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「檸檬」×森見登美彦氏

梶井基次郎の「檸檬」を読み、京都を恋しく思っていたところ丁度いい本に出会えました。

「森見登美彦の京都ぐるぐる案内」

森見登美彦氏は(京都在住の大学生の多くが当時夢中だったように)わたくしの青春そのものでございます。

この本の中で森見登美彦氏が「檸檬」について語っておられました。

少し長くなりますが、引用させて頂きます。

「檸檬」は、梶井基次郎が第三高等学校にいた時分のことを書いた小説だから、京都の馴染みある界隈がいろいろ登場した。
京都時代の梶井基次郎は暴れん坊であり、疏水に飛びこんだり、麦酒瓶で殴られたり、屋台をひっくり返したり、祇園石段下のカフェで暴れたりしたという。アクティブである。
登美彦氏が疏水に飛びこんだら流されるだろうし、麦酒瓶で殴られれば死ぬだろうし、屋台をひっくり返す脊力はない。
京都を暴れ回る梶井基次郎を台風とすると、「檸檬」は台風の目のようだと登美彦氏は思った。シンと静かだが、張りつめている。バランスが崩れれば、また暴風が吹き荒れる。

「八百卯」は、梶井基次郎が「爆発する」檸檬を
買った寺町二条の果物屋である。何遍も自転車で
前を通っているはずだが、登美彦氏はぜんぜん覚
えていない。
残念なことに、河原町の丸善が閉店してしまっ
たから、「八百卯」で檸檬を買って丸善に置く
「置き去り檸檬」はもうできなくなった。
丸善は自著「四畳半神話大系』をたくさん並べてくれた店であり、登美彦氏はたいへん心強く思っていたので、閉店の話を聞いて哀しんだ。

「だが、待て。厳密に言って『置き去り檸檬』は
成立するのだろうか」

小説「檸檬」について語る言葉がすでに「小説」のよう。。。文体の味わいの妙よ。

森見登美彦氏は読書と文体についてこんな風に語っておられます。

大学の周辺には、あちこちに古本屋があった。京都に暮らして、古い紙の匂いを嗅ぎながら、古本を読む。そんなことを六年も七年もやっていると、威張るほどの読書家でなくても馴染むものだ。文章のリズムが、紙の匂いと一緒に身体に染みついてしまう。

「文章のリズムが、紙の匂いと一緒に身体に染みついてしまう。」…いや表現、かっこよすぎ。
これは真理なのでしょう。

大学時代、教授に「寝る時と食べる時以外本を読む生活をしなさい」とアドバイスいただいたことがあります。
ガチでやると2週間ももたずに破綻してしまったのですが、教授は若い頃それを7〜8年続けたそうです。
森見登美彦氏のお言葉と重なるところがあってふと思い出しました。
なかなか出来ることじゃないけど、やる価値はあるのでしょうね。

日々読書の時間を上手にとって、感じたことを丁寧に言葉にしてまたnoteにコツコツ記していきたいと思います。

いつか「文章のリズムが、紙の匂いと一緒に身体に染みついてしまう」ような境地に達することができれば本望です!(いや、難しいわ。)

お読みいただきありがとうございます。



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