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服を捨てたことと本を売り払ったこと、くよくよ

服を減らしたくて、スーツケースに苦労して詰めて古着屋さんに持って行きました。
けれど Tシャツ 3枚くらいしか値が付かなくて、他も置いてきました。
ニュースで、物価高が報じられていました。取材を受けていた方は一食 300円に抑えているそうです。
わたしは、パーカー 1枚でも疎かにしてはいけなかったのではないかと思い、売れなかった服を、あんなに迷っていたのに、古着屋さんのカウンターでならやすやすと捨てる行動を取ったことを、後悔したり……しています。はっきりと「しなければよかった」という後悔ではなく、「してよかったのか、しないほうがよかったのか」という、過ぎたことに対する逡巡です。
時間を掛ければ、フリマアプリで買い手がついたかもしれないのに……
服も、まだきれいだったから、またどなたかに着られて、なんか罪悪感もないのに。
古着屋さんに持ち込む前にフリマアプリに出品していたから、買いたかった方もいたかもしれないのに。
どうしたらいいのかわかりません。
そもそも服を減らしたいのは持ち物を抜本から減らしたいからで、図書館戦争でスーツケース一つで寮に入居したという記述がたしかあってかっこいいと感じたりしてわたしは生活に必要な最低限のものを持ってこの家を出たくて、だから、服も、本も、迷いながら捨てているのですが、なんか、本なんてお金に替えられるものではないし、わたしがどんな思いでどうやって実家を出ようと実家は当分変わりなく存在するから、神経が参りそうになるほど躍起になって片付けなどしていないで小説とか書いたらいいのにと思うぶぶんもあります。
本を手放すことは、その本とのこれからの関係を断ち切ることだなと思います。わたしは、小学校低学年の読書感想文につかった本を10年振りに読んで、なんか温かい気持ちになったことがあります。
他の作品も読んでみたいと思った作家の文庫本が10冊近く母の蔵書から現れたことがあります。
こんな近くにいたのねと感動する体験を、刈り取ることだと思います。だから本を捨てたくなんかありません。売り払いたくなんかないのです。でももう何十冊か売りました。合計で、本数冊分にはなりましたけれど、これでよかったのか、これから残りの本もこの方針で扱っていいのか、わかりません。全部実家に置いていけばよかったのかもしれません。わたし以外の家族は存在も忘れている本を、わたしのいない実家に……。

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