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特別になりたいと思う気持ちの危険さ

小さい時から僕には特別な才能が何かあって、将来自分を助けてくれるんじゃないかと思っていた

自分は人とは違う。きっと何かで成功するんだと

それを意識し始めたのは小学5年生の頃だ。

スラムダンクの影響からバスケをやり始めた僕は公園でいつも一人でやっていては簡単にシュートが入ってしまう自分に驚いた

漫画のようなプレイもイメージで勝手にできてしまい、バスケの才能が備わっている気がした。

中学生になり、部活はもちろんバスケ部に入部した

一年生からレギュラーとなり試合に出させてもらえたが自分より上手い選手とプレイすることになり、自分は特別じゃないんだと実感してしまった

いやいや、自分にはものすごい才能が眠っている。
いつか才能が開化して、自分は特別な存在になるんだと無意識に思っていたのかもしれない

特別な存在になる、それだけは確信していた

大学生時代は自分の才能探しに没頭していた

中国語のスピーチコンテストに参加しては、発音は下手だったが原稿の力で優勝できた。
自分は中国語スピーチの才能がある。全国大会に出られるかも知れない。そう思い、県大会に参加するも入賞すらできず敗退した。

中国語スピーチの才能もない。
他の才能も探してよう

中国でフィールドワークした経験から、中国で働きたいと思っていた。
実際に将来的に中国かベトナムで海外勤務する会社に内定が貰えたが、就活中に躁鬱病とアスペルガー症候群が見つかり内定は断った

なぜ特別な存在になろうと思ったか分からない。
特別な人間になることがダメな自分を保つ唯一の方法だったのかも知れない

発達障害が発覚して僕は特別な存在になった
人とは違うと感覚的に思っていたのは発達障害からのものだった

小学生の頃は忘れ物が多く、よく怒られていた
偏食も酷かったし、好き嫌いは激しかった

話は戻るが、自分が特別な存在であろうとするのはいささか危険さを含んでいる

なぜなら特別である自分が当たり前と感じ、何をするも成し遂げなければ、自分の存在価値を否定しなくてはいけなくなるからだ

僕は発達障害を抱え、特別な存在になったがそんな形で特別にはなりたくなかった。

特別になりたいというのを特別病というらしい

特別病にかかると人生は納得できないことの連続だ
完璧主義というか、ある程度やり遂げても消化不良となり満足ができない

自分には才能がある、眠っていて今はまだ出てきてないだけだ、と思うのは自分を苦しめるだけなのだ

僕の場合、才能の芽はあったのかもしれないが努力では埋められない圧倒的な才能を目の当たりにして、「これ以上は努力しても無駄だな」と思ってしまう

自分は特別じゃないと向き合うことが怖かった
自分の存在を否定される気分になるそんな感じだった

今も特別病は治っていない。
音楽倶楽部を作り、ボーカル兼広報担当として活動している。

いつか音楽の才能が開化して特別な存在になるかもしれない。

そんな夢想家精神はまだ続いている

才能がなく、普通に暮らしている人が大半なのに自分だけもしかするとと、思ってしまうのは罪なことなのか。

ブログをやっていてもそうだ。
フォロワーは何百人、何千人もの人を見ると、その人との違いはなんだろう。僕もその域に達したいけど何が違いのだろうかと思ってしまう。

特別病はやはり危険性を持っている。
どんな領域でも上には上がいる。上を見始めたら限りがない。

年収500万円になれば、年収1000万円の人と比べてしまい虚しくなる人がいるらしい。

ある本を読んでいて、人生でもっとも不幸なことは他人と比べることだと。

特別病を患った僕は常に人と比べていたんだろう

特別になるというのは人から優越感を得たいと思っていた

友人とカフェで話していた時、「Aくんがあまたつから見下されてる気がするって言っていたよ」と言われてしまった

誰にでもあるかもしれないが人の優劣を無意識にしていたのかもしれない、いやたぶんそうだ。

特別病を抱えていては幸せをなれない。
そんな感覚を持ち始めた

他人と比較してはいけないのは分かるが、他人との比較で自分の立ち位置が分かる

陸上競技や水泳など自分のタイムの良し悪しを決めるのは他人との比較だ。

しかし見落としてはいけないのは人生は競争でないということだ。

人生を競争と思ってしまうとたちまち目の前の人との比較が始まり優劣が出る。そして敵と思ってしまう

優劣を意識し始めては劣等感が生まれる

特別病は劣等感しか生まないのだ

特別病を消せば、一般人となり虚無感が生まれる
特別病を持てば、劣等感を感じてしまう

さて、どうしたものか。

まずは他人との比較を少しずつ止めること。
むしろ自分より才能があるひとを競争相手と考えず仲間と思うことにした

ブログで言えば着眼点のつけどころ、文の書き方を参考にするようになった

自分より優れた人をメンター(助言者)にして成長していこうとした

そして自分なりの合格ラインを設定していく
150人に読まれたとか、スキが10つけばいいなど、具体的に設定していく。

音楽倶楽部ならyoutubeなどで配信出来たらいいなとか才能の上限を作ることが大切。

特別になりたいと思いすぎて悩む人はいるかも知れない。本当に才能があって正しい努力をして成功する人もいる

才能の壁にぶち当たっている人は悪くない
むしろ努力したからこそ才能の壁に悩まされるんだと思う

特別になりたいという気持ちは夢への推進力だ

しかし特別になりたい気持ちは悪くないが危険だ

少しずつ特別じゃなくても満足できる日がくると嬉しい。

今この記事を読んでいる人で特別になりたいと思っている人もいるかもしれない。

特別な存在になりたいというのは心のエンジンのようなもので大切だ

才能の壁にぶつかった時は思い出してほしい
競争相手ではなく仲間なんだと。

吸収できるものは徹底的に参考にして自分を昇華させよう

僕はこれからも特別病と付き合っていく。
治すのではなく飼い慣らすようになればなと思います

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