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良い心持ちの淵辺には、寂しさに負けてる料理とかがある。

料理にミックスベジタブルが入ってることがある。お馴染みでありながら特段美味しかったり不味かったりの記憶はない。味という味よりもミックスベジタブルには寂しさが漂っている。

なんか物足りない、彩りが足りない、つまり寂しい、そんなときミックスベジタブルは役に立つ。枯れ木も山の賑わいとばかりに入れてみればさっきよりなんか良い感じになっている。ではあるがそれで完全に寂しさは消えていない。消し切れていないために逆に、寂しさと格闘したけど負けた人間の形跡をミックスベジタブルは表しているように見える。

消し切れていないのだから入れなくていいのではと思う。しかし僕らは色の乏しい料理を無心で食べられる修行僧ではない。ふつうに生活をしている。ふつうの生活は簡単に死ぬ。何もしないでいると気配は寂しさをかたちづくり、もっと大きな寂しさを招く呼び水ともなる。天災は一撃で生活を破壊するが、気配は緩やかに絞めあげる。そうして大きなソレがある日眼中に入ってきたのならもう手遅れだ。そんなものは周辺視野に入り込んできたのを察知したら気配のうちにすぐに堰き止め、シッシッと追い払わなければならない。負けであろうが。

生きているとなんか良い感じのときがあるが、ふつうの生活が死んでいてはそうは感じられない。
イェーイ楽しい〜
その良い心持ちの淵辺には、寂しさに負けてる料理とかがある。

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