雨の日は寝るネピゥ

生きてるきみやぼくが読んでさらに生きますように。

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最近の記事

最後に眠る係り

冷蔵庫の扉がゆっくり閉められていっていた。まだ扉は微妙に開いている。でももう奥の、冷蔵室のスライスチーズなんかはかなりの暗闇のなかだった。ゆっくり閉まっていく。卵が6個、6個4/1、6個2/1、7個8個、暗がりに消えていく。 いつしか冷蔵庫の灯りが消えた。 いま、外の光が7ミリ幅で差し込んでいる。 扉のいちばん手前側には甘口の焼肉のタレがあった。いつもタレが最後に眠る係だった。いちばん暗い夜をタレ以上に知る食べものはここにはなかった。 『おやすみモランボン』 えっ 2

    • 好意ということ

      恥ずかしがってみせるというのがなにより相手を敬うことです。 だからさっきから私は貴方の目を見ながら「ケロケロケロッピ!」と言っては顔を赤らめている。 虫に裸を見られたところで恥ずかしくはない。 亀に見られたら、先ほどよりは恥ずかしい。 では犬は?あ亀より恥ずかしい。 なんか自分のなかの恥ずかしさのメスシリンダーが満たされていっている気がする。 では貴方では?ケロケロケロッピ!! さらに変なことを言って恥ずかしさに奇人成分を混入させて誤魔化してやり過ごそうと思い立つほどに恥

      • 科学を信じるのはむずいのに

        だいぶ前にYouTubeで地球平面説を信じる人々というのを観た。動画のコメント欄では平面説を信じる人々を馬鹿にするものが多かった。 僕は、『地球が球体かどうかを僕は計算できない。だからどっちか分からない。球体であることを無謬に信じる僕と、(彼らも無謬かもしれないけれど)考えて平面説を信じるに至った彼らではどちらが馬鹿なのだろう』とカッコいい顔してコメントした。そしたら返信があって、今日まで積み上げてきた科学を否定するのですか?というコメントが来て焦って自分のコメントを消して

        • 良い心持ちの淵辺には、寂しさに負けてる料理とかがある。

          料理にミックスベジタブルが入ってることがある。お馴染みでありながら特段美味しかったり不味かったりの記憶はない。味という味よりもミックスベジタブルには寂しさが漂っている。 なんか物足りない、彩りが足りない、つまり寂しい、そんなときミックスベジタブルは役に立つ。枯れ木も山の賑わいとばかりに入れてみればさっきよりなんか良い感じになっている。ではあるがそれで完全に寂しさは消えていない。消し切れていないために逆に、寂しさと格闘したけど負けた人間の形跡をミックスベジタブルは表しているよ

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        • フィクション
          19本
        • ノンフィクション
          42本

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          ここに居ないほうが良いですか?と言った女の人に、はいそうですね、と言ってしまった

          空調の仕事でオフィスビルによくお邪魔する。作業のなかで天井裏を覗くことがあって、その際真下に人が居るときは声をかけて退いてもらっている。 いつものようにその旨をデスクに向かっている女性に伝えると 「ここに居ないほうがいいですか?」 と女性は言った。思わず僕は、はいそうですねと答えたが、言った瞬間にすごく冷たい言い方だなと思った。まるでこの世にあなたは必要ないみたいな。 彼女のセリフには、文脈上本来の意味である、作業するのにここにわたしが居るのは邪魔ですか?ともう一つ、この

          ここに居ないほうが良いですか?と言った女の人に、はいそうですね、と言ってしまった

          卵を落としたときとかに僕をダメにしないから

          わけもなくメルカリで薙刀を買いたい。 持ち手に使用感があり色が落ちております。色はくすんでいますがもともとこのような色です。写真だと鮮やかに見えますが実物はくすんでおります。などと当人が気にしていることが露わになっている注意書きがされているものを買いたい。 そこを突いてさらに安くしたい。 「色はどれぐらいくすんでいるんですか?くすんでないものとちょっと検討中です」 とか言って相手が気にしてるところに言及して揺さぶりにかける。 結果100円でも安くなればいい。金額の大小じゃ

          卵を落としたときとかに僕をダメにしないから

          完璧な顔して都会を歩く

          完璧な顔で都会の雑踏を、みんな仲間だよねみたいなフリして歩いてみる。でもなぜかその一員に見做されてない気がする。だからなおさらそういう顔をしなきゃあいけないんだけど、大衆の面前でつまみあげられ「キミは江東区南砂3とかがお似合いだね」と、コインパーキングの名前ぐらいまで番地を指定されてふさわしい街を言われそうでソワソワする。それを隠せない奴からそういう目に遭わされるし、それを隠して歩けてるのがカッコいいとされている。 完璧な顔で都会人のフリをしていたいのはいいのだが、人はそれ

          完璧な顔して都会を歩く

          最悪

          上野アメ横のガード下の立ち飲み屋で飲んでたら右隣にいたおじさんが話しかけてきた。 一期一会で知らない人と喋るのがなぜか上野ではよくある。それが好きなところでもある。 おじさんとの話は弾んだ。おじさんは53歳で福祉事務を市川でしてるらしい。そうやって楽しく喋っているともう一軒行こうということになった。 これはよくあるのかは分からないが、以前にも上野で一度、飲み屋のカウンターで隣になった歯が抜けててなに喋ってるかよく分からないおじさんと同じようにはしご酒をしたことがあった。

          全パン屋の客に告ぐ

          もっと穏やかな気持ちでパンに接してください。あなたたちパン屋でパンを吟味している客の目つきは怖いのです。今日はいったいどいつにしてやろうかと捕虜を選ぶシーンのようです。 ただでさえ怖いのに、人のパン屋でそういう目をしているのですよ。パン屋の店主が閉店後自分の店のパンをそういった眼差しで眺めて興奮する悪趣味ならまだ良いのですが、しかし他人のパン屋の、まだ他人に所有権があるパンに対してそういったジラジラ瞳孔開き気味の目で、まさに物色しているのです、パン屋の客というのは。 なんの包

          全パン屋の客に告ぐ

          人はヤドカリ

          昔読んだ文章で納得するものがあった。 『人は街中などでイヤホンをすることで現実世界との隔絶を行なっている』というものだった。 街中でなぜイヤホンをするのか? 音楽を聴きたいから。 それも十二分にありながら、現実世界の音を耳に入れたくない思惑もだいぶ含まれているのだと思う。 つまり、社会と隔絶して社会に参加したいのだ。 あるとき靴屋で、中国出身の女性販売員と雑談していて聞いた話だ。女子高生ぐらいのお客に声をかけたけどイヤホンで聞こえなかったようで無視された形になってしま

          出来損ないのフィクションに寄り添っている

          むかし、昭和の邦画かなんかを観ていましたら濡れ場シーンで50ぐらいのオッサン役が演歌を一節歌っては女を突いておりました。そんなわけないだろ、変なの、歌終わったらリピートすんのかなもしくは次の曲行くのかな、次エーデルワイスだったらふふふとか思っていたのに、そのうちに口角は下がり、なんとなくそれを受け入れ真顔で見つめる自分がいました。 同じように、お客様でお好みで混ぜてお召し上がりくださ〜いといって素材がまるのまま入ったボールを渡してくるポテトサラダも受け入れていました。しかし

          出来損ないのフィクションに寄り添っている

          パチンコ大学灰皿前

          パチンコ大学というパチ屋の前を歩いていた。自動ドア横に置かれた灰皿で80歳ぐらいの爺さんがカフェオレ色の紙巻きタバコを吸っている。 このちょっと奥が目的のラーメン屋だ。入る。 食べ終えて戻る道、少し先パチンコ大学の灰皿のちょっと手前あたりだろうか、歩道の真ん中で70代半ばの小綺麗な爺さんが下を向いてチョンチョンと何かを蹴っていた。 近くなるとそれはバッタだと分かった。 普通道端では見ることがない立派な大きさだった。 爺さんは近づく僕に目もくれずバッタにかまっている。 その

          パチンコ大学灰皿前

          僕はカレーに恋をして醒めている

          昔からの癖で、家でカレーを食べておかわりするとき盛る量が多過ぎるというのがある。 他の献立では起こらない特有の現象だ。カレーは僕の腹具合の目測を大きく狂わせてしまう。 それと家というのもある。 外食ではおかわりの量を冒険しない。 その点家なら最悪食べ切れなくてもあとでまた食べるから大丈夫だ、という算段が働いている。従って盛る量が多くなる。 そして残すこととなる。 1杯目を食べ終え意気揚々と炊飯ジャーからご飯を盛って鍋からカレールーをかけてルンルンで戻った10分後に、同一

          僕はカレーに恋をして醒めている

          空と信号機と電柱

          小学生の頃家族で車で遠出した帰り、最寄りのインターチェンジを降りるあたりに差し掛かると僕は後部座席で逆さまになっていた。 頭が下で脚が上、そこから見える景色は空と信号機と電柱だった。 みんなで遠出して楽しかった旅も、家が近づくにつれ徐々に見たことがある景色になる。 そして家に着く前のどこかで完全に日常へと引き戻され終わりを突きつけられる。 でも楽しかった旅はなるべく終わらせたくない。だから見知った景色が目に入らないよう逆さになって空と信号機と電柱を見ていた。 この逆さ作

          空と信号機と電柱

          肉体がしている記憶

          爪を切ると身体が軽くなるよと母から言われたのを覚えている。たしかにそう感じる。 半年ぐらい前、爪を研いでいた時期があった。しばらくして研ぐのが面倒くさくなってまた切るのに戻した。 そのときそれぞれの違いに気付いた。 爪を研ぐと指先の感度が保たれる。爪を切るとそれがあからさまに変わる。 爪切りは指先の感覚に大きな変化をもたらす行為なのです。 この変化は新たな感じ方の到来であり同時に以前の感じ方の喪失でもある。 だから爪を切ったら手触りを覚え直す感じになる。それは一週間ほ

          肉体がしている記憶

          置いといて

          届けなくていいよ、そこに置いといてくれよ。 下に英字新聞の、でも翻訳したらこっちで言うスポーツ新聞みたいなやつ敷いて置いといてくれよ。 乗ったら二度と降りられない直感だけを与える前輪がデカい昔の自転車で取りに行くから。 インドネシアの運び方で持ち帰るから。 エサを引っ張ったらワナが作動する仕組みでそこに置いといてくれよ。絶対零度にした磁石の力で浮遊させながら。 すぐ嘘だとバレる永久機関のなかに組み込んでおいてくれよ。 出す腕より戻す腕のほうが速い、えっ昔ボクサーだった?と言わ