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記事一覧
夕涼み【ショートストーリー】
どうして泣き止まないのだろう。乳も飲ませたし、おむつも変えた。今日は朝からずっとこんな感じだ。掃除をしていても、洗濯をしていても、泣き声で手が止まった。上の子とは違い、手のかかる子だと思っていた。わたしのイライラが伝わるかのように、赤子は泣き続ける。
「おかーしゃん、お腹すちた」
輪をかけて上の子が泣き出した。優先順位がわからなくなり、わたしも泣いてしまった。抱くのを止めると泣いてしまう赤
喫茶店【ショートストーリー】
紫陽花は、硬めのプリンがおいしいと評判の店だ。
バイト先で知り合った彼と付き合って半年になる。彼は北広島市に住み、地元の高校に通いながら、土日だけ札幌でバイトをしていた。札幌と北広島は近いけれど、平日は部活や塾があって会えなかった。バイトが終わった後、一緒に過ごす時間を楽しみにしていた。
「いらっしゃいませ」
案内された席に向かい合わせで座り、メニュー表を見た。チョコレートパフェにしよ
飛ぶ【ショートストーリー】
ラベンダーが風に揺れる。北海道の夏は短い。小樽行きの普通列車は少し混雑していた。銭函駅で下車すると、湿り気を帯びた浜風が、潮の香りを運んでくれる。
空は今にも泣き出しそうだ。砂山を作ったり波と戯れる。今日の彼は何だか少し様子が違っていた。
「どうして黙っていたの?」
優しい声。きれいな瞳。強く真っ直ぐわたしを見ていた。
わたしは視線を逸らして海を見つめていた。問に答えることはできな
アクアリウム【ショートストーリー】
もう怒りも悲しみも、喜びも何も感じなくなった。ただ生きているだけ。
海に映る月のように、美しさと手に入れられぬ儚さを備えた姿。誰もがきっと一度は魅せられる。
今日も仄暗い灯りに照らされ踊る。踊る。水の音がきこえる。泡が弾ける。揺らめく水槽はわたしだけの世界。
抵抗しても足掻いても、どうしようもないし、状況だって何も変わらない。ゆらゆらと水の中を漂い、絶頂の後で絶望の淵に立つ。夜はいつ
琥珀糖【ショートストーリー】
「八条口には何もなくて、反対側には伊勢丹がある」
飛行機の時間が迫っていた。関西国際空港までは電車で行く。あまり時間がない。京都駅の八条口で見つけた有名な和菓子店で、琥珀糖を手に取った。札幌駅と違い、京都駅には改札口がたくさんあった。新幹線の乗り場もあった。
京都駅発、関西国際空港行き、特別急行はるかに乗車した。
昔流行った歌のように、本気で京都のおばちゃんになりたいと思っていた。きっ
呼吸【ショートストーリー】
初めから顔も体も好みだった。何となく仲良くなって、それから親友みたいになったけど、正直ずっと「したい」と思っていた。
ひとつになってからも、ぼくたちは変わらず親友みたいだった。おいしいパスタも食べに行ったし、きれいな景色も見に行った。真面目な話もふざけた話もたくさんしたけれど、いつだってきみは、ぼくの迷いを解いてくれた。
安いラブホテルの一室で、いつものようにことを済ませた。上手くいか
ラブレター【ショートストーリー】
本州に遅れて、札幌にも紫陽花が咲き始めた。ふらりと訪れた中島公園。池の周りには涼し気なブルーが拡がっていた。
あの人はどうしているのだろう。アカウントを消してしまったようだ。
リラ冷えに震えストーブをつけた日も、ケサランパサランが、夏の雪のようにふわふわ舞い降りて来た日も、蝦夷梅雨の時期も。いつも思い出していた。
名前も顔も知らない。知っているのはペンネームだけ。言葉を綴る人。その
雷鳴【ショートストーリー】
予定より手術が長引き、終業時刻もとっくに過ぎていた。片付けをして、使用した器械を洗浄室に運び、もう一度丁寧に手を洗った。
「鈴木先生からの差し入れ、届いてるから食べてね」
リーダーに言われ、休憩室の冷蔵庫を開けた。そっと箱を取り出す。大きなエクレアだ。上には生クリームが乗っていて、圧倒的な存在感を放っている。
わたしが知っているエクレアは、もっと小さい。中にカスタードクリームが入ってい
ぱちぱち【ショートストーリー】
好きな人の夢を見た。なんだかとても悲しそうな顔をして、こちらを見ていた。夢の中で彼に会えただけで、何故かわたしはとてもとても満たされていた。本当は会いたくて会いたくて仕方なかった。
男女の友情なんて、あるわけないと思っていた。それでも彼はわたしにとって、唯一友だちと呼べる人だった。恋愛感情はなくても信頼関係はあった。だから知らない誰かとするよりはいい。互いに秘密を守ることができる相手だと
散った【ショートストーリー】
彼は卒業と同時に東京の大学へ、わたしは地元の専門学校に進学して、遠距離恋愛が始まった。ゴールデンウィークには帰ると言っていたのに、バイトが忙しいと言う理由で帰省しなかった。毎日あった連絡も途絶え、既読無視が続いていた。
ドラッグストアで市販されている検査薬を購入した。震える手でスティックを握り、採尿した。一分で結果が出るらしい。判定窓には、陽性のラインがくっきり出ていた。
どのくらい連絡
錬金術【ショートストーリー】
「今から綿あめ作るよ」
お母さんが箱から何かを取り出して言った。
「小さいスプーンで掬ってここに入れてね」
ザラメを皿の中に入れて少し待っていると、薄い雲のように綿あめが浮き上がってきた。
「見ててね、くるくるするから」
ぼくたち兄弟は目をまん丸にして、息を呑み綿あめがどんどん大きくなっていくのを見ていた。あんなちっちゃいつぶつぶが、綿あめになるなんて不思議だった。
「はい、で
チョコミント【ショートストーリー】
圧倒的な絶望感と渇望感が創作の原動力だった。其れ等を糧にとにかく書いていた。書き始めた頃、ことばはいずみのように溢れていた。今はどうだろう。心は凪いでいる。
豊平川で誰かの亡き骸が、続けざまに発見された。その誰かは、わたしだったかもしれない。そう思うと死ぬのが急に怖くなってしまった。怖気付いたわたしは、あの日を境に少なくとも生きることを選んだ。
もう荒ぶることも、泣き叫ぶこともない。誰か
定規【ショートストーリー】
「たくちゃん、バイバイ」
「ばーばい」
掌をこちらに向けず、いつも自分の方に向けてバイバイをしていた。話し始めたのも遅く、なかなか二語文が出なかった。それでもこちらの話は理解できているようだった。
年長になった頃、お兄ちゃんは自然に読み書きができるようになった。その頃のたくちゃんは、自分の名前すら書くことができなかった。お片付けもできない、不器用でハサミを上手く使えない、絵も何を描いたか
さやかな【ショートストーリー】
小さな子の死を扱ったショートストーリーです。
不安、不快に感じられる方はお戻りいただけますようお願い申し上げます。
このお話はフィクションです。
八月の蝉が鳴く。それはもう懸命に。小さな体で精一杯、生きていることを誇示するかのように。散っていくのを知っていて、強く。そして切なく。
朝から暑い日だった。静まり返る分娩室。泣くはずだったわが子は泣かない。わたしのすすり泣く声だけが響いていた。