日記(メルカリから大学まで)
捨ててしまった、スーツケース一つ分の服のことを思い出しては、胸を重くしています。
二三日前に、古着屋に持ち込む前に売れるだけ売り切ろうと値下げして売れた服を 10個ほど発送しました。その受取評価が続々と届いて、わたしは切なさを感じています。もう売れることはないんだと思って、二三日前の、PUDOステーションの前に 10分くらい陣取って次々に紙袋や封筒を入れていったことを思い出して、楽しかったのだと気づきました。そのときは、本を読むでも文章を書くでもない間延びした時間に、いつまでこんなことしてるんだと焦っていました。でも、使わなくなったものが誰かに必要とされて、送り出す、そのことが楽しかったみたいです。おかねも入るし。二束三文でも、リュックサックの足しになります……スーツケース並の容量の、登山向けのリュックサックを使おうと思っているのです。身の回りにないので買います。なんか、お金のことを考えるのがこわいんです。メルカリの「売り上げ」の表示も、目を逸らしてしまって正面から見たことがありません。なんか、お金にがめつくなるのがこわいです。お金なんかいらないよ、出品状態を続ければこれから 500円くらいは売れるかもしれないけどそんなことより部屋から物が早く減ることの方が大事だよ、みたいな思考が、ありました。そういう思考で判断しようとしていました。わたしはフリーランスで、技量がなくて、今はワンルームの家賃分くらいしか稼げなくて、これからどうなるかわからないから、 50円の可能性も大事にしなきゃいけなかったかもしれません、わからないから、過ぎたことは気にせず残りのものを片付けよう、と思った方が生産的かもしれません。生産的ってなんだか怖い言葉ですね。今の自分の生活にどれだけのお金が掛かっているのかわからないです。うちでは収入も支出も両親の間で秘匿されていて、わたしは教えてくれた方が自立するとき助けになると思うのですが聞いても教えてくれません。ワンルームよりも安いシェアハウスなら今のお財布でも暮らせるんじゃないかと思うのですが現実を知らない夢想でしょうか。
そういえばわたし通信制の芸大に入ったんですが、全然大学のことやってません。いっぱい履修登録したのですが、いざ課題に取り掛かろうとしたらなんか取り付く島がないというかロッククライミングみたいな感じがして、そのまま春期は単位を取りませんでした。N高のレポートとは違いました。N高のは、N予備校で動画を聞き流していてもクリアできましたが、京都芸大の課題は、能動的にならないと達成できません。文芸コースの、特講か演習の Ⅰ に、いちばん興味のないものを調べて発見を文章にする、というような課題があって、図書館に行って丸一日かそれ以上かけてしっかり取り組まなきゃ書き上げられないじゃないか! 深く学ぼうと思って入学したのに、軽々にやり過ごすつもりでいたのでしょうか、
通信芸大の話になったのは、自分の夢想の連想で、わたしは今、習うことができないんだな、と気づいたことについて思い出したからです。文芸って一人でも学べる、と思っていて、学校なんて嫌いだし、わたしは環境に飛び込みたかったのに、入った通信制大学では、周りの水準が自分の行動のハードルを下げてくれるといったこともないし。一人一人に良質な教育は届くかもしれないけれど、学生の集団になることはありません。「週末芸大」では毎週顔を合わせて顔見知りになったりできるのかもしれません(全くわかりません)が、文芸コースは「てのひら芸大」でスクーリングがないので、本当にほかの学生の姿が見えません。文字での相互批評は授業でするみたいですし、学生等専用のアプリで合評会が催されたりしていますが時差のある文字ですし、文芸から離れたくなくて大学の文芸コースに入ったけれど、期待した効果はないなあと思っています。ただし!これはわたしにも責任があって、課題をこつこつやれば体感も変わるでしょうし、アプリのコミュニティも自分がどしどし投稿すれば雰囲気が変わるかもしれません。N高の Slack で行われていた times や部活や種々のチャンネルのような活発さはありませんが、他者・既にあるものに頼るよりも、自分の行動を恃んだ方が、限界がないという点で希望がもてます。なんか熱血みたいなこと言ってますね。ちゃんと課題出してテスト受けるまでやってから言った方がいいです。学生から見た大学のことなんて。
メルカリとお金と大学と頑張る環境のはなしになりましたね。一山過ぎ去ったので今日はここまで。また書きます。
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