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パチンコ大学灰皿前

パチンコ大学というパチ屋の前を歩いていた。自動ドア横に置かれた灰皿で80歳ぐらいの爺さんがカフェオレ色の紙巻きタバコを吸っている。
このちょっと奥が目的のラーメン屋だ。入る。

食べ終えて戻る道、少し先パチンコ大学の灰皿のちょっと手前あたりだろうか、歩道の真ん中で70代半ばの小綺麗な爺さんが下を向いてチョンチョンと何かを蹴っていた。
近くなるとそれはバッタだと分かった。
普通道端では見ることがない立派な大きさだった。
爺さんは近づく僕に目もくれずバッタにかまっている。

その足は単なる好奇心からのちょっかいなのか、踏まれないよう歩道から追いやる慈しみなのかは分からなかった。爺さんは真顔だった。

何にせよ爺さんのこの行動でバッタが跳躍したのなら、爺いの今日は少しだけ爽快になる。跳躍は人を爽快にさせるからだ。崖から崖へのバイクスタント、空中ブランコ、スキージャンプ、フィギュアスケートのジャンプ、何度見ても跳躍には爽快さを感じる。バッタの跳躍だって規模は小さいが跳躍だ、それにこのバッタはデカい。けっこう爽快にしてくれるはずだ。

また、たまたまここを通りかかった僕の今日においても、この視界にバッタの跳躍が入ったとなれば同様にただただ爽快をプラスしてくれる。一日の終わり、布団に入って目を瞑ったら、ああ今日はラーメンを食べて、バッタの跳躍が視界に入って爽快だったなと一日を振り返る。

結局のところ僕がそこを通りすぎるまでバッタは動かず跳躍もしなかった。

爺いのチョンの足に大人しく身体を押され、そちらの方向に1、2歩しただけだ。爽快は与えられなかったから、僕はただラーメンを食べた日で、爺はただバッタをつま先で蹴った日になった。

すぐそこの灰皿では同じ80の爺さんがカフェオレ色のタバコをまだ吸っていた。パチンコに負けてタバコを沢山吸った、たぶんそんな日だ。


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