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夕空は心を写す

夕空を見た時、人は何を想うのだろうか。
一日を振り返ったり、誰かを想ったり、センチメンタルになったり、様々なのだろう。

私はだいたいいつも、懐かしい風景が想起される。学校の放課後、小さい頃行った野外ライブの空、昭和の夕暮れ、海の向こうの遠い街。
暖色に染められた混じり気のある空気が、同時に鼻の中に入ってきて、心が暖かくなる。息が吸える。

自分でも、どうしてそれが想い出されるのかは分からない。心がほっとしている自分も居れば、どこか物憂げな自分も居る。だいたい、「放課後」と「野外ライブの空」は実際の思い出だけれど、「昭和の夕暮れ」と「海の向こうの遠い街」は架空の風景だ。なのになぜか懐かしく暖かい香りがするのだ。まるで前世の記憶のように。

おそらく、これは過去への憧憬なのだろう。病で悩まされることも多かったけれど、もちろん楽しい思い出もあったし、今よりも柔らかな心と、今よりも柔らかな社会でのびのびと生きていたあの頃が、懐かしくも羨ましい。過去に戻りたいわけではないけれど、戻りたくとも戻れないからこそ、どんどん美しくなっていく。昭和の風景も遠い街の風景も、いつかどこかで見た憧れの風景なのだろう。

そう思うと、私は後ろ向きなのか、それともクロージングに向かっているのか、どちらかなのかと思う。だめだ、だめだ。まだまだこれからだと思いたいのだ。目を閉じるな、目を開け!

とは言え、できれば夕空に明日を見たいところだけれど、空も私も自然の理の中にあるわけで、夕刻は一日のクロージングでもある。無理に疲れた目をこじ開けなくても良いのかもしれない。家に帰る様に、過去に帰ってほっとする時間も必要なのかもしれない。

とは言えとは言え、いつまでも過去に憧れてばかりでも人生の夜が明けない気がする。もっと、過去よりも自由になった心で、過去よりも自由になった社会(と思いたい)にわくわくしていきたい。ありがたくも、太陽は頼まなくても明日をオープンしてくれるのだから、明日の朝はただどこまでも遠くへ続く青空を、心地良く見通してみよう。