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血と海を超えて「あなたは私の娘だからね」と言ってくれる人たち

私は筑後平野の海も山もないところで育ちました。幼い頃、親が運転する車の後部座席から外を眺めて「田んぼが海みたいで、家のかたまり(集落)が島みたいだ。」と思っていました。実際の海や島の景色は、印刷物やテレビ等で見知った程度の頃です。

たくさんいる親戚のほとんどが所謂”スープが冷めない”範囲内で暮らしていたので、海の向こうへの移動は、高校生の頃に部活でイタリアに行ったことがはじめてでした。(いきなりヨーロッパ。)

大学を卒業して親元を離れてからは、これまでの反動からか、お金と時間ができては国内外を旅行するようになりました。

奄美には20代後半の頃にはじめて行きました。
鹿児島から船で吐噶喇、奄美、沖縄、八重山、台湾まで行く道すがらでした。これまでに奄美以外の場所でもいろんな出会いがありましたが、何故だか奄美とは関わりが続いています。

それは、タイケイ製糖の中田さんの引力ももちろんですが、全国にたくさん故郷を思い、宣伝する人たちが散っているからだと思います。

私は旅行で訪れる以前は、奄美には縁もゆかりもなく、リアルの場で奄美に関連する物事を見聞きしたことがありませんでした。

旅行から帰ってきてしばらくした頃、商店街を歩いていたら『奄美物産』の看板を掲げるお店を見かけたので入ってみました。すると、店内に濃い顔のおじさんが。
「この前、奄美に行きました。」と話したらとても喜んでくれて、以来、地元の友人や先輩・後輩などと集まる際に声をかけてくださるようになりました。

それから、芋づる式に奄美出身の友人知人が増えていました。それまでは親元を離れたとはいえ、実家から一時間足らずのところで暮らしていましたが、身近にこんなに奄美出身の方がいたなんて知りませんでした。
2019年に地元を離れて関東に異動しますが、ここにも奄美群島出身の方々が身近にたくさんいて、お世話になっています。

奄美の島々と私が生まれ育った環境では違う点がたくさんありますが、その中のひとつに、人生において地元を離れざるを得ないシーンに直面する人が多い点があります。高校進学のタイミングで島を出る人もいます。
その上、今はLCCが登場しましたが、一度地元を離れると、なかなか行き来するハードルが高い実情もあります。

だけど、地元を宣伝する人たちが全国に送り出されていくことで、私のように遠くに住んでいても、その地を身近に感じるような”愉快な巻き込み”に遭遇する人が出てきます。
『人口流出』という言葉は、悲観的なニュアンスを持つ言葉としても浸透していますが、故郷の宣伝マン−自分の言葉で故郷を宣伝する人たち−が全国に散っているのだと考えるようになりました。

結束が強いのは地域性なのか、海を渡ることのハードルが他の地域よりも高かったからなのかわかりませんが、私がこうしてタイケイ製糖の中田さんの仕事を手伝っているお話をすると、ありがたいことに応援してくださる方がほとんどです。

「自分の娘だと思っているよ」という言葉を、中田さんをはじめ、何人から、何度かけていただいたことか。
文化の違いかもしれませんが、暖かく、かつ力強く、それでいてナチュラルに受け入れていただける方々に、私は恵まれています。

奄美では集落のことを「シマ」と呼びます。
このことを知った時、親戚の家に向かう車の中で見た、田園にあるシマのことを思い出しました。


画像はフリー素材からイメージに近いものを拝借しました。

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