肉体がしている記憶

爪を切ると身体が軽くなるよと母から言われたのを覚えている。たしかにそう感じる。

半年ぐらい前、爪を研いでいた時期があった。しばらくして研ぐのが面倒くさくなってまた切るのに戻した。
そのときそれぞれの違いに気付いた。

爪を研ぐと指先の感度が保たれる。爪を切るとそれがあからさまに変わる。

爪切りは指先の感覚に大きな変化をもたらす行為なのです。
この変化は新たな感じ方の到来であり同時に以前の感じ方の喪失でもある。

だから爪を切ったら手触りを覚え直す感じになる。それは一週間ほど経てば慣れる。

これは久しぶりに自転車に乗ったとき、分からないなりに乗り方を肉体の記憶から蘇らせて思い出すのに似ている。
体が覚えている、というやつだ。
このように、さらに細かい行動のひとつひとつも覚えているように見えて肉体から記憶を蘇らせ、同時にそれを記憶させている面があると思う。

爪を切るというのは、手の記憶を失くすことだ。それが軽さにつながる。
でもこの軽さは気持ち良いだけでなくけっこう厄介な面がある。

爪を切って新しい指先でいろいろ触ると、この世界の感触はこうではなかったのではないか?と、違和を感じるからだ。それは良い悪いではなく、とりあえず違うということだけがはっきりとしている。
ただそうしたところで以前の感触は二度と思い出せない。

そういう以前の感触を持っていた"自分"が思い出せなくなる。
小さい頃は平気だったのにいつからかセミが怖くなったように、セミを素手で捕まえていた感覚がもう思い出せないのだ。

自分の存在は小さい頃から今に至るまで地続きなようで、思い返すと先のセミのようにしょうもないように見える断絶がある。だって本来セミの価値の変遷なんてどうでもいいからね。
でもこのような断絶はセミ以外にもさまざまなところできっと起こっていて、自分じゃなくなる変遷の瞬間というのがそれぞれにある。
手に関しては爪切りがそうなのだ。

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