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延命治療をしない決断をした日

私の母は血液のがん(多発性骨髄腫)でした。
亡くなる前、おでこやリンパに転移してて
放射線治療の為に入院しました。
病気の影響で心不全や肺に水が溜まるなど、呼吸が苦しくなることも多くて入院しながら放射線治療を受ける予定でした。

入院したら母はいつも家族のLINEグループに連絡をくれるのに、今回は待っていても連絡が来なかった。疲れが出たのかな?と思っていたら主治医から私の携帯に電話があった。
「お母さんの病状について話したいことがあるからご家族みんなで病院に来てほしい」と。


母は入院してすぐ、容態が悪化して食事も食べられていない。母のがんがとても強くて、体全体の臓器に影響がでていて、何よりも心臓があとどのくらい持つかわからない状態まできています。という話だった。
そして今後何か起きた時、延命治療をするか決めてほしいという話しだった。

漠然と、7年病気と戦ってとうとうこういう時がきたんだって思った。
家族は皆んな冷静だった。話し合った結果を先生に伝えて、その日は母に会えずに終わった。
コロナの影響で、母に会えるのは容態が急変した時だけらしい。
もう母と話すことはできないのかもしれないって悟った。

私は先生と話しが終わった後、涙がこらえきれなくなってトイレに行った。
泣いて泣いてぐちゃぐちゃの顔になった。
隠しきれないほどの悲しみに直面したんだもん。もう涙だって隠さなくていい。
堂々とぐちゃぐちゃの顔でトイレを出て家族に合流した。


病院を出て、ファミレスでお昼ご飯を食べた。
風邪をひいてもどんな時も食欲旺盛な父がはじめて「お腹も空かないなぁ」って言いながらメニューを見てた。 
たぶん家族皆んなそうだったと思う。
皆んな無理矢理お昼ご飯を食べて、いつも通りを心掛けていたんだと思う。

その日から、母はいつ急変してもおかしくない状況のため、何かあったら私のスマホに病院から連絡がくることになった。
私は片時もスマホと離れずに過ごした。
お風呂にも持って入った。

翌日はいつも通り仕事だった。
母の病気がわかった時みたいに、心がずっしりと重かった。怖いし悲しいし、不安だし心配。仕事なんて行かないで家にいたかった。
上司に事情を説明してスマホをポッケに入れて仕事をさせてもらうことになった。
今まで失恋したって、職場の人間関係で悩んだって、どんな事が起きても元気にこなしてきたのに
こんなにも心がしんどいと思ったのは初めてだった。

母は病気になっても、いつも人を思いやるやさしい人だった。自分がどんなに大変な時でも絶対にやさしかった。
私も今だって思った。ものすごいしんどい、辛いけどこういう時こそ優しさを忘れちゃいけない。
笑顔でいる。
悲しんで泣いてたら母が元気になるわけじゃない。
泣いても笑っても同じ1日なら笑って過ごす!
きっとこう考えられたのも私は母の娘だからだと嬉しく思えた。

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