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これからは、カテゴリーにとらわれない時代


たいていのものは「カテゴライズ」されている。
グループ分けされていると、入口がわかりやすい。

でも、どのカテゴリーに入れたらいいか微妙なものもあれば、必ずしもその「ジャンル」とか「枠組」に入れて区別しなくてもいいものもたくさんある。
かえって「枠組」を作る垣根によって、視野を狭めていることもあると思う。

カテゴリーにとらわれないほうが、思考も可能性も広がるのに。
私はずっとそう感じてきた。

学びは好奇心がカギ 能動的な体験こそ大事

社会に出ると、理想通りにはいかない。
予期せぬハプニング、困った人への対応、理不尽なこと、教科書には書かれていなかったことばかり。
しかも、こんな不安定な時代になると、ますます人として「生きる力」を持ちたいと思う。

「生きる力」とは、知識だけではなく、ここぞというタイミングで、状況に合わせて、知識やカンを混ぜ合わせた「知恵」を使って行動できる力かなと私は思う。
正解もないし、難しいことだけど、逆境にこそ真価を発揮する。

ただ、言えることは、その力は、体験や人から得ることが大きい。
単に受け身で与えられて頭で理解しただけよりも、実際に自分の心と体、五感を使って考え、感じ、体験したほうが、圧倒的に心に深く刻みこまれて、自分のモノとして身につく。
好奇心をもって能動的に体験して得たものは、特に。

私はずっとそんな思いが強く、実は私がこれまで、ささやかながら世の中に出してきた企画の根幹にもなっている。

「好き」「楽しい」の入口は、とても大切。
どこか日本人は、楽しいことや遊びに対して「罪悪感」を持ってしまい、勉学を邪魔する真逆のものとして眉をひそめる人も多い気がする。
もちろん、人生の一時は、基礎体力をつけるために苦しい思いの義務的な勉強が大切な時期もあるけれど、教科書以外からも、むしろ、好奇心を入口に、知らないうちに学ぶものは強いと感じている。

私は、エンターテインメントやスポーツ界の人やコトの魅力から企画を立て、伝える中には、必ず「読者にとって、何かの気づきになること」をエッセンスとして入れてきた。

表看板は、いかにも楽しそう、おもしろそう。
人にとって積極的に入りやすいのは、「おもしろそう」「楽しそう」「好き」の好奇心だから。
企画を立てる私自身も、「楽しそう」と思えることが絶対条件。

でもその奥には、それぞれにとっての「気づき」があってほしい。
楽しみながら気づく。そんな理想を意識していた。

私の言う「学び」は大げさなことではなくて、明日からの心の持ち方や生き方へのヒントになるような「気づき」。
その人にとっての「生きる力」「心地よさ」につながるもの。


今さら、そんな企画の裏テーマをお仕着せるのは野暮だけど、その概念が、ようやく最近、表立って言われるようになってきた。

遊びと学びの融合 エデュテイメントの時代

教育(education)×娯楽(entertainment)=エデュテインメント

という概念が生まれている。
まさしく、これだ。

思い返せば、学生時代の歴史の勉強。
教科書を読むよりも、『NHKの大河ドラマ』で覚えていたっけ。
歴史上の人物の名前を言われると、それを演じた役者の顔がいまだにイメージされるほど頭に入った。
史実も「人間ドラマ」になると覚えやすい。

専門的な知見も、謎解きのようなゲーム感覚で考えると、いつの間にか覚えている。
ひたすら情報を入れるよりも、「おもしろい」「くやしい」「びっくり」とか感情や心も使って体験するほうが、自分の身につきやすいのだと思う。

そうしたら。ついに、きた! 吉本興業と東京大学のコラボ企画。
笑う東大、学ぶ吉本。

キャッチコピーもさすが!

お笑いというエンターテイメントと、専門的なアカデミックなカテゴリー。一昔前なら考えられないような、両極と思われそうなカテゴリーが、垣根を越えた。

そもそも一人の中では、垣根はないのでは?

両極にありそうだけど、突き詰めればつながっているんだと思う。
越えた、というよりも、枠を外す、という感覚。

たまたま便宜上カテゴライズされているけど、人間社会や一人の人間の中の要素は多面的で、実は、一つのものをどの角度で切り取るか、だけのことかもしれない。

そもそも、人の中では、遊びも学術知識もごちゃまぜになって、ざっくりまるっと身につけていて、今は遊びだから知識は要らない、とかカテゴリー分け分けで使い分けていないはず。
きっと存在している様々なものは、それが融合されて成立している。

グラデーションのようになっていて、線で区切れるようなものでもない。

たとえば。
おいしい食事はエンターテイメントだけど、それを裏打ちする調理法やテクニックは、実は学術的な知見、科学的なメカニズムに基づいている。
言い換えれば、おいしい食事の調理法から、科学的な理屈を知ることができるし、学術的な知見を学ぶと、もっとおいしい食事につながる。

不安定で先の見えない時代だからこそ、一人ひとりが「生きる力」に変えるには、既存のカテゴリーにとらわれず、垣根を取っ払って横断的な視野を持つことから始まると思う。

ビジネスとしても、高い専門性をシェアしあう時代になってきたと思う。

遊びに学び、学びに遊びを!

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