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誰が望んだでもなく、でも誰かが選んだこんな未来。時代が、消していくもの。

天気が良かったので、とある漁港の近くにある公園に散歩に行きました。

漁港のそばに車を止めて、カメラを持って。「ああ、いい天気。海きれいだなあ」なんてのん気なことを思いながら歩いていて。

ふと、気づいたんです。

港の広さと、船の数が、アンバランスなんじゃないかと。

ここにはもっと多くの船がかつてはあって、でも今はもう船がないから、なにか不自然なスペースができているんじゃないかと。

実際、鹿児島県の「平成30年度水産業振興施策の概要」によると、昭和53年には16,720人の漁業就業者がおり、その高齢化率は10.4%なのに対し、平成25年には漁業就業者は半分以下の7,230人。一方で高齢化率は3倍以上の32%となっています。

この漁港にもきっと、多くの若い漁師で賑わっていた時代があったことでしょう。

しかし時代は巡り、高齢になった名人たちは徐々に引退し、後継者のいない船は去り。そうして船も、人も、徐々に姿を消していき…同じ港も、今ではなんだか広く感じるようになってしまったのかもしれません。

人口減少、超高齢化、都会への人口集中。

恐らく止まらない、止められない時代の流れの中で、きっと多くの人が気づかないうちに、いろいろなものが消えていく現実。

はたから見れば地方の衰退、人口減少なんていうのは、単に若者がいなくなる、限界集落が消える、というだけのことかもしれません。

でもその裏では、それぞれの地域の産業、技術、歴史、文化が継承されず消えていくことになる―ひょっとするともう、消えていっている―のです。

誰が望んだわけでもない未来が、誰かの選択の積み重ねで訪れようとしています。

若者の受け皿が、消える

奄美大島の場合、島内に大学がないため、高校を卒業すると8割以上は島外に出ます。

島内に残る場合は就職するケースが多いようですが、専門学校が2校あり、数少ない受け皿となっています(看護福祉専門学校以外には定員20名の情報処理専門学校があります)。

その、数少ない「島外に出ない若者」の受け皿がこのままだと存続できなくなる、というのがこのニュース。

島に出ないという選択を若者ができるように誘致した専門学校が、そもそも若者が少なくなった故に立ち行かなくなるという皮肉な結末は、もうすぐそこに迫っているのかもしれません。

そしてもちろん、人口が減ると影響が出るのはこうした高等教育だけではありません。そもそも保育園・幼稚園や小中学校なども減少し、遠距離通園・通学が増えるといった未来も予想されます。

人口が減るということがきっかけとなり、家族が、若者が暮らしにくい環境となり、ますます人が減っていく流れが加速する。そんな悪循環に苦しむ地域は、すでに少なくないのではないでしょうか。

1300年以上の伝統産業と職人の技術が、途絶える

もう少し深刻な話をしましょう。

大島紬は、日本三大紬にも数えられ、高度経済成長期には奄美大島の主要産業でした。

記録を辿ると、遣唐使の時代にはもう大島紬と思われる紬の献上の記録があるともいわれている、歴史と伝統ある技術の結晶でもあります。

しかし、その大島紬も和装離れを始めとする時代の流れには勝てません。前述の記事にもあるとおり、40年ほどの間に生産量はわずか2%程度まで減少。

その影響もあり、職人の高齢化も進み、いまや後継者不足が深刻な問題となっています。

人が減る。高齢者が増える。後継者が見つからない。結果、貴重な歴史ある産業が、技術が、継承されず消えていく。

大島紬ほどの歴史・伝統がある産業ですら危機を迎えるのですから、気づかれることもなく消えていってしまっているものは、もうすでにたくさんあるのかもしれません。

日本の、日本らしさの一部。それぞれの地域が、その特徴を生かして受け継いできた何か。

そんなものが、実はどんどん、なくなってしまっていると、したら。

400年以上受け継がれてきた文化が、消えた

琉球王朝時代の名残といわれている、各集落で宗教行事を取り仕切っていた女神官「ノロ」。

実はこの大熊という地域では、最後の「ノロ」が後継者を見つけることができず亡くなり、それを補佐する「グジヌシ」も高齢に。

そのためノロ文化の象徴でもあった祭りを行う場所「トネヤ」を解体することになった…というわけですが。

記事にもあるとおり、この大熊が初めてというわけではなく、「ノロ」文化はすでに各地の集落で後継者不足により途絶えています。

この「ノロ」だけではなく、奄美大島には集落ごとにさまざまな文化が残っています。有名なところでは秋名のアラセツ行事とか(秋名集落は、比較的若い世代の方がいま盛り上げようとされているので、当面消えてしまう、ということはないと信じています)。

ここで考えたいのは、集落の高齢化や集落自体の消滅によって、その集落にあった独自の文化が一緒に消えてなくなってしまっているということです。

集落が消えた。それは単に人が住まなくなっただけ、ではなく、その土地にあった何かが、ひょっとすると大切なものが、消えていってしまうということでもあり、ひょっとすると気づかない間に、もうたくさんのものを私たちはすでに失っているのかもしれないのです。

時代は移り変わるもの。だけど…

思うんです。

便利な時代になればなるほど、便利さを追い求めるようになり、そうして人が都会に集まった。

忙しい時代になり、核家族化が進み、不況が少子化を加速させた。

それは時代の必然だし、それが悪いわけでも、誰かが悪いわけでもないことです。

でも、その流れの中で、見落とされているもの、消えていくもの、失われていくものは確実にあるということを、忘れてはならないのではないか、と。

時代の流れがそうさせただけかもしれません。
便利な生活を求めて何が悪いわけでもありません。
都会で生活を始めれば、そう簡単に離れられないのはあたりまえです。

でも、そうして私たちが選択した結果が積み重なり、ひとつ、またひとつとひょっとすると受け継がなければならなかったかもしれない何かが、大切なものが、次の時代につながなければならなかったバトンが、どこかでこぼれ落ちているとしたら。

なにかひとつでも、自分の手ですくえる範囲だけでも、自分がつなげる何かだけでも、なんとかできないものか。

1人1人が少しでもそんなことを考えれば、一歩でも踏み出して行動すれば。消えてしまいそうななにかを、少しでも次の時代に残せたら。未来が少し明るく変わるかもしれない。

そんなことを、思っています。

この度は私のnoteをご覧いただき、本当にありがとうございます! これからも移住や働き方、南の島ってぶっちゃけどうなの?といった話をのんびりレポートしてまいります。 スキや感想のコメント投稿、サポートなどいただけると、とってもうれしいです。今後ともよろしくお願いします!