ブッダはなんで教えを説いたんだろうね??
こんにちは!メンヘラVtuber雨神るーら(あまがみるーら)です!!!
ここ数日ずっと考えててそれでも良くわかんないことがあります!!
「ブッダはなぜ教えを説いたのか」です!!
瞑想が楽しすぎる話!!でも書いたように最近は瞑想を頻繁にしてるので、それ経由でブッダのこともいろいろ考えてました!
で、瞑想しつつ思ったんですけど、ブッダって煩悩なくなって物事をありのまま見られるようになった人(目覚めた人)ですよね!
『物事をありのまま見る』ってことは、そこに主観的判断(善悪とか正邪とか)は全くなくて、ただそのまま「なんかそこにあるねー」「でもないかもしれないねー」って感じでただ見てる人になるってことだと思うんです!
その意識状態を24時間維持できる人がブッダかなと!!
また前に利他ではなく「拡大された利自」!!って記事でも書いたんですけど、この世は全部素粒子って視点にも立てるし、自他を区別する視点にも立てるし、全部いっこの宇宙って視点にも立てる!!
視点によって認識(脳内世界)が変わるって意味では『事物も感情も含めて、今見ているこの世は幻』とも言えるし(空)「この幻ゲーム(人生)から私はもう抜けたよ」ってのが悟りだと思うんですよね!
そんな視点で『ブッダのことば』的な本を読んでみると、けっこう「あれ???」って思うんです!!
「~はしては”ならない”」とか「善なるものはこう、悪はこう」とか、めちゃくちゃ主観的判断してる記述が多いなって!!
特に日本の仏教徒の方からは怒られちゃうかもしれないけど、目覚めランクナンバーワンのブッダが善悪を説いてるのにめちゃくちゃ違和感がある!
確かに古代インドでは戦争や飢餓や疫病でたくさんの人が無くなってその日1日を生き延びるのすら難しい苦しみにあふれた環境だったのかもしれないから、”正しい生き方”を説くのも分からなくもないけども!!
目覚めきった人なら「あーなんかワーワー戦争してるなあ」「人間がなんかやっとるわー」って観察して終わりだと思うんですよね。(戦争とか人間って概念も無いかもしれないけど!)
ここまで考えてみると、なぜ教えを説いたのかについては3つあるのかなーと思います。
1.弟子に聞かれたから何となく話してた
「世界を平和にする」みたいな目標とか何もなく、弟子(というなんか付いてくる人たち)に問われたことに何となく答えてただけ説!
弟子たちはブッダみたいになりたいし、集団を維持するためにルールも必要だから、教えを文章化するうちに戒律になってブッダの境地からは一段下がっちゃったみたいな!
2.”慈悲の心”のラインまでブッダ側が下りてきた
幻ゲームのプレイヤーをやめたのだから、ブッダはこの世のあれこれに興味もないし、世界や人類を平和にする理由も全くありません!
でもただ人間的にブッダが優しくて「なんかやってるなー幻世界だけど手助けするかー」「そっちのが生き物幸せそうだし」とちょっとだけ悟りレベルを下ろして、いくらかの主観的判断を加えて教えた説!
3.世界も自らの一部だから治療してみた
世界も自らの一部という視点にも立てるから、ケガした体を治療するのと同じように、弟子たちを教えて世界をより良い方向に導こうとした説!
「かゆいから体かこ」みたいな感じですね!!
結局どれが答えか僕にはよく分からないし、本当のところはブッダに聞いてみないと分からないと思うんですけど!
ただ『修行の先に悟りがある』って見方は『努力の先に成功がある』と一緒で幻ゲーム(人生)の参加者になっちゃってるので、ちょっと視点が違うのかなーとは思います!!
悟りは賞金でもゴールテープでも無いというか!!
なんにせよ、どれだけ頭で考えて理解しても体感には敵いませんから、瞑想を続けていつかブッダの気持ちが分かったら嬉しいなと思いました!!
ということでまたね!ありがとう、るーらでした!!!
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