それは母がまだ元気な頃からずっと言っていたこと。
「ママは家族にオムツをかえてほしくないの。だから亡くなる時は絶対に施設や病院がいいんだ^^!」って。


治療をやめるって事はどういことなのか。
緩和ケアに行くってことは、もう一緒に家で過ごせないってこと。
日に日に母との別れが近づいてることを実感した。
なにこの辛さ。こんな悲しいことってある?って
毎晩怯えるように泣いてた。
でも朝になったら何でもないような顔して会社に行く。なんだこの毎日は。こんな時に会社で笑ってらんない。でもやらなきゃって、何度も自分を鼓舞した。じゃないといつだって涙が出そうだった。

母が入院する日、私はもう帰ってこない可能性もあるとなんとなく思ってた。
仕事に行くときいつもよりもっともっと母の顔と目を見ていってきますを言った。
「入院がんばってね^^帰ってきたらおいしいもの食べようね!」って伝えた。
今でも昨日のことみたいに思い出せる。
あの時ちゃんと伝えられてよかった。


そして仕事中に私の携帯に病院から電話があった。
主治医の先生から緩和ケアについての連絡だった。先生はいつも優しかった。お母さんのことで聞きたい事心配な事ありますか?お姉さんやご家族みなさん何でも聞いてくださいねっていつも寄り添ってくれた。
そして、母に電話を代わってくれた。


すごく小さな声で弱々しかったけど、
緩和ケアに行ってみんなと会いたいって言ってた。
「それから、喪服の準備をしておいて。
小さい子供は靴を揃えるのも大変だろうからお姉ちゃん達に伝えてね」って。

これまで母の前では泣かないでいたけど、もういいやって思った。本当は死なないでほしいよ、お別れしたくないよって言いたかったけど、もう母はたくさん頑張ってきたから、言えなかった。
うんわかったよ!伝えるね。
緩和ケアで会おうね!会えるの楽しみにしててね!って伝えた。
これが母と最後の電話だった。
こんな時に喪服の心配までしてくれて、母らしいと思った。

電話のあと仕事に戻った。
食欲がなくてお昼ご飯は食べられなかった。
泣いて仕事に戻れるかわからなかった。
でもちゃんと最後まで仕事した。
接客業だから、お客様の前で笑えるか不安だったけど、笑った。ちゃんとできた。
やっぱり私は母の娘なんだと思った。辛い時も笑って頑張れる。

その数日後、母とたくさんLINEができた。
本当に病気なのかな?って思うくらい
母のLINEは明るくてハートがいっぱい。
母は体が弱っていても、心は元気いっぱいなのだ。

たくさんLINEをして嬉しかったし、久しぶりに安心して眠れた。
その次の日、出掛けようとしていたら病院から電話がきた。
お母さんの呼吸が苦しくなって意識も薄れてきてきいるので病院に来てださい。って。
家族に伝えて私は一人で先に病院に向かった。
ずっと母がいないと生きていけないと思ってた弱い私は、たぶんこの時変わったんだと思う。
もう涙は出ないし、悲しいとか寂しいとか辛いじゃない。
ママ待ってて。ちゃんとお別れしに行くから。
ママにありがとうを伝えてお別れしたいから。
ママの人生が終わるのを見届けたいから。
待ってて。
強い気持ちになれた。

病院に着いたら、母はものすごく苦しんでた。
呼吸がうまくできないのか、胸が苦しいのか
私が触れるのも嫌がって苦しんでた。
人が死ぬ時って安らかだと思ってたのは違った。
人が死んでいくのは命懸けなんだと知った。

点滴をして時間が経った頃、ようやく母の目がパッと開いて、苦しみが少し和らいだ。
久しぶりに家族で再会できた時間だった。
母は死ぬかと思ったってニッコリ笑った。
苦しかったね。
まだ死んでないよ!安心してね(笑)
出産より苦しかった?
って笑いを交えながら少し会話もできた。
久しぶりに会った孫のほっぺを触ってニコニコしていた。
いい香りがするハンドクリームをぬってあげたり、書いておいた手紙を渡したりとっても温かい時間だった。

先生からは、今日か明日が山場ですと言われた。
ちゃんと皆んなで受け止めた。
看護師さんからそろそろ面会終わりですと伝えられて帰る時間になった。


皆んなで手を握ってまた来るねって伝えた。
行こうとした時、母が私の手をぎゅって力強く握ってくれて振り返って母の顔を見たら、満面の笑みで私を見てくれていた。

今まで一番近くでお互いを見守ってきた母と私。
私のありがとうも、母のありがとうもその時全部伝わった気がした。

私は一番伝えたかったことがあった。
母は私が結婚するまで死ねないよっていつも言っていた。結婚を見届けて、安心して死にたいって。
でも私は歳を重ねるごとに母といたいと思ってしまった。母の力になりたかったから。
私は結婚していないけど、結婚しなかったからこそこんなにママの近くにいれたし、ママの力になれたことが私の人生にとって一番の幸せだったんだよ。これが私の幸せなんだよ。だから側にいれてよかった。

母はうんうんって頷いてくれた。
何よりも伝えたかったことだから伝えられて本当によかった。もう何も悔いはない。


その夜、またいつ電話がきてもいいように
着る洋服も準備しておいた。
不思議ともう涙もでない。ただちゃんとお別れがしたい。その思いでいっぱいだった。


翌朝6時頃病院から連絡がきた。
皆んなで車に乗って急いで病院に向かった。
もう母の意識はなかった。
昨日よりもっと顔色が悪くて、意識はないけど一生懸命呼吸をしてた。

皆んなでずっと感謝を伝えた。
ママのご飯美味しかったよ。
毎日楽しかったね。
ママの友だちに頑張ってたこと伝えるからね。
ママ、まだちゃんと生きてるよ
ママ強いね!
ママは一度も病気に負けなかったね。頑張ったよね。
ママもう少し一緒にいようよ
みんな応援してるよ。

みんなで母に触れながらずっと声をかけた。
3時間後に母は亡くなった。
みんなで笑顔で記念写真を撮った。
どんなに泣いてもいいから心は笑顔でいよう。
母に沢山の拍手を送ろうねって話してた。
母の生き方があまりにも素敵でやさしくて強くて
胸がいっぱいだった。
母がいなかったら生きていけないと思っていたけど、大丈夫、大丈夫、頑張れ頑張れって励ます言葉ばかりが浮かんできた。

母は自分が葬儀をしたい葬儀場を自分で見学に行って選んでた。
遺影も準備してた。
そんなこと全然知らなかった。
母がいないと生きていけないなんて言ったら
母はなんて言うかな。

すぐ悩んだり迷ったり不安になる私に
いつも母は「大丈夫よ」「あとは気持ちだよ。
」って言ってくれてた。
そうだよね、気持ちだよね。
寂しいけど、がんばる気持ち。
楽しく生きていくんだって気持ち。
頑張ってみるから見守ってて。

辛い時、悲しい時わたしはネットで
“終末期 辛い”
“家族 病気”って検索しては何か乗り越えるヒントはないのか、この辛い気持ちをどうしたらいいのか答えを探してた。
こんな時仕事との向き合い方もわからなくて、ただ頑張るしかなかった。
こんな時、辛いって誰かの前で泣けたらいいのに
できなかった。
いつか私の友達や大切な人達が、こんなふうに家族の病気や家族を失う時がきたら、そっと寄り添いたい。いや、そっとどころか思いきり寄り添いたい。
夜一人で泣いてることも、頑張って仕事に来たことも、笑顔でいることも、人に優しくできることも、辛いのに前を向こうとすることも、きっとうまく言葉では言えないけど抱えてる想いが沢山あること、少しでもその心に寄り添える人になりたい。

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