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【読書感想】映画を早送りで観る人たち

こんにちは、天音です。

稲田豊史いなだとよしさんの『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)を読了しました。

話題の書ではないでしょうか。
ファスト映画を公開していた男女の提訴が決定したことで、“ファスト映画”を具体的に取り扱った本書も一層注目されましたね。

映画や動画などの映像を倍速・10秒スキップでみることの原因や、その目的に切り込んだ本書。映像作品をコンテンツとして、“鑑賞”ではなく“消費”する現代の人々に焦点を当てています。

わたし自身を振り返ってみると、スキップ視聴はよくします。
テレビや映画はあまり見ないので言及できませんが、YouTubeなどの動画は開幕の挨拶は飛ばしますし、実況系動画も割とぺぺぺっと飛ばして前後のトーンから見どころっぽいところを改めて見直します。
そういえば、コメント欄のタイムラインもよく使うかも。

映像の「早送り」ということに対しては、映像を嗜まないのであまり踏み込んで語れません。

しかし4章の「好きなものを貶されたくない人たち――「快適主義」という怪物」では、身に覚えがあることがとても多かったです。

わたしはこの本で着目された若者、Z世代に該当します。

本書曰く、Z世代は心の揺らぎをストレスとして捉える傾向ある。
読書や映画などの作品から受けるそういったストレスを未然に防ぐ、もしくは軽くするためにネタバレサイトを見たり人にあらすじを聞いたりすると。
スキップや倍速視聴も同様で、そうすると物語に感情移入がしづらくなるためにストレスを軽減させる視聴方法だというのです。

この観点は目から鱗というか、納得しました。

わたしもよく本を読む時に途中で後ろをチラッと見て、結末が悲惨すぎないか確認することがあるんです。
流石にミステリーでは確認することはありませんが……。

登場人物が悲惨な目にあうことが、たとえ逆転劇の大団円が待っていると分かっていてもストレスなのは理解できるのです。

映画や読書をストレス解消として扱っている人々にとっては、新たなストレスを受ける視聴方法をするなどもってのほか。
できるだけ自身に負担がかからないようにするのは当然です。

ちょっと手に取ってみた娯楽に、我慢という行為が付随するのは嫌だと思うのは尤もだと思います。

そういうのって、たくさん読んで面白いと思う経験が積み重なっていくと耐えられる負荷が増えていくものなんでしょうけどね。

タイムパフォーマンスやコストパフォーマンスを重視する人たちにとっては、負荷に耐えられる心の筋肉をつけようとすることがすでに無駄な行為なのかな。

もう一点気になったことがあって、たくさんのコンテンツを消費するのがコミュニケーションのためというところです。

若者はお互いのコミュニケーションの道具として映画・アニメ・漫画などの“コンテンツ”を使っている。そしてそういったコンテンツが飽和している現代では、スキップや倍速視聴しないと追いつかない。

わたしが気になったのは、そういったコンテンツを語るときにで「履修」という言葉が使われることがあるところです。
オタクに限らずライトに楽しんでいる人も使っている印象を受けます。

例えば、○○アニメ二期まで履修済み。
ゲーム最新章未履修、とか。

あまり深い意味はない。
ここまでプレイした、視聴した・読んだという意味なんだろうとは思いますが、「履修」という言葉を使うことで、必須項目的な意味合いを帯びてくるんではないかなと考えます。

そのさりげない言葉からも、何かを見ていないとあるコンテンツについて語れない、グループの輪に入れないという脅迫的な観念が見える……かもしれません。

まあわたしは友達がいないので全部自分のペースで見ますけど。

……長くなりました。
これはが高くなってしまう。

SNSの普及で、どこでも誰とでもと繋がれるようになりました。

そんな社会の中では、単なる娯楽とコミュニケーションの道具、そして自分の深追いしたい趣味との区別がつきにくくなっているのかもしれません。

好きなものを好きだという。
好きなものを好きに語る。

そういった当然のことが難しくなってきている現代。

自分が何を好きなのか、一度ゆっくり立ち止まって自分を見つめ直したいですね。

本書の論点である「スキップ・倍速視聴」は、若者だけに限った視聴方法ではありません。

倍速視聴する人もしない人も、読めばいわゆる“コンテンツ”への自分の向き合い方が整理される本だと思います。


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