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ひよっこ校正者の反省と楽天性の日記

わたしはフリーの校正者をしています。

とはいっても、校正プロダクションに登録して、

お仕事の発注を待ち、発注されたら何であれ受注する、

というかたちです。

自分で仕事を獲得したり持ち掛けたり、

打ち合わせや請求書の作成をしたり、

という、フリーランスときいて思い浮かべるようなことはしていません。

スーツを着てメールを打ったり電話を取ったり打ち合わせをしたりという経験がなかったので、

校正の作業以外を代行してくださるプロダクションの存在がありがたく、担当の方に頭が上がりません。

社会人経験も校正経験もないのにフリーランス契約を結んでくださって、

仕事のことを、かなりの初歩まで視点を下ろして説明してくださいます。

同じ案件を担当するほかのフリーランスの方も、質問をすると丁寧に答えてくださいます。

恵まれていて泣きそうです。

せめて校正作業を丁寧に、

お礼と挨拶を忘れずに、

と思うのに、

昔から時間を守るのが苦手で遅刻しそうになったり、

せっかく手放しでほめてくださったのに「そうですか」などとほめ甲斐のない、いっそ失礼な受け答えをしてしまったり(声を出したら嬉しさに取り乱してしまいそうだったのです、ほんとうに)

しています。

校正のほうは、見落としがたくさんあるにきまっています。

発注のメールが来ないと不安になります。

約2ヶ月間、お仕事が一つもなかった週はありませんが、

週の後半までメールが来ないと、
前回の仕事にいただけない点があって次の発注をためらっておられるのではないかしら、と、
自分の周囲を広く包み視野を曇らせる霧があるような気分になります。

けれど、もしもそのプロダクションから今後一つも発注が来なくても、

わたしは何かしら仕事をすることができる、

そう思います。

根拠がないことには初めから気付いていますが、

居場所があそこにしかないのだという強迫的な考えには陥らずにいたいです。

それに、根拠がないので夢の言葉と取られてもかまいませんが、

この世界は広くて、

自分には、これから初めてできるようになることが花畑のように広がっていて、

思い詰めなくても、

何年も活動できなくなるほどに自分を取り締まらなくても、

この大地の上でわたしたちは生きていけるのだと思っています。

けれど胸の真ん中にあるのは、お世話になっているプロダクションで、任せていただいたお仕事を真摯に遂行して、一日も早く一人前の仕事ができるようになりたいという思いです。


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