見出し画像

「休む」という決断。

こんにちは。
天音です。

私は現在、教職の実習の中で介護等体験をさせていただいています。

今日で4日目のはずでした。

しかし、昨日の夕方から微熱ではあるものの発熱してしまい、喉の痛みがあったので風邪薬を飲んで、それでもあまり症状の改善がなく、今朝、行ってすぐに担当の職員さんに相談しました。

その場で抗原検査も行い、一応コロナではないとわかっていつつも、今日は帰らされ、病院にかかることになりました。

残りの日程は来週に振替になり、明日まで一緒に実習をする予定だった子とは、ここでお別れということになりました。泣。

帰ってからかかりつけの内科で事情を説明し、改めてコロナとインフルエンザの検査をし、どちらも陰性。

風邪症候群ということで、カロナールとトラネキサム酸を処方していただきました。

正直、微熱と少しだけ喉が痛いという症状以外はなかったため、少し頑張れば、繕えば元気に見せることもできました。

帰ってからも少しだるいけど、微熱ハイみたいな感じでむしろ元気な感じで、休んだのが勿体無いと思ってしまうほどでした。(薬飲んで微熱なので、決して油断はできないのですが。)

それでも、介護施設で実習をさせていただいていること、特別養護の介護施設であることなども踏まえ、とても迷いながらも朝1番に相談したのでした。


さて、休むって、言い出すのにとても勇気がいりますよね

自分はいまだに今朝の決断が本当に良かったのか、もう少し頑張れたのではないか、と思ってしまったりもします。

介護施設の職員さんには「言いづらいことをよくぞ言ってくれました」と励まされたり、「施設の部長の方は信頼できると言っていた」という話もうかがいましたが、正直身近な人からの圧力とモヤモヤで、スッキリしません。

家族からは『余計なことをいうから』と言われ、サークル員からは心配もされずに、サークルの重要な予定の日に実習が入ってしまうかもしれないことに対する不満の声のみが寄せられ、胸が締め付けられました。

あぁ、自分を心配してくれる人は誰もいないんだ、こんなに葛藤して相談しても、結局自分も周りも損しかしていない。

そんなふうに思ってしまいます。

実際、休むことで、「一時的には」周りに迷惑をかけてしまうこともあります。

しかし、どのような仕事でも、万全の体調でない時にいいパフォーマンスを発揮できることはありません。

アメリカの企業では、風邪をひいたことを上司に相談すると、日本よりもラフに予定の調整を行い、お休みをもらいやすい風潮があるそうです。(それが有給か無給かはわかりませんが)

日本人は、無理に無理を重ねて、市販の薬を飲んでどうしようもなくなって初めて相談する、ということも少なくないと思うのですが、

この風潮のおかげで、集団全体の生産性の低下が慢性化してしまっていると言います。

休むことは、とても大切な決断。

その時のベストな選択ではないかもしれないけれど、ベターではあるんです。

ちなみに学校だったら這いつくばってでも講義出て出席稼ぎに行くんですけどね。
休んで困るの自分だけだから。
できるだけ他人に迷惑はかけたくない。

辛い思いをするのは自分だけでいいという自己犠牲がここにも現れているのだなぁ、と思ったりもしますが、それが私らしさでもあるのかなぁ、と思ったり。


この世の中が、もっと無理せずに、辛くなったら辛いと言えて、休みたい時には気軽に相談できる社会になっていくことを願います。


ではまた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?